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謎の城

 さて今日もまたトチ狂ったプール・ネタを延々とやり倒して、ラストに「15分泳いでみましょか?」とかいう調教師の悪魔のささやきに乗って再びその「悪魔の末脚」を見せてきた「ジョーズ」な私。このお話は来週やりますが、今日は水曜日、巨大建造物のお話。3枠目の今週は「お城」、ついに始まりました2020年モデルの大河ドラマ「麒麟がくる」からこんなお城のお話です。
(これ、ま~たアンタは悪さば~っかりしてんやろ、先生からお話は全部回って来とってなんやわ、ミーシャ。)

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 今年の大河ドラマの主人公は明智光秀、その光秀は1571年の比叡山焼き討ちの後、長らく近江坂本(滋賀県大津市)に居城を持っていましたが、1578年に丹波攻略の拠点とするために丹波亀山城を築城しました。今日のお話はここです。保津川と沼地を北に望む小高い丘(荒塚山)に築かれましたが、正確な史料が残っていないため全容は分かっていません。光秀は近隣の村から人を呼び寄せ、城下町を形成しました。その後1580年に丹波国を拝領した光秀は、本格的な城下町の整備と領国経営に着手します。ただ光秀は畿内総括という立場上、この城にいるわけにもいかないため、通勤にも便利な元の近江坂本城に住んでいました。そこでこの地には光秀の家臣筆頭、斎藤利三(娘はお福、のちの「春日局」です。)が城代並びに支配代として居住することになります。そのわずか2年後に「本能寺の変」が起こります。

 亀山城はその後、羽柴秀俊(小早川秀秋)によって修築され、1610年、岡部長盛の代に天下普請により近世城郭としての亀山城が完成します。この築城にあたっては城づくりの名手・藤堂高虎が縄張りを務め、五重の層塔型天守が造営されました。現存する古写真は、明治初期に撮影されたものです。明治の廃城令により、廃城処分となり、所有者が転々とします。紆余曲折の末、荒れ果てた城跡を宗教法人大本が入手し現在に至ります。石垣は大本によって修復されており、総合受付で見学を申し込むと内堀跡や本丸付近の石垣を見学することが可能です。またこの時に「亀山」の地名を現在の「亀岡」と改めました。

 またこの地は山陰道の抑えとして、かなり重要な位置にあり(京都市内へ西から入る最終の関門です。この先の老ノ坂峠を抜ければ五条通(国道9号)を通って京都市内まで道は一本です。)、徳川政権も京都の公家勢力、西国大名の抑えとして譜代の大名を送り込んでいました。(同様の例は彦根(滋賀県)、大和郡山(奈良県)、和歌山(和歌山県)、姫路(兵庫県)などがあります。)

 ということで今日のお話はここまで。色々とありますが、日々頑張りましょということで、これからちょっとお食事です。
(ほれ、あんまし夜更かしせんようにね、ミーシャ。)

 
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