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台風の中

 さて愛するタイガース、ついに悪夢を迎えた中で、金本の辞任を願うのは1人2人ではないと思っている「勘違いの」私。今日は火曜日、映画のお話。2枠目の今週は「ミーシャのマニアック映画劇場」、今日は最近ブームの「台風」からこんなお話です。
(まぁ、台風はブームといえばブームやけどさぁ、ミーシャ。)

 今から128年前の1890年(明治22年)、オスマン朝トルコの一隻の船が和歌山県串本で台風に遭って沈没しました。そこでその乗組員はその漁村の村人総出で救助されたのですが、500人以上の死者を出す惨事になってしまいました。この遭難事件は「エルトゥールル号遭難事件」として世の記憶に残るのですが、それから95年後の1985年(昭和60年)、イラン・イラク戦争の際に日本人がイランから出国しなければならないのに、それが出来なくなったことからトルコが自分とこの飛行機(トルコ航空、この映画の公開記念で、イスタンブール~大阪間のフライトをこの当時のデザインの復刻版で行いました。)イスタンブールまで運んだというお話があります。そのお話を基にした「海難1890」(2015年 日本・トルコ合作)という作品があります。

 あらすじはといいますと…。
1890年9月。オスマン帝国から日本へ派遣されていた親善使節団はその使命を終え、帰路につく。しかし使節団を乗せた軍艦エルトゥールル号は台風に遭遇し、和歌山県紀伊大島の樫野崎沖で沈没。船の爆発音が島中に響き渡り、おびただしい数の死体と船の残骸が岸に漂着する。この地に暮らす医師・田村(内野聖陽)と助手のハル(忽那汐里)をはじめ村民総出で救出活動にあたった。救護所に海軍機関大尉のムスタファ(ケナン・エジェ)が担ぎ込まれ、一時は呼吸が止まっていた彼はハルの懸命な心臓マッサージにより一命を取り留める。この事故により69名が生き残り、500名以上が死亡。生き残ったことに苦悩し怒りをぶつけるムスタファに、田村は母国の遺族に返そうと漂着物を綺麗に磨く村人たちの姿を見せる。ムスタファは日本人のあたたかい真心をその胸に刻むのだった――。時は移り、1985年、イラン・イラク戦争下のイラン・テヘラン。空爆が続き、トルコ大使館の職員ムラト(ケナン・エジェ)と日本人学校の教師・春海(忽那汐里)は地下避難壕で出会った。イラクの大統領サダム・フセインは48時間後以降イラン上空を行く航空機は無差別に攻撃すると突如宣言。日本大使の野村(永島敏行)は救援機を要請するが日本は対応が難しい状況にあり、他国の者たちが続々と脱出する中、邦人は取り残されていった。技術者の木村(宅間孝行)は危険が迫っているのはわかってはいたが、家族とイラン脱出を諦めていた。絶望的な状況下にも関わらず、晴海は子供たちを守ろうと奔走していた。晴海はトルコに救援機の手配を頼むよう野村に進言、トルコのオザル首相は救援機の派遣を決定する。しかし空港で救援機を待つ多くのトルコ人たちの姿が目に入り、日本人たちが諦めかけたそのとき、ムラトはかつてトルコ人が日本人から受けた真心について語り始める……。

 このイラン・イラク戦争当時に日本人が帰国できなくなったのは当時の事情がありました。自衛隊は「海外派遣不可の原則」のために、航空自衛隊機による救援ができませんでした。さらに当時、日本で唯一国際線を運航していた日本航空は「イランとイラクによる航行安全の保証がされない限り臨時便は出さない」とし、その運航を拒否しました。この事から1994年に自衛隊法が改正がされ、有事により在外邦人を国外に脱出させる必要が生じた時は、外務省が在外公館を通じて、相手国の許可を得た上で、防衛大臣の指揮により、自衛隊の日本国政府専用機や護衛艦によって在外邦人を輸送することになり、2013年のアルジェリア人質事件では自衛隊による救出活動が行われました。また「政府専用機」は航空自衛隊の運用で軍民共用の空港である北海道、新千歳空港に駐機しています。

 ということで今日のお話はここまで。今日も1日、よく頑張りましたということで、今日はこれから1本、ひっかけましょという次第です。
(これ、その前に洗濯機は回しといてね、ミーシャ。)
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