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早熟の是非

 さて今日はお休み。とはいえ、この時間に起きている「早起きさん」の私。今日は金曜日、テニスのお話。2枠目の今週は「選手」、今日はこんな方に登場いただきましょう。
(これ、そんな「徹子の部屋」みたいなノリはいらんのよ、ミーシャ。)

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 今月はこの方、1970年代末、クリス・エバートとマルチナ・ナブラチロワの「2強」の間に入りかけたトレーシー・オースチン(Tracy Ann Austin Holt アメリカ)という方です。1962年12月12日、アメリカ、カリフォルニア州パロスペルデ生まれ、右利き、バックハンド両手打ちの方です。女子テニス界における10代の早熟選手の位置を確立し、低年齢化の火付け役となった選手でもあります。

 デビュー前から、その呼び声は高く、1977年には14歳でプロのトーナメントで優勝する(この時はまだアマチュアです。日本の場合、アマチュア選手が賞金の対象になった場合は、全額が日本テニス協会に入ります。)など、数々の話題を呼び、「鳴り物入り」で1978年にプロ転向、1979年の「イタリアン・オープン」の準決勝で、当時の女王クリス・エバートのクレーコート連勝記録を「125」で止めました。(これは今でも歴代1位です。ちなみに男子はラファエル・ナダルの「81」です。)その年のUSオープンでエバートを6-4,6-3 で破り、同大会で「16歳9か月」の最年少優勝記録を樹立しました。これ以後、オースチンは対エバート戦で「8勝9敗」の成績を挙げ、この頃からオースチンには“エバート2世”の呼び声が高くなりました。

 1980年4月7日に「17歳3ヶ月26日」で当時の最年少世界ランキング1位になります。これは11年間にわたり、女子テニスツアーの最年少世界1位記録として残っていました。(1991年にモニカ・セレスが記録を更新、現在は1997年のマルチナ・ヒンギスの16歳9か月です。)翌年の全米オープンで2年ぶり2度目の優勝。この時が選手生活の絶頂期でした。ところが1982年に入ると、オースチンは突然、勝てなくなります。8月にサンディエゴで行われた試合が、彼女のプロ生活で最後の優勝(30勝目)になります。

 この理由は若すぎた身体の酷使が原因で、慢性的な背中の故障を抱えるようになっていたからです。1983年にはオースチンは限られた試合数しかこなせなくなり、21歳の誕生日を迎える前に競技生活が不可能な状態に陥ったことから、いつしか“燃え尽き症候群”の最初の教訓として語られるようになりました。(このため、WTA(女子テニス協会)はこの防止策として、一定年齢以下の選手にはトーナメント出場数に制限を加えるようになりました。)オースチンはその後何度か、回復の合間を見ながら現役復帰を試みたことがあるが、うまくいきませんでした。最終的に現役を引退したのは1994年7月であったが、その2年前、1992年に国際テニス殿堂入りを果たしています。現在はテレビ解説者、並びにリハビリ病院の理事長になっています。(ここで、自身の為の病院だと揶揄してはいけません。)

 なお、彼女はシュテフィ・グラフのプロ入り最初の対戦相手でもあります。1982年10月、ドイツ・フィルダーシュタッドの「ポルシェ・グランプリ」でのことですが、この時にオースチンは「アメリカにはあなたぐらいの選手はごろごろいる」とグラフに言ったといわれています。

 ということで今日のお話はここまで。きょうはちょっとドタバタと自宅に戻りということで、休みの1日はあっという間に過ぎそうです。
(ほれ、あんまし無理せんようにね、、ミーシャ。)
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