日なたに向かって

 さて今日もお仕事だった私。最近、食べる量が増えたような気もする中(間違っても川で魚をガブリとかやっているわけではありません。また春まで「お休みなさ~い!」とやっているわけでもありません。)、今日は水曜日、4つ目のテニスのお話。2枠目の今週は「選手」、今月はこの方の登場です。
(アンタはそのまま寝とり。ロクな文章書かへんのやから、ミーシャ!)

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 今月はスウェーデンが生んだ2つの星の片割れ、マツコ・デラックスじゃなかったマッツ・ビランデル(スウェーデン)という方です。1964年8月22日、スウェーデン・ベクスィエ生まれの右利き、バックハンド両手打ち、ボルグが突然引退した後のスウェーデンで以前にご紹介したエドバーグとともに1980年代のスウェーデンの黄金期を支えてきました。1981年にプロ入り。1982年の全仏オープンにて、17歳9か月の若さで4大メジャー初優勝。1983年と1984年に全豪オープンで大会2連覇を達成します。(1985年までの全豪オープンは、「クーヨン・テニスクラブ」の芝生コートで12月の年末に開催されていました。)1985年には全仏オープンで3年ぶり2度目の優勝を果たしました。その後はレンドルの後ろを追う、やや「日陰の存在」になっていました。

 そして1988年、彼にとって一大転機となるシーズンがやってきます。ウィンブルドンを除く4大メジャー年間3冠を獲得しました。ところが、最も苦手な芝生のウィンブルドンで、男子テニス界で“スウェーデン・キラー”と呼ばれてきたチェコスロバキアのミロスラフ・メチージュに準々決勝で敗れ、年間グランドスラムのチャンスは消えてしまいました。そして最後のの全米オープンでは、決勝でイワン・レンドルと「4時間55分」に及ぶ激戦を繰り広げて、悲願の大会初優勝を果たす。年間3冠獲得は1974年のジミー・コナーズ以来14年ぶりの快挙達成でした。ビランデルはこの勝利により、クレーコート・芝コート・ハードコート、すべてのサーフェスを制した選手となりました。(現在まで、ジミー・コナーズ、ビランデル、アンドレ・アガシ、ロジャー・フェデラー、ラファエル・ナダルの5人のみです。)そしてその副産物として、世界ランキング1位の座に座ることになりました。

 しかしこの全米オープンの後、彼の残りシーズンは首を捻る不調ばかり。年間最終戦ではまさかのグループ・ラウンド負け、そしてデビスカップでも「ありえね~」番狂わせで金星配給と翌シーズンを不安視されていましたが、その不安は的中。(誰ですか?当てるんなら別のを当てろとか言ってるのは?)翌1989年に入ると、ビランデルのテニス成績は急降下を始める。全豪オープンでは2回戦でインドのラメシュ・クリシュナンに敗れ、世界ランク1位からも滑り落ち、全仏オープンでも準々決勝でソ連(当時)のアンドレイ・チェスノコフに敗れ去ります。年頭には1位だった世界ランキングも下降の一途をたどり、夏の終わりには5位に転落していました。そして全米オープンでは2回戦で当時18歳のピート・サンプラスに敗れ、一気に前年までの輝きを失っていった。1990年全豪オープンで準決勝に進出したものの、1988年当時の輝きはもう戻りませんでした。そして1996年、テニスからの引退を表明しました。

 引退後、一時期マラト・サフィンのコーチを務めたこともありました。2002年に国際テニス殿堂入りを果たし、現在は男子テニスのシニア・ツアーを転戦しています。(最初は35歳以上の現役引退選手が対象であったが、最近になってシニア・ツアー参戦の最低年齢が30歳に引き下げられました。)2003年からは、デビスカップのスウェーデン代表監督も務めています。ビランデルと同年代に当たるエドバーグも1996年に現役を引退した後は、スウェーデンのテニス界は往時の輝きを取り戻せない状態になっています。

 プレースタイルとしては、ワイパースィングという言葉を世に知らしめた選手という点で、技術的には現代テニスの架け橋になった選手だといえます。ビランデルの凄さは、1982年の全仏初優勝ではなく、1988年に世界ナンバー1になった年に初めて感じました。それまでのビランデルは、常に低い打点からワイパースイングでしこるテニスだったが、1985年ごろからバックハンドをライジングで打ち始めています。また両手打ちの選手でありながら、例外的に片手打ちのバックハンド・スライスを使いこなしていたのは大したもんです。(両手打ちの人が片手のスライスを打たせると「乗せて運ぶ」という感覚がないために、得てしてボールを切り下ろしてしまう傾向があります。)これにより、テニスの展開が劇的に早くなり、速い球足のコートでの勝利を重ねるようになりました。

 ただ欠点は強力な武器を持つ選手ではなかったことです。サーブもボレーもストロークもいずれも水準以上だったのですが、あくまでも水準以上というものであって決定的なものではありませんでした。唯一バックハンドのみは最高レベルだったといえますが、総じて能力よりも精神力で勝負する選手だったと言えます。それがモロに出たのが4大メジャーとそれ以外での他の選手との対戦成績、勝率が10%以上高いというデータが出ています。他の大会で手を抜いていたということもないでしょうが、グランドスラムに照準を合わせていたという言い方が正しいのかもしれません。考え方によれば効率的で勝負強い選手だったといえます。結局、一年中高い集中力を維持するのは難しいということになるわけですね。またインドア・コートが大の苦手でしてろくすっぽ他の選手に勝っていないという「屈辱的な」データも出ています。

 ということで今日のお話はここまで。そんなこんなの中で、今日もお話のネタを物色中です。ただ、来月はついにやってきた「跳ね馬狂騒曲」、「人へ、馬へ、車へ」と忙しくなりそうです。
(これ、ミーシャ。な~にをわけのわからん例えで来てんの、全くもう!そんなどっかの自動車メーカーのCMみたいなネタパクってからに。)
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