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アボリジニの星

 さてあわただしい中でも、時間は過ぎてゆく中で、最近、狭い世界の関係にちょっとお悩みの私。今日は木曜日、テニスのお話。2枠目の今週は「選手」、今日はこんなお話です。
(ほれ、あんまし気にしなや、ミーシャ。)

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 今月はこの方。1970年代のオーストラリアの名選手、イボンヌ・グーラゴング(Evonne Fay Goolagong Cawley)という方です。1951年7月31日、オーストラリア、ニューサウスウェールズ州グリフィズの生まれ、右利き、バックハンド片手打ちのこの方、オーストラリア原住民・アボリジニの女子スポーツ選手として初の世界メジャー選手。「アボリジニ女性の星」と賞賛されました。(同様の例は2000年代の陸上女子400mのキャシー・フリーマンがいます。)1970年代に4大メジャー7勝、世界ランク1位にもなった選手です。

 アボリジニの貧しい家庭で、8人兄弟の3番目の子供として生まれた。彼女の家族はシドニー市の西方にある羊の牧場で、羊毛刈りの仕事に携わっており、テニスとは全く無関係でした。ある時、同じバレラン(Barellan)の町に住んでいた人が、フェンス越しに近くのテニス・コートを眺めていたイボンヌを見つけ、テニスを勧めたのがテニスをはじめるきっかけとなりました。

 そして1970年にプロ入りし、翌1971年にUSオープン以外の3度のグランドスラム決勝に進出し、2勝しましたがその翌年、1972年にも、やはりUSオープン以外の3度の大会で決勝に進出したのですが、オーストラリアでバージニア・ウェイド、全仏とウィンブルドンでアメリカのビリー・ジーン・キングに敗れてしまい、3大会連続の準優勝に終わる。そして彼女は、次の1973年にも地元の全豪と初めて進出する全米の2回、グランドスラムの決勝戦に進出するが、2回とも同じオーストラリアのマーガレット・コートに敗れてしまい、前の年と合わせてグランドスラムの決勝戦での5連敗を喫することとなります。

 この時代、コートとキングは、まさにこの時代を支配していた選手と言えます。プロ選手が参加するようになった1968年のオープン化以降、1973年までの6年間で開催された23回のグランドスラムのうち、コートとキングのどちらかが決勝に進出していた大会は実に20回、この間、コートは年間グランドスラムも達成した6連続優勝を含むグランドスラム11勝、そしてキングも6勝(1974年以降にさらに2勝を上積みしています。)をあげているます。特に2人のキャリア終盤にあたる1972年の全仏オープンから1973年のUSオープンまでは、7大会連続でキングか、コートのどちらかが優勝するという状態が続いていました。これら7つの4大メジャーの決勝戦でキングとコートの直接対決は一度もなく、キングは7大会中、4度決勝に進出して4回、コートは3度決勝に進出して3回のグランドスラムタイトルを獲得しています。(当然2人とも、勝率は100%、「出たら勝つ」状態ですな。)グーラゴングのグランドスラム決勝戦での連敗は丁度この時期に重なってしまいました。

 そして、コート、キングがツアーを離れた後、今度はエバートやナブラチロワという新世代のチャンピオンが時を置かずに登場して来て、グーラゴングは彼女たちとグランドスラムのタイトルを争うようになります。グーラゴングが名選手であることは間違いないのですが、立て続けに登場する強力なライバル達に苦戦したことも事実です。オープン化以降、グランドスラムの決勝を10回以上戦った女子選手の中で、グーラゴングの7勝11敗(勝率38.8%)という数字は、4勝8敗(勝率33.3%)のアランチャ・サンチェスに次いで2番目に低い数字です。(ちなみに最高勝率はコートの24勝5敗(勝率82.7%)です。)その一方で、グーラゴングのグランドスラムでの準優勝11回という数字は、エバートの15回、ナブラチロワの14回に次いでオープン化以降3番目に多いんです。たとえ準優勝だとしても、この数字を積み上げることが簡単ではないことは言うまでもありません。そして1983年、32歳で現役を引退しました。現在のグーラゴングは夫のロジャーと「イボンヌ・グーラゴング財団」を運営していて、テニスを通してアボリジニーの子供たちの健康、教育、雇用を支援しています。

 ということで今日のお話はここまで。今月はちょっとドタバタになりそうですが、締めるとこ締めまして、乗り切りましょ。
(ほれ、あんまし無理したらいかんよ、ミーシャ。)
 
 

長さと選択

 さて週末に来る台風のために、土曜日のお仕事がなくなったことにちょっと安心、でも最近、ちょっと色々とお悩みの私。ウチとこの職場は口の軽い輩が多いために、下手にしゃべるとロクなことにならない、また権限のある者に限ってそんな傾向が強いために、頭を悩ませていますの今日は木曜日、テニスのお話。1枠目の今週は「道具」、その「選択」からこんなお話です。
(まぁ、そないにボヤかんと、何かあったんかな、ミーシャ?)

 テニスのラケット、大人が使うものは27インチ(68.58cm  1インチは2.54cmと考えてください。)がほとんどですが、子供向けのものにはこんなサイズがあります。

19インチ(48.26cm)   身長95cm~105cm   素材はほとんどがアルミ製です。

21インチ(53.34cm)   身長95cm~115cm

23インチ(58.42cm)   身長105cm~125cm

25インチ(63.5cm)    身長115cm~135cm   この辺からカーボン素材も増えてきます。

26インチ(66.04cm)   身長125cm~145cm

 ただ、最近言われているのが、「手を下ろしてラケットを持って、そのラケットの先が地面につく長さ」を選べば間違いないといわれます。 

 とはいえ、身長だけでは選ぶ基準が弱い、そこで出てくるのが「ボール」です。大人用の普通のボールを含めて4種類ありまして、体格やレベルに合わせて、使用するボールが変わっています。これに合わせるっていうのも、ジュニアテニスラケット選びの基準のひとつになります。

(1)RED(年齢3~8歳)      ラケットサイズ:19~23インチ

(2)ORANGE(年齢7~11歳)  ラケットサイズ:23~26インチ

(3)GREEN(年齢8歳以上)    ラケットサイズ:25~26インチ

となっています。

 この辺りを掛け合わせて選べばいいかなと思います。またある程度以上の年齢からテニスを始めた場合は大人用の軽い目のものでも十分使えると思います。ちなみにミーシャはかなり遅くにテニスを始めたために、普通に大人用のラケットを振り回せました。小学生の段階で170cmを超えていた(でもまだ腕も足も今と同じように、細いまんまでした。)ために、バックハンドはお兄ちゃんやお姉ちゃんと同じように「片手」で普通に打てました。ただ、重さが初心者が使う重さではなかったので、「ラケットの重さで飛ばす」イメージが付いたのは今になっては難儀しています。

 ということで今日のお話はここまで。明日のお仕事を終わらせると3連休になりますが、ちょっと色々としとかんといかんところです。
(ほれ、ちゃ~んとお話聞いてもらえる人がおるよ、ミーシャ。)

ミーシャの旅(2)

 さてまたもや雨、でもお仕事中はそんなに大したことない中、このお話を書いている私。今日は木曜日、テニスのお話。今週は「番外」ということで、こんなお話です。
(ほれ、あんまりションボリしとったら、来るものも逃げるよ、ミーシャ。)

 ヨーロッパでの最後の日、向かいのレストランでサッカーを見ながらお食事、そこのレストランのおっちゃんが「あいつはウチとこの店に食いに来てた」とかいう中、ワイン1本開けて、その次の日、空港までタクシーで向かったのですが、出てきたのはプジョー・306。土曜日の早朝ということでまだ真っ暗な道を、反対車線に飛び出してボンボン行かすから、かなり早くに着きました。そしてKLMのカウンターに行って、荷物を預けてなんとやら。その後で表示を見ると「Delayed(遅延)」、大雪で飛行機が遅れているわけですが、事情を説明して、一番前に座らせてもらってました。そしてアムステルダムに到着、ここからアメリカへ向かうのですが、EU域内向けのゾーンと北米向けのゾーンはかなりの距離があります。カートに荷物を載せて猛ダッシュ(ここで、「駆け込み乗車はご遠慮ください。」と言っているわけではありません。)、「ハァ~、間に合ったわ♡」と言っていると、飛行機は一路新大陸へと向かいました。でもこの周りはみ~んな外人さん、そりゃそうです。日本を通っていないんですから。そうこうするうちに、雪の降るデトロイトに到着、ここでちょっと厄介なことが起こります。日本のパスポートを出した私、乗ってきたのはKLMのビジネスクラス、着ているのは背広、どう考えても「怪しくない」(「アンタが言うな!」と心無いツッコみを入れてはいけません。)カッコでしたが、危うく「ごめんね~、ちょっとあっちの別のお部屋で、お話、聞かせてもらえるかな~?」と入管に止められかける始末。身の潔白を証明(決して、菓子折りの下に金貨を仕込んだとか、背広の仕立券を送ったわけではありません。)して、その地で1泊して、テニスの目的地、フロリダ州タンパへ向かいます。

 そして私がお世話になるおうち、基本的にホームステイなのですが、その家はテニスクラブの会員さんの家になります。さらにその家はお兄ちゃんが地区のチャンピオンだったというおうち。アルゼンチンからの移民の家ということですが、会った最初は「マフィアのボス」みたいな方です。小学生2人におばあちゃん2人、そしてよくしゃべる「おばさん」、何だかんだと始まりましたこの「フルハウス」状態で、そこでやった「芸は身を助く」、なんと「米の飯が炊いてあった」んですが、それで「炒飯」を作ってバカ受けしたんです。1日6時間近く、テニスをやっての後ですので、結構フラフラになることもありましたが、やっぱり子供らは「ミーシャお兄ちゃん、どうしたの~?」というノリです。とはいえ、なかなかこうピタリと行かんもんです。

 そんな中、私は土曜日の朝に2人宛てに手紙を書くということをしていました。これが功を奏したのか、それを見ていたおばあさんは「ミーシャはかなり頭のいい子」と見ていました。そして2週目のとある日、弟と正座をしていました。「日本では畳というものの上にこのような座り方をします。しかし、極たま~に「懲罰」という意味で使う場合もあります。」ということを教えて、2人でやっていると当然、足はしびれます。そりゃそうです。畳ではなく、大理石の床ですから、半端ないえげつなさです。ただ、日本の生活習慣についてはかなりよく知ってまして、箸の持ち方などは日本人の私が見てもきれいに持ってました。

 ということで今日のお話はここまで。都合、私はこの家に1カ月半お世話になったわけですが、この次はその後のお話です。
(なるほどね~、アンタの優しいところはパパもママもよう見てるからね~、ミーシャ。)

もうなくなりましたが…。

 さてあれこれとしとかんといかんお仕事を片付けたものの、最近、この長身ぶりに悩む「贅沢な」私。なぜなら、電車で幅をとる、駅の階段(下り)で前の人のリュックサックに、(上り)でダッシュで上がってきた人の顔面に膝蹴りが入りかける(私の場合、足が長い分、膝から引き上げるような歩き方をするため、膝が入りやすい危険性は高いものです。)など、188cmの上背が逆に難儀をしている今日は木曜日、テニスのお話。4枠目の今週は「テニス・トーナメント」、今日はこんなお話です。
(これ、周りはよう見ときや、ミーシャ。)

 この秋口はUSオープンも終わりまして、そろそろ年間最終戦に向けての高額トーナメントがぞろぞろ、そんな中で出てきましたよ。今はもうなくなってしまいましたが、「セイコー・スーパー・テニス」という大会がありました。1978年から1995年まで毎年10月中旬から下旬に日本・東京の東京体育館(最初は代々木第1体育館でしたが…。)で行われていました。スポンサーの撤退により、1995年を最後に行われなくなってしまいましたが、出てくる面子は結構、いいのが出てきてました。(間違っても、「奥さん、いい子がいるんですがね~。」と言葉巧みに寄って来る「ホ×トクラブの客引き」はおりません。)

 歴代優勝者はボルグ、コナーズ、マッケンロー、レンドル、エドバーグなどスター選手ばかり、1989年までは32枠だったのですが、1990年からは64枠になりました。また、同年の全日本選手権の男子シングルスの優勝者は主催者推薦枠でこの大会に出してもらえました。(全日本選手権は現在は11月初めですが、この当時は9月の下旬に行われていました。)またTBSがこの大会の放送権を持ってまして、決勝が日曜日のゴールデン・タイムに放送されており、とある年はこんな事が…。

 お昼の1時   プロ野球 日本シリーズ 第2戦 (この大会の取材に来た記者も取材しながらイヤホンでラジオを聞いて、「おっ、中畑ツーラン♡」とかやってたとかやってないとか。)

 午後4時    ゴルフか競馬でも見てましょか。

 午後5時~6時  笑点を見て、「サザエさん」を見て、そうだ、晩飯もこの間に済ませときましょ。

 午後7時    大河ドラマを録画しといて…。

 7時半     さぁ、テニスを見ましょ。

 8時      でも、やっぱりF1も気になるから、こっちも見とこっと。あ~、ビデオが2台欲しいな~。

 というような1日でした。

 ということで今日のお話はここまで。今では中国にほとんどを持っていかれたような格好ですが、日本でやるテニス大会も色々あるもんです。そろそろコーヒー飲んでおきましょ。
(ほれ、明日も頑張りや、ミーシャ。)

開いて、閉じて

 さて帰りの電車、いつもは満席なんですが、今日はたまたま開いた席、そして座ったその隣はなんと「広瀬すず」ばりの女子大生(らしきアナタ)、このお姉ちゃんがコックリ、コックリ。そして私の左腕を完全ロックしてしまったために、体温感じてグフフのフ。「これ、どうしよう。」と向かいのお兄ちゃんとしゃべっていると、そのアナタは降りましてという「やれやれな」私。今日は木曜日、テニスのお話。3枠目の今週は「戦術」、今日はこんなお話です。
(これ、そんなところで妙な色気出してんやないんよ、そんなんしとったらえらい事になるよ、ミーシャ。)

 現代テニスは基本的に「腰の回転」でボールを打ちます。一昔前の方なら「腕の振りでボールを押す」という打ち方をされる方も多い(ちなみにミーシャもこのパターン)のですが、押す力と回転の遠心力とではパワーが全然違います。そこで出てくるのが「身体が開く/開かない」という問題があります。どういうことかというと、上半身を回転(ねじりこんで開放する)する動きをしますが『上半身が開放されてしまっている(開いている)状態』のことです。『上半身をねじる(左肩を入れる)動きが出来なくて、はじめから体が開いてしまっている』もしくは『体が開くのが早すぎるので結果として腰の回転の力をうまくスイングにつなげられていない』という意味です。腰の回転が使えなくて肩と腕の曲げ伸ばしだけで打っている状態、いわゆる『手打ち』とも言います。

 その是非はケース・バイ・ケースですが、度が過ぎると手首や肘に大きく負担がかかることがあります。(とはいえ、過度に曲げたり伸ばしたりする方がよっぽど危険ですが…。)また、一番来るのは「腰」です。腰が痛いと感じる人は身体が開きすぎている可能性があります。(ただ、止めようとする際にやってしまう場合もあります。)理想は前に飛ばしたいのなら、体重移動も前に移っていくのがいいわけで、その方がボールに力も乗りますし、コントロールもしやすくなってきます。

 そのため、しっかり、身体の回転を抑えられるように利き手の反対と打点をよく見ることを意識してみましょ。(以前に書いた「二重振り子」のお話を参考にしてください、身体を止めると、慣性の法則で、その先は回ろうとします。)また、ボールを打つときに身体の回転をゼロにはできません。どうしても、回転を止めようとしても多少は動くと思います。回転を止めた後に、自然に回っていく分には問題ないと思うので止めようとする意識が大事だと思います。
 
 ということで今日のお話はここまで。「広瀬すず」はどこかへ消えてしまいましたが、あれやこれやと悩みは尽きないものです。
(これ、アンタはちょっとキッツ~い「お仕置き」が必要なようやね、ミーシャ。)
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