黒の女豹

 さて愛するタイガース、昨日はちょっと一休み。とはいえ、ちょっと今週はドタバタしている私。今日は木曜日、テニスのお話。2枠目の今週は「選手」、今月はこんな方に来ていただきました。
(あの~、何やの、その「徹子の部屋」みたいな入りは、ミーシャ?)

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 今月はこの方、間違っても某銀行の行員をたらしこんで億単位の金を貢がせた女性でも、個人的にODAをしている女性でもなく、ガブリエラ・サバティーニ(Gabriela Beatriz Sabatini、アルゼンチン)という選手です。1970年5月16日、アルゼンチン・ブエノスアイレス出身のこの方、ボールに回転を多くかけた、重いトップスピン(順回転)のグラウンド・ストロークを得意にした選手でした。美貌と親しみやすい人柄で幅広い人気を持ち、「ガビー」(Gaby)の愛称で呼ばれていました。シングルス自己最高ランキングは3位まで行った方です。

 元々父親オズワルドが名門スポーツクラブ「リヴェル・プレイト」(サッカーは世界的に有名です。)でテニスをしていたことからテニスを始めた彼女は1985年にプロ入り、10月に日本の「ジャパン・オープン」でプロ初優勝を果たします。それから4大大会でベスト4の常連になったが、勝負所で精神的な弱さが出て、決勝進出を逃すことが多かったんです。1988年の全米オープンで初の4大大会決勝進出を果たすが、ライバルのシュテフィ・グラフに競り負け、グラフの「年間グランドスラム」達成を目撃することになりました。続くソウル五輪決勝でもグラフに敗れ、銀メダルに終わります。

 2年後の1990年に、サバティーニは全米オープン決勝でグラフを破り、宿願の4大大会初優勝を達成しました。当時のコーチ、カルロス・キルメイヤーの手ほどきにより、積極的なネット・プレーが功を奏した勝利でした。それからライバルのグラフに5連勝したものの、翌1991年のウィンブルドン選手権で3度目の4大大会決勝戦に進出した時、そのグラフにフルセットの大激戦で競り負けてしまいました。(この試合については、以前に書いていますね。)これが結果的にサバティーニの最後の4大大会決勝戦となり、以後は再びベスト4止まりに逆戻りしました。グラフとはシングルスで「11勝29敗」の対戦成績を残し、彼女に10勝以上を挙げた唯一の選手として記録に残っています。

 ただこの方は案外「金星配給屋」的な部分があり、モニカ・セレスの台頭など、1990年代前半のテニス界において、彼女の影はやや薄くなることになります。またこの方は女子では当時珍しい、トップスピンのバックハンドが有名ですが、長年の課題として挙げられていたのはサーブ、その弱さを突かれる、またスタミナの面でも問題がありました。なかなかその改善はうまくゆかず、挙げ句の果てに慢性の腹筋痛を抱えることになりました。(テニスのサーブは、とりわけ腹筋にかかる負担が大きいんです。)

 1996年、彼女は26歳で引退することになります。現役選手時代にはファッションモデルとしても活躍し、自分のブランドの香水も発表しています。また彼女はフェラーリを買ったことがあるのですが、そのフェラーリを兄オズワルドに乗り逃げされて、全損で戻ってきた(ここで「無傷で返してね、さもないとお仕置きだよ。」という爺さんは出てきません。)というエピソードもあります。そして全然関係ない話ですが、ミーシャのパパがこの方の大ファンでして…。私が「グラフの方がいい」とか言うと、『アイツは冷たい』とか「あのネチネチとやるスライスは性格出とる」とか言い出す始末で(世界ランク1位を『アイツ』呼ばわりしてました。)、世の男性は結構ハマっていました。

 ということで今日のお話はここまで。最近ちょっとドタバタの中ですが、落ち着きましょということで、寝起きで書いた文章もそろそろ、シメたいと思います。
(こら、「パパが大ファンやった」とかそういう内輪ネタは全然関係あらへんのやわ、ミーシャ。全くもう、無理やり枠埋めようとするんやから!)
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