間に合わないお城

 さて昨日は打てないタイガースを尻目に早寝した私。今日は水曜日、巨大建造物のお話。この枠は4月以降も変わりませんので、今週は「番外」、今年の大河ドラマ『軍師官兵衛』からこんなお城のお話です。
(何だ、この枠止めますとかいうんかと思ったわ、ミーシャ。)

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 ミーシャの出生地、兵庫県姫路市、ここには国宝、ならびに世界文化遺産の「姫路城」があります。現在のものは関ヶ原の戦い(1600年)前後に出来上がったものです。そんな田舎に何でまた?とも言われますが、地政学上の理由で山陽道上の交通の要衝という側面があったためです。江戸時代には姫路藩の藩庁となり、更に西国の外様大名監視の意図もあったため、城主が幼少・病弱・無能な場合には牽制任務を果たせないために城主となる大名が頻繁に交替しています。池田氏に始まり譜代大名の本多氏・榊原氏・酒井氏や親藩の松平氏が配属され、池田輝政から明治新政府による版籍奉還が行われた時の酒井忠邦まで約270年間、6氏31代(赤松氏から数えると約530年間、13氏48代)が城主を務めました。

 大天守(5層6階建て)と3つの小天守を組み合わせた連立式の本丸と二の丸、三の丸がありますが、この中は相当曲がりくねっており、たどり着くにはかなりの時間がかかります。これだけの器の城が出来たのはちょうど関ヶ原の戦いと大坂の役の間であり、ゆえに極めて実戦本位の縄張となっている。同時に優美さと豪壮さとを兼ね備えた威容は、「西国将軍」輝政の威を示すものです。姫路城以降は慶長20年(1615年)の江戸幕府による一国一城令(同年閏6月13日)や武家諸法度(同年7月)によって幕府の許可なく新たな築城や城の改修・補修ができなくなったこともあり、一大名のもので姫路城に続くほどの規模の城は建築されていません。

 明治時代には陸軍の兵営地となり、歩兵第10連隊が駐屯していました。(現在の姫路市立美術館のある所です。またこの美術館は元々市役所でした。)この際に多くの建物が取り壊されましたが、陸軍の中村重遠工兵大佐の働きかけによって大小天守群・櫓群などが名古屋城と共に国費によって保存される処置がとられました。(そのためかはわかりませんが、ここから北に2kmほどの所に陸上自衛隊の駐屯地があり、毎年年末にはレンジャー訓練を兼ねて、お掃除をやっています。そしてこの城とその駐屯地の間には私が引っ越さなければ行っていたであろう、兵庫県立 姫路西高校(兵庫県下屈指の進学校です。)があります。)

 昭和に入り、太平洋戦争において姫路も2度の空襲被害があったものの、大天守最上階を直撃した焼夷弾が不発弾となる幸運もあり奇跡的に焼失を免れ、現在に至るまで大天守をはじめ多くの城郭建築の姿を残しています。1956年から64年(昭和31~39年)にかけての昭和の大修理(この時に2本の心柱の1本を入れ替えています。)を経て、姫路公園の中心として周辺一帯も含めた整備が進められ、祭りや行事の開催、市民や観光客の憩いの場になっているほか、戦国時代や江戸時代を舞台にした時代劇などの映像作品の撮影が行われることも多く、姫路市の観光・文化の中核となっています。そして2009年より、「平成の大修理」ということで現在改装工事中です。本来であれば今年に間に合わせる予定でしたが、ドラマの放送には間に合いませんでした。完成は2015年春の予定です。

 ということで今日のお話はここまで。今日は新天地での2日目、さてどうなる事やらと思う所ですが、今日も一日、がんばりましょということで、さて次のお話は?という次第です。
(これ、ミーシャ。アンタがそんなええとこ行けるわけあらへんでしょ、全くもう、「そんなもん、あっかいや~」ってみんな言うとってやで。)
 
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