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5代目はクラシック

 さてお仕事終わらせて、歯医者に行って、ラケットを拾いに行って、この時間からお食事という「肥満度高い」私。さらに、私が知りすぎているのか、周りが知らなさすぎるのかに悩む今日は木曜日、巨大建造物のお話。1枠目の今週は「野球場」、今日はこんなお話です。
(これ、そんなにボヤかんでも、ミーシャ。)

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 今月はこちら。アメリカ、ペンシルバニア州ピッツバーグにある「PNCパーク」(似たような名前が「駐車場」にありますな。)という球場です。メジャーリーグのピッツバーグ・パイレーツの5代目の球場です。2001年に開場、収容人員38200人、センター121.6m、両翼99m/97m、レフト側の方が若干広い(当然左中間も深くなります。)内外野天然芝の球場です。この「PNC」とは地元の金融会社で、2020年までの向こう20年間の命名権を得ています。

 それまでの球場であるスリー・リバース・スタジアムがアメフトとの兼用球場だったため、ファンからの不満が次第に増えていったため、1996年に、野球とアメフトそれぞれの専用球場を建設する計画が立ち上がりました。1999年にそれぞれの球場の建設が始まりました。 とはいえ、公金を投入することになったのですが、建設費を極限まで抑えて建設されました。内装や電気工事、塗装など各項目ごとにすべて入札できめました。(これには地元経済を活性化させる狙いもありました)さらにファンからも寄付を募り、実際に寄付してくれたファンの名前を球場わきの舗道のレンガに記すことで名誉を称えました。(最近では日本でもこういう例はありますな。)

 スタンドから景色がきれいに見渡せるようにとスコアボードは端っこに寄せられ、センターからライトにかけては照明が1本もないという念の入れようです。実際に球場に足を踏み入れると確かにこじんまりした印象を受けます。クリーム色の石灰岩を使用したもろクラシックな外観にネイヴィで統一されたシートや照明、鉄骨のコントラストが絶妙に美しく、内野席からは市内中心部のビル街まで一望できるという景色の良さです。

 ということで今日のお話はここまで。そろそろおねむの時間ですが、明日もまた、頑張りましょ。
(ほれ、今日はどんな一日やったんかな、ミーシャ?)

バレーボールに鯉してる

 さて今日、明日が一番しんどいお仕事、先週の水曜日から数えて10連投の8日目ですが、それを何とか終わらせて、何を思ったか大真面目にお皿を積み上げ、ラストにスイーツで締めてきた「スイーツ男子」な私。今日は水曜日、巨大建造物のお話。4枠目の今週は「アリーナ」、この間のバレーボールでも使われたこんなアリーナのお話です。
(これ、どこが「スイーツ男子」よ、アンタは単に食い意地張り倒しているだけやないの、ミーシャ。)

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 今月はこちら。広島県広島市にある「広島県立総合体育館(大アリーナ)」、俗に「広島グリーンアリーナ」と言います。広島の市街地のど真ん中、かつての「広島市民球場」の北隣にあります。(1枚目の画像を参照、かつての球場が見えますね。)収容人員10000人、1962年(昭和37年)に開場しました。その後、1994年の広島アジア大会用に改装され、名前も「広島県立総合体育館」と改められました。広島県最大の体育館であり、スポーツを始め、芸能や音楽などあらゆるイベントを開催しています。 Vプレミアリーグ男子・JTサンダーズの公式戦会場の一つです。

 元々、この周辺は江戸時代、広島城の本丸に隣接した区域で武家屋敷が広がっていました。明治になり陸軍第5師団が置かれると、一帯は師団司令部や西練兵場、砲兵隊、歩兵11連隊、陸軍病院などの施設に占められ軍都広島の中核となりました。しかし1945年8月6日の原子爆弾の投下により、爆心地に近いこの地域は灰燼状態となってしまいました。 戦後、この一帯は中央公園として整備が決定し、公園用地に応急住宅を建設するなどしました。この際にこの体育館も建設されています。

 また、このJTサンダーズの前身である専売広島時代からバレーボールが盛んな土地柄であるため、古くから世界選手権・ワールドカップなど男子バレーボールの国際大会会場として利用されています。(ちなみに女子もJTマーヴェラスというチームがあります。)1994年広島アジア大会では、バレーボールと体操会場として1996年のひろしま国体ではバレーボールと弓道の会場となりました。他にも旧広島県立体育館の頃より格闘技興行も盛んに行われ、プロボクシング・プロレスやK-1会場として利用されています。その中でも2009年に起こった「三沢光晴のリングで死亡事故」の場所としても有名です。

 ということで今日のお話はここまで。何だかんだとやることは盛りだくさんですが、明日も頑張りましょ。
(ほれ、あんまし欲張ったらいかんよ、ミーシャ。)

ブドウの城

 さて今週末の検定試験の絡みで、最近あれこれと「多忙な」私。今日は水曜日、巨大建造物のお話。3枠目の今週は「お城」、今日は今月のテーマ、ラグビーからちょっと無理やり感はありますが、こんなところを語ってみましょ。
(これ、アンタは「多忙」やなくて「脂肪」の方やろ、あっ、「死亡」やったかな、ミーシャ?)

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 ラグビーの名門、ここら辺では常翔啓光学園(大阪府枚方市)、その昔であれば伏見工業(京都)などがありますが、山梨県に「日川」という公立の学校があります。卒業生にはなんと「科学で説明できない強さ」ジャンボ鶴田などがいますが、この山梨県から今日は「新府城」というお城についてお話したいと思います。

 山梨県韮崎市にある「新府城」は、武田勝頼が1581年(天正9年)頃から築城をはじめ、同年12月に躑躅ヶ崎館(史跡武田氏館跡・山梨県甲府市)から移り住んだ城です。父の武田信玄は「人は石垣、人は濠、情けは味方、仇は敵なり」ということで、本城の甲府、躑躅ヶ崎館にはあまり城郭としての機能を持たせていなかったのですが、信玄の死後、武田家を巡る情勢の悪化に伴い築城されました。翌1582年の3月には、織田氏・徳川氏が包囲網を狭める中で、勝頼は岩殿城(山梨県大月市)を目指し、新府城に火をかけ廃城になったと伝わっています。武田氏滅亡後は、徳川氏が天正壬午の乱で陣城として利用したと記録されています。勝頼の在城はわずか3か月足らずでしたが、近年、周辺で新府城と同時期の屋敷跡の遺跡(隠岐殿遺跡)が発掘され、新たな府中の地としての初めの頃の様子が本城を含め周辺に埋もれていると思われます。1973年(昭和48年)、周辺は史跡に指定されました。

 なお、武田氏の滅亡により甲斐は徳川氏が領し、徳川氏は元々あった甲府の躑躅ヶ崎館を本拠としました。1590年(天正18年)の小田原合戦により後北条氏が滅亡すると、豊臣政権に臣従していた家康は関東へ移封されます。その後、関ヶ原の戦いを経て甲斐は再び徳川氏が領し、近世を通じて甲府城は甲斐の政治的中心地となり、新府城は廃城となります。 江戸時代になると甲府がメインの地となり、この辺りは何にもない地になります。江戸時代には甲府藩が設置され、徳川一門が領主になったのですが、1704年(宝永元年)には甲府藩主・徳川綱豊(家宣)(以前に出てきた「御両典」ですよ、どこに書いてあったかはよ~く探しときましょう。)が将軍・綱吉の後継者になると、綱吉の側用人であった柳沢吉保がその後任として甲斐・駿河領国に15万石余りの所領と甲府城を与えられます。1724年(享保9年)、吉保の子、吉里が大和郡山(奈良県)に国替えになった後は、この地は再び幕府直轄領化され甲府町方は甲府勤番(宰領の勤番支配は着任後数年で小姓番頭とか長崎奉行とかに栄転するのですが、その下の勤番士は転任の道が閉ざされ終生を甲州勤務で過ごすということになっていました。そのため人選に困り、結局は過去において何らかの罪状、悪事、不届きの行跡を残した旗本達を一種の追放懲罰で甲州送りにすることになったようなのです。「甲府勤番山流し」などと言われたゆえんです。よく時代劇なんかでも出てきますな。)よる支配、在方は三分代官支配となり、幕末に至りました。

 ということで今日のお話はここまで。あまり意識しても逆効果になるわけで、その辺は自然体で過ごしましょ。
(せやね~、というても頑張らんといかんよ、ミーシャ。)

世界一の黒

 さてお仕事から帰ってお洗濯、その中で「あれ、もう1枚あったはずが?」と思って、「ひょっとしたら?」と背筋が凍りかけた中、干している最中に「あれ、ちゃんとあったわ♡」でやれやれの中、今日も真面目にプールで搾ってきた「確証のない」私。今日は水曜日、巨大建造物のお話。2枠目の今週は「スタジアム」、今月のテーマ、ラグビーからこんなお話です。
(これ、ちゃんと見とかんといかんよ、ミーシャ。)

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 世界最強のラグビーチーム、ニュージーランド代表チーム、俗にユニフォームの色から「オールブラックス」(All Blacks)と言われます。シダの葉(シルバーファーン)のエンブレム、試合前の「ハカ」と呼ばれる儀式その他で有名ですが、その本拠地が今月のお話、ニュージーランドのオークランドにある「イーデン・パーク」(Eden Park)と呼ばれるスタジアムです。1910年開場のニュージーランドで最も大きなスタジアムです。収容可能人数は5万人、メインスタンドとバックスタンドの客席は可動式で、取り外すことで6万人が収容可能となります。オークランド・クリケット、オークランドラグビー協会、スーパーラグビーのブルースの本拠地となっています。過去には1987年、2011年のラグビーのワールドカップの会場として使用され、2015年にはクリケットのワールドカップの会場としても使用されました。ラグビーやクリケットの他、サッカーなど各種スポーツの競技場として利用されています。現在のものは2005年に改築されたものです。

 そしてニュージーランドを表す色は正式には「パパイヤ・オレンジ」、F1のマクラーレンが一時、この色を使っていましたが、これは創始者、ブルース・マクラーレンがニュージーランドの出身だったことからです。とはいえ、現在ではラグビーその他が示すように「黒」、バスケットボールの代表チームの愛称は「トール・ブラックス」(Tall Blacks)、ニュージーランドのもう1つの国技、ヨットのアメリカス・カップのシンジケートも愛称は「ブラック・マジック」(現在の正式の名前はスポンサー名が入って「Fly Emirates Team New Zealand」と言います。)、船体は黒、帆にはシルバーファーンが描かれています。と言っても「オレンジと黒」だからけしからんというわけではありません。(また、このチームは何かあるとすぐにタオルを回したり、すぐに人のものをお金で持っていったり、賭博も泥酔状態の暴行もはたまた同僚のロッカーから盗み出した道具をリサイクル店で売却したりもしていません。)

 ということで今日のお話はここまで。とりあえず、「やれやれ」という中ですが、今週は連投続きになります。休める時に休んでおきましょという次第です。
(ほれ、あんまし無理せんようにね、ミーシャ。)

昔の虎の巣

 さて愛するタイガース、昨日は泥沼の中で第1ステージ突破して、今度こそけしからん某全国紙をボコしてもらわんといかんわけですが、この「神がかった」結果に「いつこの反動が来るか?」をビビる私。今日は火曜日、順番入れ替わった都合の巨大建造物のお話。1枠目の今週は「野球場」、そのタイガースから、こんなお話です。
(これ、アンタは自転車でよういっとったね、ここへさぁ、ミーシャ。)

になきはか浜田

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 現在の阪神タイガースの練習場は西宮の「鳴尾浜」ですが、その昔、1995年までは甲子園から東に3.5kmほど行った尼崎市の「阪神浜田球場」という球場を練習場に使っていました。国道2号線沿い、その近所にはボーリング場と阪神バスの車庫がありました。1979年開場、元々は路面電車の車庫でした。その跡地には最終的には商業施設が建つ予定でしたが、許認可の関係でそこまでの間が「土地が遊ぶ」ことになり、(ここから北東へ3kmほどいった「つかしん」(グンゼ塚口工場跡地)の許認可が片付かない限り、新規の申請は受け付けないと言われたからです。)ここを二軍の本拠地および練習場として使用することになり、1979年から使用開始されました。 その後、施設の老朽化やグラウンドの狭隘化などのため、1995年に阪神鳴尾浜球場に移転しました。移転後も球場自体は残され、地元の草野球・少年野球の愛好家に開放されていたものの、2016年をもって球場は閉鎖され、解体されました。跡地には物販販売・飲食店舗が整備される予定となっています。(また昔は、選手が甲子園まで「ロードワーク」で走っていたのを見たこともあります。)

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 そしてここの笑えるお話が1つ、この球場は国道2号線沿いにあります。神戸方面からくる場合、「浜田町4丁目」という交差点を右へ曲がるわけですが、この画像のようにこの交差点には兵庫県警の尼崎西警察署(当時 現在は尼崎南署 西分庁となっています。)があります。ここでとんでもない人物が「スピード違反」で検挙されることになります。

 今でも「教祖」とあがめる方も多い、「阪神タイガース史上最高の外国人選手」、ランディ・バース、今では何と州の上院議員ですが、1987年、浜田グラウンドでの練習にかけつけるために、旧虎風荘に駐車していた愛車、ダッジ・デイトナ(バースはトヨタ・クラウン(7代目 S120型)も所有していました。1985年の日本シリーズでMVPの副賞としてもらったものです。)で尼崎の浜田球場に向かいました。武庫川を渡ってから国道2号線の「スピード違反取り締まり」にひっかかってしまいました。ストップをかけてみたら…バースだった!というかなり「当時は」笑えないお話もありました。(また、本名は伸びない「バス」ですが、球団の親会社はバス事業も持っていたため、好調時に「阪神バス大爆発」(ただ、バースは足が悪かったために「阪神バス、エンスト」とか、怪我をしたときに「阪神バス故障」、不振時に「阪神バス急ブレーキ」「阪神バス大渋滞」などとマスコミに揶揄されるのを嫌った球団側の配慮で、あえて音を延ばした「バース」を登録名としました。)

 ということで今日のお話はここまで。焦らず、慌てずで明日も頑張りましょ。
(ほれ、みんな応援しとるよ、ミーシャ。)
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