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だんだんの城

 さて何やらおかしな雰囲気になっているウチの職場、その中でちょっとあれこれを気にしている私。今日は水曜日、巨大建造物のお話。3枠目の今週は「お城」、今日はここにしました。
(これ、あんましあれこれ気にせん方がええよ、ミーシャ。)

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 今月はこちら。日本で5番目の国宝の天守を持つ「松江城」(島根県松江市)です。堀尾吉晴は、関ケ原の合戦の功績により、遠州浜松から出雲・隠岐24万石の大名として広瀬(島根県安来市、その前は島根県能義郡広瀬町)の月山富田城に入城します。しかし、月山富田城は周囲を山々に囲まれた中世以来の山城で、大砲などを使う近代戦に不利であったこと、また家臣を住まわせる広大な城下町を形成するには土地も狭く、交通も不便でした。そのため宍道湖のほとりの標高28mの亀田山に築城を計画。そこから5年の歳月をかけ、慶長16年(1611年)に完成しました。本丸にそびえる天守閣は、桃山初期の城郭の特徴を残し、華やかな造りを排した実戦本意の造りとしても知られています。

 その後、徳川家康の孫にあたる松平直政が信濃松本より18万6000石で入城。以後、松江城は松平氏10代の居城として明治維新を迎えます。(この地にそんな直系の人物を送り込むのには当然、わけがありまして、長州(山口県)の毛利家、芸州(広島県)の浅野家など周辺の外様大名の監視としての意味があります。)明治になって城内の建物は天守を除きすべて取り壊され、天守も米100俵(5.6トン 当時の金額で180円 現在の貨幣価値に直して約300万円(米1キロを520円で計算)ほどです。)で売却されるところでしたが、有志の保存運動で救われ、山陰地方で唯一の天守が今に残ることとなりました。2015年に天守は「城としては」5番目の国宝に指定されました。

 ただ、この松平家支配の時代は藩の財政は年貢米による収入のみでは立ち行かず、入部当初より「金欠」の藩財政でした。このため早くから専売制を敷き、木蝋、朝鮮人参、木綿、そして鉄の生産を統制していました。特にこの地は古くから、たたら製鉄やたたら吹きによって砂鉄から鉄を生産することが盛んだった(日本刀はこの方式で作られた「玉鋼」を使用しています。)ために、組合による独占制度での製鉄をおこなっていました。製鉄で財を成した出雲三名家(田部家、桜井家、絲原家)は、現在も島根県下の実力者です。

 ということで今日のお話はここまで。ちょっと遅い目の晩ごはんですが、今日1日を、ゆっくり反省してましょ。
(ほれ、あんまし夜更かししとったら、しまいにえらい事になるよ、ミーシャ。)

 
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