転任したてのアナタ

 さて今日は朝からサッカーのスペイン・リーグ、運命の大一番、レアル・マドリード vs バルセロナの試合、ハメス(ハメス・ロドリゲス コロンビア代表のアナタです。日本ではトヨタ・シエンタのCMに出てますね。)に一発ハメられた~とか思っていると、最後のロスタイムに千両役者のメッシがぶちかまして勝った試合に腰を抜かす中、真面目にお仕事、でもちょっと体調は良くない私。今日は月曜日、プールのお話。4枠目の今週は「調教日記」、ホントはもうちょい後に書くはずですが、今日は大事をとってお休みの中、先週の火曜日に起こったこんなお話です。
(これ、あんまし無理したらいかんよ、ミーシャ。)

 火曜日の晩はこの4月に異動で来た調教師のアナタでした。そして一番苦手なバタ足を8本(1’10”)、その後はするするとやった後で最後に出てきたものはこちら。

 50m × 4本  2/1S  (1’00”/”55/”50/”45)/(”55/”50/”45/”40)  間30秒お休み
                   (1’05”/1’00”/”55/”50)/(1’00”/”55/”50/”45) 同じく

 私らはB枠でしたが、A枠には最後のセットに限り、こんな設定になっていました。

 「時間枠内に行けなかった人数の割合が半分超えたら、もう1セット追加」

 人数は6人、ということは4人以上だと、もう1度になります。ここできっちりとできりゃいうことはありません。しかしこの馬は辛うじてツイン・ターボが回る中、ヒ~コラ言いながらクリアしてましたという中身でした。(ここでコケるわけにはいきません。自称「デジタル・リマスター仕様シンボリルドルフ」「FFのフェラーリ」とか言ってますんで。)

 ということで今日のお話はここまで。ちょっと今日はお休みしてしまいましたが、明日と明後日にきっちりと動かしておきましょという次第です。
(ほれ、早い事治しや、ミーシャ。みんなも「ミーシャ、どうしたの?」って言うとってやで。)

年ごと、1度に

 さて昨日はちょっと花粉の重さに悩まされていた私。そしてちょっと気になるネタが1つ、「カムリ、ローグに差を広げられる」ということでドル箱の北米市場でちょっと苦戦中のカムリ、只今6位ですが、モデル末期ということを考えるとわからなくはないんですが、今日は日曜日、ミニカーのお話。4枠目の今週は「考察」、今年フルモデル・チェンジを控えるカムリから、こんなお話です。
(これ、このお話はいっぺん、やっとってやないの、ミーシャ?)

 自動車などでよく行われるモデルチェンジ、元々はGM(ゼネラルモーターズ)の副社長・社長を務めたアルフレッド・スローンが1920年代に考案したシステムです。当時シェアでフォードのT型フォードに負けていたGMは巻き返しを図るべく、デザインを変えた新しいタイプの車を登場させることで、消費者が乗っている車を、人為的に流行遅れ(と消費者は勝手に思っているだけですが…。)にし、新しい車への購買意欲をかき立てることに成功しました。『計画的陳腐化』と呼ばれる手法で、これが自動車ビジネスにおけるモデルチェンジの確立である。一方のフォードは1930年代までT型のモデルチェンジを拒み続け、この間アメリカ国内における両社のシェアは逆転することになりました。(他にもGMがやったことはオートローンやクレジットがあります。フォードは当初顧客にローンを組ませるという販売方法を拒み、1920年代の後半にようやく似たようなクレジットサービスを提供したが、フォードの信販会社が設立されたのは第2次大戦後の1959年でした。)またこのモデルチェンジの考え方は、自動車以外のさまざまな工業製品にも波及していくことになります。

 そのため、日本でもモデルチェンジで長いこと続く車は結構あります。現在ある10代以上続くものとしてはトヨタ・クラウン(現在のものは2012年に登場したS210型(14代目)です。)、カローラ(2012年に登場したカローラ・アクシオ(S160型)を含めると11代目です。)、カムリ(2017年に登場する予定のXV70型で、おかげさまでめでたくこの「10代クラブ」に入ります。)、日産・スカイライン(2014年の現在のV37型で13代目です。)などがあります。しかし、このモデルチェンジのサイクルは基本的に「4年」でした。(かつてはクラウンとカローラはオリンピックの前の年に代わる(クラウンは12代目(S180型 2003年~08年)まで、カローラは8代目(E110型 1995~2002年)まで)パターンでした。他にもこの年に代わるものは日産・セドリック/グロリアなどがありました。)

 最近ではモデルチェンジのサイクルは主におよそ5年から7年のサイクルでこれが繰り返される傾向がありです。(これは「外圧」の影響もあります。)一方で、海外や商用車の場合7年から8年サイクルが主流です。(この「7年」という伝統をきっちりと守っているのはメルセデスとBMWです。それぞれの基幹クラス(C/E/Sクラス、3/5/7シリーズ)は、きっちり7年サイクルで新型に代わります。)

 またこの間に「マイナーチェンジ」「フェイスリフト」なる改良(改悪?)が入ることがあります。かつての4年サイクルの場合は1回だけ通常、フルモデルチェンジの中間期に行われることが多く、しばしばそれ以前を「前期型」、それ以降のものを「後期型」(3段階の場合は中期型、それ以上は「数字+型」)と呼称しています。またメーカーによっては、定期的に小変更を加えていく手法をとっているところもある。「年次改良」(イヤーモデル制)と呼んで1年毎に行われることが多く、この手法で変更された同一車種の区別は「イヤーモデル」と称されます。これは、ライフサイクルが長い欧米の車種において、従来からよく行われている手法です。(またこのはじまりは9月に始まり、翌年の8月に終わることが多いんです。そのため、新型カムリ(XV70型)は北米市場への投入は今年の8月末から9月と噂されています。)日本車の場合は国外向けはこの方法をとっていますが、日本国内でも、レクサス、スバル、他にも日産・GT-Rなどこの手法を採っていることで知られています。開発コストの高騰や、コンピュータ技術の導入に伴う基本設計の精度充実に伴い、日本でも近年はモデルサイクルが伸びる傾向にあり、マイナーチェンジを複数回行なう車種も増加しています。

 ということで今日のお話はここまで。最初の「ローグ」とは只今絶好調の「日産・ローグ」(日本名 日産・エクストレイル ただし積んでいるエンジンが違います。ローグは2500cc直4のみですが、エクストレイルはそれ以外に2000cc直4、ハイブリッドもあります。)の事です。只今11万台の4位、その下にはホンダ・CR-Vがあります。カムリはその下の6位、2002年以降、15年連続の冠をかぶってきたのですが、今年はホントにヤバいかもしれないと思う中、私もちょっと変わる部分も出てきていますが、さてどうなりますか?お鼻のムズムズ同様、ちょっとお悩みです。
(これ、あんまし悩みなや、ミーシャ。)

東のシウマイ、西の豚まん

 さて愛するタイガース、昨日はけしからん某全国紙をボコしたものの、ベイスターズは山﨑康晃に変えて新クローザーにゼットンじゃなかったパットンを起用しているものの、これがまたパッとしない中で、のどの痛みに悩まされる私。今日は土曜日、グルメのお話。3枠目の今週は「ご当地」、そのベイスターズからこんなお話です。
(これ、そんなパッとしないネタをやってんやないんよ、ミーシャ。)

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 今月はこちら。今や全国区になった神奈川県横浜市の崎陽軒の「シウマイ」です。1928年(昭和3年)の発売以来、変わらぬレシピで変わらぬおいしさをお届けしています。豚肉と干し帆立貝柱が出逢って生まれた豊かな風味が特長の冷めてもおいしい、一口サイズのシウマイです。横浜名物となる駅弁を開発すべく研究を重ねた崎陽軒は、冷めても美味しく食べられるホタテの貝柱入りの「シウマイ」を販売し、また横浜駅にシウマイのキャンペーンガールである「シウマイ娘」を配置しました。シウマイ娘は、獅子文六が1952年(昭和27年)に毎日新聞に連載した小説『やっさもっさ』に登場し、小説の映画化とともに全国で知られることになり、シウマイは横浜名物として認知されるようになったとされています。

 また、なぜ「シューマイ」ではなく「シウマイ」というのかということがよく言われますが、崎陽軒の初代社長・野並茂吉氏は栃木県出身で、独特の訛りでシュウマイのことを「シーマイ」と言っていました。その発音が本場中国の発音によく似ていたそうで、中国の発音に近づけるということで、「シュウマイ」ではなく、「シウマイ」という表記が採用されました。というわけで、崎陽軒といえば「シウマイ」なのです。また有名なのが、「ひょうちゃん」。現在のものは2003年(平成15年)から登場した3代目、同社製シウマイの箱中に封入されている陶器製醤油入れの愛称で、ひょうたん型容器に多種多様な表情が描かれています。ファンも多く、ひょうちゃんコレクターも存在します。(初代は1955年(昭和30年)、2代目は1988年(昭和63年)に登場しました。全48種類あります。)

 ということで今日のお話はここまで。今日は運命のレジェンド・マッチです。「21世紀に間に合いました。」というような超絶ショットが出るのか?私もちょっと楽しみです。
(これ、お悩みのところやけど、あんましあれこれ悩まん方がええよ、ミーシャ。)

絶滅危惧種

 さて私を巡る問題がちょっと再燃しつつある中、真面目にお仕事の私。今日は木曜日、テニスのお話。3枠目の今週は「戦術」、今日日のテニスによくあるこんなお話です。
(これ、お兄ちゃんも私もアンタもせやけど、なかなか難しいもんよ、ミーシャ。)

 最近では少なくなった「片手打ちバックハンド」、このお話の中にも何度か取り上げていますが、その握り方は打点と球種によって変わってきます。基本的には前足(決して馬鹿力のあるというわけではありません。右打ちの方ならば左足、左打ちの方ならこの逆になります。)の位置よりも前になりますが、グリップが厚く(面の向きと握る掌の位置が同じ向き)なればなるほど、打点は前になります。そのため、トップスピンでは厚め(イースタン・バックハンドくらい)、スライスでは薄い目(コンチネンタルくらい)のグリップというのが一昔前は主流でした。

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 ところが、現在のトッププロたちを見ると、トップスピンに関しては、セミウェスタン以上の厚めのグリップで打つ選手が圧倒的に多くなっています。(代表例はロジャー・フェデラーがその典型です。またウエスタン・グリップではグスタヴォ・クエルテン、リシャール・ガスケ、ジュスティーヌ・エナンなどがその例です。)そのため、グリップを考える場合、まずトップスピンとスライスでグリップチェンジするかどうかが問題になってきます。握り変えずに両方ともコンチネンタルで打つというのもひとつの手(ちなみにミーシャのトレーナーはこれでした。)ですが、トップスピンを打つにはある程度腕力が必要なので(手首を内側に折る動作が入るためで、手首の強さを要求されます。代表例はイワン・レンドル、しかしコンチネンタルよりはバックハンド・イースタンに近いように見えます。)、女性には適さない(とはいえ、ミーシャのお姉ちゃんはこれでトップスピンをバカスカ打っていました。)のですが、ネットでポイントを取るテニスを目指すなら十分メリットがあります。

 それ以外はグリップ・チェンジするパターンになるが、その場合は、はっきり変えたほうが良いんです。とくに将来バックハンドでもハードヒットできるようになりたいという人には、(初めはあまり厚くしすぎないほうが良いのですが…。)厚めのグリップのほうが有利だと言えます。それに対して、スライスがコンチネンタルでスピンがイースタンという小さな握り変えは、かえって中途半端でメリットが少なく、あまりお勧めできません。(でも、それは私です。)またグリップによって、トップスピンとスライスの役割分担も変わってきます。たとえば厚いグリップの場合、高いボールもトップスピンで苦にならないのでスライスを打つ回数を少なくできます。逆に薄いグリップでは、高いボールはスライスで返すことが多くなるので全体にスライスの割合が高くなります。逆に考えれば、スライスが得意な人は薄いグリップでも問題はありません。

 そして全然関係ないお話ですが、厳正なる投票の結果、明後日の試合に使うラケットはこちら。

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ウィルソン n シックスワン ツアー90
2004年夏から使用していたモデル、22%の向上というコピーが有名でしたが。ボールに乗る感覚に優れています。フェデラー自身はPWS(フレーム両サイドの膨らんだ部分)が4本(市販品は5本)のものを使用していましたが、これはより飛びやすくするためです。2006年に世界限定2000本で市販されました。

またこの企画はその翌週にもありまして…。

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ヨネックス R-24
1987年に登場したモデル。当時のコートでは結構見かけました。名品R-22の系譜を引き継ぐモデルです。

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そしてウェアは1989年、レンドルのシグニチャー・モデル、アディダスにとっては最後のモデルですが、花札のようなマークはイワン・レンドルのイニシャル。「I」と「L」を組み合わせたものです。(決して某五輪の盗作エンブレムではありません。)明るい色のものを明後日、暗い目のものを5月6日に使用します。

 ということで今日のお話はここまで。さて今週も後半です。ドタバタになりそうですが、そこは段取りよく終わらせましょという次第です。
(これ、ミーシャ、アンタのネタなんてだ~れも気にしとってやないんやわ、全くもう、それにアンタはなんでそんなにネタが古いものしかあらへんわけやの?)

35年前

 さて愛するタイガース、昨日は「死神を生き神にしてしまった」ことにグフフのフ、しかし上との差がなかなか詰まらない「つまらない」私。今日は水曜日、巨大建造物のお話。3枠目の今週は「サーキット」、今日はこんなお話です。
(これ、アンタが「つまらない」のはいつもの事やろ、ミーシャ。)

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 今月はこちら。ベルギーのサーキットで一番有名なところは「スパ・フランコルシャン」ですが、もう1つの有名どころ、ベルギー東部、オランダとの国境にほど近い、ヒューステン・ゾルダーというところにある「ゾルダー・サーキット」(Circuit Zolder)というコースがあります。1963年に開場、これまでに3度、改修されている(1974年、1986年、2002年)、全長4011mのコースです。

 1973年、1975年~1982年、1984年にF1ベルギーGPが開催され、F1のシーズンオフ時期に合同テストコースとしても使われていました。1983年からはツーリングカーのゾルダー24時間耐久レースが行われています。また自転車競技にも重きを置いており、2002年にサイクルロードレースの世界選手権大会(UCIロード世界選手権)がサーキットコース全てと周辺公道を接続した1周13.1kmコースで行われ、2010年からはシクロクロスの世界シリーズ戦(UCIシクロクロスワールドカップ)の一大会がコースの一部を利用して開催されています。

 そしてここを語るには外せない「ビルニューブの死」、今から35年前の1982年5月8日、9度目のF1ベルギーGPの予選2日目、ビルニューブはピローニが自身の予選タイムを0.15秒上回ったと聞くやいなや、再び予選アタックへと飛び出していきました。予選終了10分前ほどでした。ピローニのタイムを更新することができないままタイムアタックを続ける中、高速S字コーナーの後の長い左カーブでスロー走行中のヨッヘン・マスのRAMマーチに遭遇。マスはヴィルヌーヴの接近に気付き、レコードラインを譲ろうとしました。しかしビルニューブはレコードラインの外から抜いて行こうとし、結果として同じ方向(アウトコース)に動いてしまいました。(この時、ビルニューブの車は推定時速230km/hに達していたといわれています。)この後、ビルニューブの車の左フロントタイヤがマス車の右リアタイヤに乗り上げ、回転しながら宙に舞い上がりました。マシンは前部から路面に激突して150m垂直状態のまま横転して大破し、ビルニューブの身体はシートごとマシンから投げ出され、コース脇のフェンスに叩きつけられ、その夜、32歳の若さで死亡しました。この事故を受けて、コースは1986年に改修され、その事故のあった場所(コース図の(6)と(7)の間です。)にはシケイン上のコーナーが設置され、その名も「ジル・ビルニューブ・シケイン」となっています。現在ではDTMなどのツーリングカーなどで使用されています。

 ということで今日のお話はここまで。今日も元気にお仕事です。少々難儀な部分はありますが、今日も1日、頑張りましょ。
(ほれ、あんまし無理せんようにね、ミーシャ。)
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