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山越え、谷越え

 さてどうもウチの職場の粗が見えてきたものの、何とかそこから逃げ出そうとするものの、なかなかそうはさせてくれない「見えない力」にお悩みの私。今日は水曜日、巨大建造物のお話。今週は「番外」ということで、そんな私を表すような、こんな道のお話です。
(これ、あんまし悩んだらいかんよ、ミーシャ。)

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 中国南西部の四川省、この地は天険の要害に守られた急峻な山岳地帯に位置すること、東部に四川盆地が広がり内陸部にもかかわらず温暖で肥沃な米作地であることから「天府之国」と称されています。とはいえ、そこに行くまでの道はとんでもない道を進むことになります。そこで出てきたのが「蜀の桟道」と呼ばれる道です。中国屈指の山脈、秦嶺山脈を貫く、成都から長安へ至る道です。

 古来、陝西と四川を結んできた唯一の道がこの桟道なのですが、現在は自動車道ができたために、その当時の桟道(並びにその痕)は観光地と化しています。(なんと、川沿いの所は船で見ることができます。)さらにここを通る鉄道、宝成線という約700kmの路線がありますが、これはその当時の桟道をほぼほぼトレースした路線です。宝鶏(陝西省宝鶏市)から成都(四川省)までですが、トンネルと橋だらけの中国でも屈指の山岳鉄道です。元々は漢の高祖、劉邦が項羽との協定の結果、この途中の漢中(現在の陝西省漢中市)に居を構えた際の移動の際に作ったものがその始まりとされています。

 またそれから400年後の三国時代、諸葛孔明の北伐の際にもこの道は使われました。この時に登場したのが「木牛流馬」なるものですが、諸葛孔明の死後、蜀の国力は衰え、それを機に、魏の司馬昭は部下の鄧艾、鍾会に蜀攻略を命じました。この時鄧艾は最大の要害、剣閣(四川省広元市)攻略に手こずる鍾会に「裏道を回って、奇襲はいかが?」と持ち掛けますが、当然のことながら鍾会はこれを認めません。そこで鄧艾は自分とこの兵だけで「特攻隊」を編成して、道なき道を行く、前代未聞の奇襲作戦を決行します。これが見事にはまり、蜀は降伏することになりました。

 さらにはそれからまた500年ほどたった唐の時代、安史の乱と呼ばれる大反乱がおき、皇帝、玄宗は妻、楊貴妃と共にこの桟道を逃げたわけですが、その途中で楊貴妃は死を賜ることになるという事件も起こっています。

 ということで今日のお話はここまで。何だかんだとありますが、とりあえず今月はちょっと大事な1カ月になります。その辺をきっちりやっておきましょ。
(ほれ、あんまり無理したらいかんよ、ミーシャ。)
 
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