ピロシキとルジニキ

 さて今日も真面目にお仕事、とはいえ、午後からの会議の関係でちょっと時間軸がずれたために、昼から出たのがちょっと遅くて、それでも最後は再び他人のレスキューやって、「何だか一杯ひっかけたくなってきた」ということで、徒歩30秒のスーパーに行って、寿司を買い込んできた私。今日は水曜日、巨大建造物のお話。2枠目の今週は「スタジアム」、今月のテーマ「ロシア」から、明日から始まる運命のFIFAワールドカップ(TM)からこんなお話です。
(これ、それでアンタはまたバカスカ買い込んできたんやろ、アンタがごっついキョドってるのはみんな噂しとってなんやわ、ミーシャ。)

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 今月はこちら。ロシア、モスクワにある「ルジニキ・スタジアム」(Luzhniki Stadium)です。1956年開場の収容人員は現在で78000人、開場当時は103000人収容でした。元々は陸上競技と兼用で、芝の外側にトラックがあったのですが、2013年の世界陸上選手権を最後に、5年後の2018年のサッカーのFIFAワールドカップ(TM)に向けての改修に入り、2017年、トラックを撤去した現在のものになりました。

 またこのスタジアムは、当初は「レーニン・スタジアム」と呼ばれており、1980年のモスクワ五輪のメイン会場として使用されました。その時に出たのがマスコット・キャラクターの「ミーシャ」、決して「Gが嫌いだ」とか「青い字のかっこの中身が結構下ネタだ」とか言ってるわけではありませんが、モスクワ五輪の閉会式の際にはこんな映像も世界に流れました。

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「世界の人々が集まるはずが、なぜか来なかった人もいた。」

 東西冷戦の最中、ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議してアメリカその他西側諸国は「ボイコット」という手に出ましたが、それを悲しんだマスコット「ミーシャ」が涙を流すくだりが出てきます。

 その後1992年、旧ソ連の崩壊のためにこのスタジアムは現在の「ルジニキ」という名前になりました。現在ではサッカーの試合でよく使われ、ロシア代表の試合や欧州カップ戦などの国際試合の他、ロシアサッカー・プレミアリーグに所属するスパルタク・モスクワとCSKAモスクワのホームスタジアムとしても使用されています。芝は人工芝が採用されており(この理由はロシアが芝の育ちにくい「寒冷地」ということにあります。)、2006年9月27日に当たスタジアムで行われたUEFAチャンピオンズリーグのスパルタク・モスクワ対スポルティングCP戦は、大会史上初の人工芝での開催ゲームとなった。ただ、2008年に行われたUEFAチャンピオンズリーグ決勝戦の開催時には、全面天然芝に張り替えられました。今回のワールドカップではイギリス・SIS社製のハイブリッド人工芝(SISGrass/シスグラス)が使用されます。(このハイブリッド人工芝というのは天然芝の補強材として人工繊維を打ち込み、そこに天然芝の根が成長して絡み合う仕組みです。透水性が向上することで芝生の健康な育成にも寄与します。イメージとしては「マープ増毛法」が一番わかりやすいかなと思いますが。)その他にコンサート会場としても使用されています。

 ということで今日のお話はここまで。これからちょっと1人「ご褒美」会です。そろそろワインも冷えてますが、明日はどうなりますか?今月はちょっと「ロシア・ネタ」が続くために中村先生にも聞いておきましょ。
(これ、アンタはまた何でそないなアホなネタしかできんわけ、全くもう!アンタが何を食べようが、世間様は全く関係ないんよ、ミーシャ。)

超大作

 さて愛するタイガース、昨日は予備日がまたもや雨、梅雨時期故に仕方がないといえばそれまでですが、でも去年の泥沼の最遠をふと思い起こした私。今日は火曜日、映画のお話。2枠目の今週は「ミーシャのマニアック映画劇場」、今月のテーマ「ロシア」から、今日はこんなお話です。
(ほれ、傘はちゃんと持っていっときや、ミーシャ。)

 まだロシアが「ソ連」と言っていた当時、国を挙げて国家事業として製作、撮影してロシアの文豪レフ・トルストイの代表作の1つである大河歴史小説『戦争と平和』を映画化した作品がありました。「戦争と平和」(原題 Война и мир(ロシア語)、War and peace(英語) 1965年、1967年)という作品です。4部構成で上映時間が6時間半を超す、構想5年、撮影3年(桃栗3年、柿8年でありません。)、総製作費3260万ルーブル(当時のドル換算で約3600万ドル・130億円)をつぎ込んだ超大作の映画です。

 4部のうち、前半2部を「第1部」、後半2部を「完結編」として日本では公開されました。そのあらすじはこんなものです。
(第1部)
1805年6月、帝政ロシアの首都ペテルベルグ。はなやかな社交界の話題の中心はナポレオンであった。若き公爵アンドレイ(V・チーホノフ)は、祖国の運命を思うにつけ、ロシアのために戦いたい情熱に燃えていた。一方、外国帰りの友人ピエール(S・ボンダルチュク)は、ナポレオンを尊敬している進歩派で、保守派の多い社交界の人々を、おどろかすのだった。彼は裕福な高官の落とし種で心の底に暗い影をいだいていた。悪童仲間ドーロホフとの、ささいないたずらがたたって首都追放の身になったピエールがモスクワの家に帰ると、父は危篤状態で、彼は臨終の床の父から実子と認められた。巨万の富が入ったが、同時に、時の権力家の娘で身持ちの悪い方で評判のエレンと結婚することになった。その頃ナポレオンのフランス軍はロシア軍に迫っていた。従軍し、ロシア・オーストリア連合軍の副官をつとめるアンドレイは、自分の中隊の兵士たちが、われさきに逃げだすのをみて、一人敵中におどりこんだ。しかし砲弾の炸裂に倒れ、意識を失った。ふと我にかえったアンドレイは、前線視察のナポレオンが馬を走らせるのをみた。だがその時の彼にとって、ナポレオンは、虚栄と名誉に執着した狂人の姿でしかなかった。一方ピエールは、愛と旧友ドトロホフとのスキャンダルに頭をいため、彼と決闘して傷を負わせ、妻には別居をいいわたした。アンドレイは、九死に一生を得て帰ったが、その夜、妻リーザは男の子を生んでこの世を去った。ピエールとアンドレイ二人の旧友は、再会しお互いに心の傷をわかちあった。1810年、ロストフ伯爵家の娘ナターシャ(L・サベーリエワ)は、18歳の春をむかえ、はなやかに社交界にデビューした。その夜こそはナターシャ一生の門出であり、アンドレイへの愛の門出でもあった。二人はワルツを踊り続けた。そして婚約、1年後の挙式を約束して、アンドレイは外国旅行にでた。しばらくは幸せにつつまれていたナターシャだったが、月日がたつにつれ、不安と焦燥にかられたのか彼女は、ハンサムな浮気男アナトリーと知りあい、はては駆け落ちの手はずまで整えた。婚約解消の手紙におどろいたアンドレイは帰国し、手紙をナターシャに返してほしいとピエールに依頼した。ピエールは重苦しい気持でロストフ家に行きいまや自分のおろかさに苦しむ、傷心のナターシャをいたわるのだった。ピエールは彼女を、少女時代からひそかに愛していたのである。1812年、この年ナポレオンは再びロシアに攻め込んできた。

(完結編)
1812年。ヨーロッパ征服の野望にもえたナポレオンは電撃作戦でロシアに侵入。むかえうつクトゥーゾフ将軍のひきいるロシア軍は、モスクワから110キロ離れた寒村、ボロジノにとどまり、運命を賭けた決戦の火ぶたをきった。見わたすかぎり大地をうめつくす敵味方、朝もやに砲煙と砂塵がまじりあい、流れる鮮血に小雨が降りしきる--さながら地獄絵のような戦場だった。過去の無益な生活を清算しようとするピエール(S・ボンダルチュク)も、祖国愛にもえるアンドレイ(V・チーホノフ)も戦場の非情を体験した。ロシア軍も、それまで無敵を誇ったナポレオン軍も半数近い兵力を失った。アンドレイのひきいる連隊も1/3の兵力を失い、アンドレイ自身も重傷を負った。救護所には片脚を切断し苦悶するアナトーリがいたが、アンドレイは、かつて、婚約者ナターシャを奪ったこの仇敵にも、すでに憎しみの感情を、おぼえなかった。クトゥーゾフ将軍は、すでに新しい戦闘は物理的に不可能と判断し、全面的退却とモスクワ放棄を決断した。避難するモスクワ市民。ただ、ピエールは、自分の目でモスクワの運命を見とどけるべく、とどまった。モスクワに侵入したナポレオン軍は、たちまち暴徒と化し、街は怒りをこめた市民たちの手で火がつけられた。ピエールはナポレオン暗殺を思いたった。全ヨーロッパに戦争をまきおこし、人類に不幸をもたらす張本人ナポレオンを。だが彼は放火容疑者として捕えられてしまった。その頃、モスクワの煙を遠くのぞむ百姓家でナターシャ(L・サベーリエワ)はアンドレイに再会した。涙にむせびながら、過去の裏切りの許しを乞い、献身的な看護にあたった。数日後、看護のかいもなく、アンドレイはすべてを許して息絶えた。一方ピエールは、偶然に銃殺をまぬがれ、捕虜収容所に移された。そこで一兵士カラターエフと知り合い、単純素朴に生きる、この農民兵の、ものの考え方に深い感銘を受けた。彼こそロシアの民衆そのものの姿であった。ちょうどその頃、ピエールの妻エレンは、首都ペテルブルグでの派手な生活のすえ、薬の服用を誤り急死した。モスクワを掌中におさめたナポレオン軍はクトゥーゾフ将軍に軍使を送り、とり引きをはかったが将軍は拒絶。雪と飢えとに悩まされながら、ナポレオン軍の撤退が始まった。ロシアは国をあげて反撃にたちあがった。追撃の手をゆるめぬクトゥーゾフ将軍。奇襲をかけるパルチザン部隊。奪い返した捕虜の中にはピエールもいた。ロシアはやっと自分たちの祖国から侵入軍を追い出すことができたのである。ピエールはナターシャに再会した。そして、いまこそピエールは、人間は幸福のために生れたことを知ったのである。

 という長い、長~いお話ですが、1960年代当時の映画では「ベンハー」が1500万ドル(54億円)、「史上最大の作戦」が1200万ドル(43億円)、「クレオパトラ」が4000万ドル(154億円)の製作費でした。しかしこの映画には当時のソ連がコスト度外視の国家事業として製作に全面的に関わっており、実際のところは公表された製作費以外にも経費がかかっています。(そりゃそうですな。)その後の物価の上昇度合いから換算すると、7億ドル(日本円に直して770億円、1ドル=110円として計算しています。)に相当し、史上最も製作費のかかった映画とされています。(ちなみにこの7億ドルの映画製作費というのがどんなものかというと、歴代1位の「パイレーツ・オブ・カリビアン」のの第3作、「ワールド・エンド」(2007年)で3億3000万ドルです。その倍以上の高額をつぎ込んだわけですな。)戦闘シーンは当時のソ連赤軍が全面協力、12万人を超えるエキストラを動員してという「お化け」映画です。(共産圏の作品って、結構こういう無茶をやってしまいがちのため、意外と迫力に満ちたものになりやすいんです。) 

 この作品はテレビの深夜枠で見たことがあります。ただ、やたらと長いために、間延びしてしまったような気もします。この10年前に西側でも製作されましたが、やっぱりこっちの方が優れているような気もします。

 ということで今日のお話はここまで。雨も上がりました。今日も1日、森の中をひた走るわけですが、「無味乾燥」とならないように、安全に「完走」しましょ。
(これ、ミーシャ。アンタのこのお話こそ、「無味感想」やないの、ただ長~いだけの文章をダラダラ書いてんやないんよ、全くもう!!)

重たい、長持ち

 さて今日は雨の中でのお仕事、これまた救助に行って、何とか終わらせてきた私。どうしても週明けの月曜日はこんな感じになってしまいます。そのため、なかなかプールに行ってないわけなんですが、今日はその月曜日、プールのお話。2枠目の今週は「考察」、今日はこんなお話です。
(まぁというても週明けはそないなってしまうわね、ミーシャ。)

 プールで使う水着、どうしても時間とともに「劣化」(そのほとんどは「ポリウレタン」の劣化です。)してしまいます。水をはじくはずが、実は吸っていたとか、伸びたり、たるんだりしてフィットしなくなったとか(間違っても私のことではありません。)、これは使えば使うほどそうなってしまうためなんですが、最近では「レースと練習は別の物を着る」という例が多いんです。この「練習用水着」は水着の劣化の原因であるポリウレタンを使わずに、ポリエステル100%の素材を使用することで、長持ちします。 一般的にはポリエステル100%だと、ストレッチ性が劣るのですが、近年ではポリエステル100%でありながら、伸びがいい素材が開発されています。楽しく個性的な柄(女の子はな~ぜかド派手な柄とかディ×ニー柄とか、な~ぜかキ×ィちゃんとかミッ×ィーちゃんは出てきません。)、ローカットや肩ヒモタイプなどのスタイルがバリエーション豊富なのも、練習用水着の特徴です。

 またこの水着は結構水を吸うために重くなります。水着自体を重くすると、これでもかってくらい泳ぎは進まなくなりますね。昔はバケツを引っ張って泳いだりしたこともあったわけですが、便利な時代になったものです。それほどタイムに影響があるわけではないのですが、レース用の水着よりはやはりタイムは遅くなります。普段の練習でスプリントのタイム測定をするときなんかは、やはりレース時よりはタイムを落とすでしょう。練習用水着でどのくらいタイムが落ちるのかを考えていないと、大会直前にタイムが伸びなくて自信喪失・・・なんて選手も現れるので、ちょっと厄介な部分もあります。

 ということで今日のお話はここまで。なかなか難しい部分もありますが、明日のシンガポールはどうなりますか?その前に、そろそろ晩ごはんにしましょ。
(これ、あんまし飲んでば~っかりではいかんよ、ミーシャ。)

実物大のラジコン

 さて愛するタイガース、昨日はカモメにサヨナラ勝ち、さらにはその夜はあの「爆乳根性娘」、ハレプが4大メジャー初戴冠のテニスを見ていたわけですが、しかしその裏で、上が大騒ぎのお仕事は本来の枠を終わって、再びサンダーバードしてきた「カモメはカモメ」な私。今日は日曜日、ミニカーのお話。2枠目の今週は「F1」、今日はこんなお話です。
(これ、どこが「カモメ」やの、ミーシャ?)

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 F1史上に残る圧勝劇をやった1992年シーズンのウィリアムズ、しかしその翌年は当然他チームもハイテク搭載のモデルが出てくる関係上、その優位さは薄まるわけですが、そこで送り込んだものが「FW15C」(1993年)です。元々は1992年用のモデルでしたが、前作FW14にアクティブ・サスペンションだけつけた14Bが思ったよりも使えるということでそのシーズン丸々、それで行ったために15は翌1993年シーズン用に投入されることになりました。しかし、1993年には各種規定の見直しから、それに合わせた修正が入ったために後ろに「C」が付きました。(リヤウイングの高さが低くなった、後ろのタイヤの幅が18インチから15インチになったなどがあります。)

 前作14Bはアクティブ・サスペンションを載せるために前のサスペンション部分に出っ張り(コブ)がありましたが(ここで「ラクダのコブ」というスポンサーに対しての忖度をしているわけではありません。)、15はすっきりと納まっています。さらにそのアクティブ・サスペンションは改良型が登場し、距離センサー付きになりました。これによりサーキットのどこを走っているかを検知し、ピッチ(揺れ)やライドハイト(車高)を全てコントロールしていました。ホイールロックが発生すると距離センサーが正確な値を計測できなくなるため、ABSを搭載していました。ハイテクが多才的に装備されたマシンという事もあって一部のマスコミからは「実物大ラジコンカー」と言われていました。さらに無段変速トランスミッション (CVT) のテストも行っていたのですが、翌年からのハイテク禁止によりお蔵入りとなりました。(この際のデータでは、通常のトランスミッション(6速セミAT)を持つマシンよりもサーキット1周に付き数秒は速くなったといわれています。その際のCVTは市販車用として開発中のものが使われていました。そこで問題になるのが「F1エンジンの馬力にCVTのベルトが耐えられるか?」という問題でしたが、F1用としても予選、本戦併せて数時間ならば大丈夫であると予想されていました。むしろ逆にCVTの耐久性よりも、常にエンジンが最高出力付近で使われる(使える)ためにエンジンの耐久性の方が心配されたといわれています。)

 そして迎えた1993年シーズンは1年間の休養から復帰したアラン・プロストと、テストドライバーから昇格したデイモン・ヒルがコンビを組みました。前年チャンピオン不在のためカーナンバーは「0」と「2」となるのですが、プロストはフランス語で無能を示唆する「0」ではなく「2」を選びました。(事実、プロストにとって「2」は相性も良く、過去3度の世界チャンピオンになった内の2回は車番「2」でした。(1985年、1989年))過去3度の世界チャンピオン、最強のハイテク車とくれば、どう転がしてもプロストの圧勝?と思いがちですが、そこはそれ、そうなってしまっては面白くもなんともないわけで、シーズン前半戦は雨のレースが連続したこともあり、雨のレースを得意とするマクラーレンのセナに活躍を許してしまいます。復帰第1戦となる開幕戦南アフリカGPこそ幸先良く勝利するが、その後のレースではセナに先行されてしまします。極め付けは第6戦モナコGP、ここではポールポジションを獲得するも、スタートでフライングと判定され、ペナルティストップを命じられた際にエンジンをストールさせて大きくタイムロス、2周遅れの最下位からファステストラップを記録しながら追い上げたものの、1周遅れの4位に終わります。しかしその後は第7戦カナダGPで優勝してポイントリーダーに返り咲くと、第10戦ドイツGPにかけて自己最多の4連勝を記録、ドイツGPでは通算51勝目(当時の最多記録、現在の記録はミヒャエル・シューマッハの91勝です。)を挙げましたが、結果的にこれが現役最後の勝利となります。またまたここで出てきたのが同じ車に乗っている「才能の遺産相続」「一人高度経済成長」デイモン・ヒル、第8戦フランスGPで自身初のポールポジションを獲得したのを皮切りに、第11戦ハンガリーGPから第13戦イタリアGPまで3連勝を飾る(さらにこのイタリアGPはプロストがマジック1、勝てば世界チャンピオンという状態だったのですが、まさかのエンジン・ブローでした。)など、終盤戦までタイトル争いがもつれることになりました。(この理由については諸説ありますが、初めて経験するアクティブサスペンションの挙動に慣れるのに時間を要したことや、ライバルチームもハイテク装置を装備してウィリアムズの優位性が縮小したこと、この車のクラッチの扱いに手こずり何度かエンジンストールを演じて大幅に順位を落とした事が数度あったこと、ペナルティやトラブルでポイントを失ったことなどがあります。)そして第14戦、ポルトガルGPでプロストは4度目のタイトル獲得決定、そしてシーズン終了を最後に現役を引退し、ウィリアムズは1992年から1993年にかけて24連続ポールポジションという記録を残し、F1マシンの電子制御の進化を牽引しました。またこの年をもって、当時のタイトル・スポンサー、キヤノンが降板、1985年から8年間続いた黄色、青、白、赤のカラーリングもこの年までになりました。(この降板の理由は表向きは「経営方針の転換」「不況による」と言われていましたが、実際のところは翌1994年のタイトル・スポンサーとしてロスマンズ(煙草)が内定しており、その過程でウィリアムズはキヤノンに対し、何の相談もしていなかったことにキヤノンが激怒したためです。案外ウィリアムズって、そういう面は一流ではない点が多々見られます。)

 ミニカーはアオシマのもの(2011年)、そしてここでも出てきた「お楽しみの」諸元はこんなものです。

車名          FW15C

デビュー        1993年
全長          4250mm
全高          1003mm
全幅          2000mm
ホイール・ベース    2921mm
トレッド(前)     1670mm
    (後)     1600mm
車重           505kg(燃料、ドライバー含む)

エンジン        ルノー RS5
形式          水冷レシプロ V型10気筒 DOHC4バルブ(ニューマチック・バルブ)
総排気量        3493cc
ボア×ストローク    93×51.5(mm)(推定)
Vバンク角       67度
最大出力        780馬力以上/13,800rpm以上(推定)
圧縮比         
燃料噴射システム    マニュエッティ・マレリ社製 電子制御
点火システム      マニュエッティ・マレリ社製 電子制御

燃料          エルフ
オイル         エルフ

駆動方式        後輪駆動方式
変速機         ウィリアムズ社製 前進6速 セミ・オートマチック縦置き(+後退1速)
差動システム      ZF社製 リミテッド・スリップ・デファレンシャル

シャシー        カーボンファイバー・モノコック
サスペンション(前)  独立懸架 ダブル・ウィッシュボーン式プッシュ・ロッド(+アクティブ・ライド)
       (後)  独立懸架 ダブル・ウィッシュボーン式プッシュ・ロッド(+アクティブ・ライド)
ブレーキ        4輪ベンチレーテッド・ディスク(+ABS)
ステアリング      ラック・アンド・ピニオン
タイヤ         グッドイヤー
ホイール        O.Z 13インチ
燃料タンク容量     210リットル 

デザイナー       パトリック・ヘッド/エイドリアン・ニューウェイ
ドライバー       デイモン・ヒル/アラン・プロスト

 ということで今日のお話はここまで。今日は町内会の廃品回収です。2週目の日曜日はこんな日になるわけですが、最近、野菜不足なもので、ちょっと考えておきましょ。
(これ、ミーシャ。「町内会の廃品回収」って、単にウチとこのものをすぐ下まで下ろしてくるだけでしょ、そんなさも「私、大変なんです~」とか言うて、「悲劇のヒロイン」を演じてんやないんよ、全くもう!)

 

 

タラちゃんのはとこ

 さて愛するタイガース、昨日はバードの大爆勝で、雨の日の後の不敗神話はまだ続くよという中、今日はお休みの私。今日は金曜日、グルメのお話。1枠目の今週は「食材」、今月のテーマ「ロシア」から、こんなお話です。
(これ、ま~た今日もその怪しい入りから、今日もこのお話は始まっていくわけやね、ミーシャ。)


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 今月はこちら。「イクラ」です。サケの魚卵で、筋子の卵巣膜(卵を包む薄い膜)を取り除き、産卵前の熟した卵を1粒ずつに分けたものを特に指して呼びます。ちなみにこの「イクラ」とはロシア語(икра, ikra)が語源でして、あるとき、ロシア人が粒状にばらしたサケの卵を「イクラ」と呼んでいるのを見た日本人が、これを「イクラ」と呼ぶものと思ったことに由来するとされ、実際、筋子と区別するのに都合がよかったために「イクラ」と呼ばれるようになったとされます。(ただ、ロシア語が語源のものはあまりイメージがよくないものがほとんどですな。例えば「ノルマ」(Норма, Norma)、「カンパ」(кампания kampaniya)、「インテリ」(интеллигенция、Intelligentzia)など大衆運動、労働運動的なネタで出てくる例です。)

 シーズンは秋、10月ぐらいからになります。一般的には加熱加工せず、塩漬けや醤油漬けにして食べるのですが、世界的に見ても食べるのは日本だけです。また子供さんの大好きな寿司ネタでよく出てきますが、よく言われる噂の一つが「そのイクラは人造である。」りますというネタがありますが、これは「ガセ」です。人造イクラ(人工イクラ)とは、いわゆるコピー食品の一つですが、これを世界で初めて生産に成功したのは、富山県魚津市の日本カーバイド工業なる会社です。収穫量の少ない天然物の代わりとして、サラダ油と海草エキスを主原料とした人造イクラも出回ったことがあります。見た目、口当たり、味、ともに本物のイクラとほとんど見分けがつかないのですが、本物のイクラは熱湯をかけるとタンパク質が変化して表面が白く濁ります。しかしながら現在では、人造のコストよりも天然ものを利用したほうが安いので、市場に流通することはまずありません。そのため、寿司ネタのイクラが「人造」というネタに根拠は全くありません。(ただ、人造を期待するものには「原油」があります。ナチ党政権下のドイツではかなりの量を製造していたのですが…。)

 ということで今日のお話はここまで。明日がちょっとドタバタになりそうなので、今日のうちに書いておきましたが、なかなかのんびりとはいかないもので、梅雨空もスカッとさせましょかという次第です。
(これ、そこで「レモン・スカッシュ」とか飲んでんやないんよ、アンタは「スカタン」なんやからね、ミーシャ。)
 
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