こぐまのツタのおうち

 さて何と何と、「井端、ドラゴンズ退団、そして巨人行き?」とかいう話にびっくりの「どうでもいい地方紙球団は」おいといて、という中、今日も真面目にお話を書いている「野次馬な」私。今日は火曜日、順番がズレている中で、「巨大建造物」、1枠目の今週は「野球場」、今月はこんな球場のお話です。
(アンタの存在こそ、「野次馬」やと思うんやけどさぁ、ミーシャ。)

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 先月は初めて「現存しない球場」を取り上げましたが、今月はこちら。ミーシャが愛する「甲子園」とよく似た球場、シカゴにある「リグレー・フィールド」(Wrigley Field)です。この「リグレー」とはチューインガムの会社です。1914年に開場、その2年後からず~っと、メジャーリーグ、シカゴ・カブスが本拠地にしています。シカゴはミシガン湖南西部に位置し、湖から季節風が吹き付けるため「風の街」と呼ばれています。リグレー・フィールドも例外ではなく、風の影響を受けやすいんです。風向きによって打者有利になったり投手有利になったりしますが、ファウル・グラウンドが狭いことなどから、基本的に打者有利の球場とされます。

 特徴的なのは、左翼と右翼のポール際(ライン付近)で、このあたりには観客席がないので、そこだけ奥へ窪んだような形で、外野が特別深くなっています。左中間と右中間は、フェンスが直線的な形状をしているので、あまり深くない。(ここは甲子園とは決定的に違う所です。)他の球場にはないリグレー・フィールドの名物として、外野フェンスにツタが生い茂っていることが挙げられます。(甲子園球場は球場の外壁にツタが生い茂っています。10年後、もう一度このツタは外壁を覆い隠す予定です。)1937年にビル・ベック考案のもと、植えられたもので、時期によって茂り方や葉の色が異なり見る者を楽しませます。このツタの中にボールが入り込み行方不明になると、特別ルールで二塁打になります。

 またこの球場は現在でも多くの試合がデーゲーム(それも平日)で開催されています。1914年の開場から1988年までの75年間、試合数にして6852試合、リグレー・フィールドではナイターが開催されませんでした。1935年5月24日にクロスリー・フィールド(オハイオ州シンシナティ)で大リーグ史上初のナイターが行われて以来、リグレー・フィールドと同時期に開場した他の球場は続々と照明設備を導入していきました。同じシカゴにあるコミスキー・パーク(1910年に開場、別リーグのシカゴ・ホワイトソックスの本拠です。現USセルラー・フィールド)も、1939年8月14日には初のナイターを開催しています。しかし、リグレー・フィールドだけはそれをしませんでした。これは周辺の住宅への騒音を防止するため(同じような理由が、日本の藤井寺球場にもありましたな。)でもあったんですが、なにより大きかったのが球団オーナーのフィリップ・リグレーの「野球は太陽の下でやるものだ」という言葉でした。この言葉が野球ファンの共感を得たため、照明灯は設置されてこなかったんです。しかし、ホントの理由は1941年に照明灯の設置工事を開始した直後に日本軍による真珠湾攻撃から太平洋戦争が勃発し、鉄を供出しなくてはならないために工事が中止になったことに対する弁明のために無理矢理、「野球は太陽の下でやるものだ」という言い分で丸め込もうとしたわけです。

 1981年に、地元紙「シカゴ・トリビューン」を発行する新聞社トリビューン・カンパニーがカブスを買収。その年のシーズン終了後に照明灯の設置を検討し始めました。「夏のシカゴは連日摂氏30度を超える暑さで、こんな環境でデーゲームばかりでは選手が疲労してしまい優勝できない」「ナイターでないとテレビ中継の放映権料も入らず、経営が成立しない」と考えてのことでした。トリビューン社は、リグレー・フィールドに代わる新球場の建設をちらつかせ、シカゴは街を二分する大騒動になりました。反対派の中には、球団名にかけたCUBS(Citizens United for Baseball in Sunshine=太陽の下での野球を守る会)という名の市民団体もありました。
 
 以前にシカゴ市議会が、住宅街にあるリグレー・フィールドでのナイターを禁止するという条例を制定していたため、トリビューン社は1982年シーズンから、試合開始時間を午後3時に設定するという策をとりました。ほとんどの試合は照明が必要ない明るい時間帯のうちに終わったが、同年8月17日のドジャース戦のように日没サスペンデッド・ゲームとなったものもありました。1985年から、ワールドシリーズなどのポストシーズン全試合がナイター開催となった。大リーグ・コミッショナー(当時)のピーター・ユベロス(ロス五輪(1984年)の組織委員会委員長、オリンピックを『金の成る木』にした張本人です。)は「カブスがポストシーズンに進出した場合、全ホームゲームをリグレー・フィールド以外の球場で行う」と決定しました。他球団のオーナーも、リグレー・フィールドには照明導入が不可欠だと主張しました。1987年秋、シカゴ市長ハロルド・ワシントンは、夜間試合数を少なめに抑えるという妥協案を提示しました。その一週間後にワシントンは死去しましたが、臨時市長ユージーン・ソーヤーが計画を引き継いだ。1988年2月23日、シカゴ市議会はリグレー・フィールド夜間試合禁止条例を廃止したため、1988年8月8日のフィリーズ戦、リグレー・フィールド初のナイターがとうとう開催されました。

 また他にも手書きのスコアボード(開場以来、ずっと変わっていません。)、セブンス・イニング・ストレッチにネット裏で多彩なゲストが Take Me Out to the Ball Game を歌う。元々は球界きっての名物アナウンサーのハリー・ケリー(英語版)が歌っていたが、彼が1998年2月18日に亡くなってからは、ゲストを迎えるようになりました。と数々の歴史が詰まった球場です。ということで、シーズン・オフをどう過ごそうかという中、今日の所はここまでに…。
(で、「冬眠」するんでしょ、ミーシャ?)
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