涙の塩

 さて何と何と明日から新しい場所を1人で行くことになった「促成栽培の」私。さらにはこの選挙がらみのために、来週のお仕事は6連投の可能性もと言われる中、今日は木曜日、テニスのお話。4枠目の今週は「名勝負百選」、今日はおとといの「MEOアリーナ(アトランティック・パビリオン)」から、こんなお話です。
(ほれ、6連投になるんやったら、あんまし無理せんようにね、ミーシャ。) 

 この「MEOアリーナ」でやったテニスの試合で、有名なものに2000年の男子のATPツアーの年間最終戦、テニス・マスターズ・カップというものがあります。その決勝、結果はこんなものです。

 グスタヴォ・クエルテン  6-4  アンドレ・アガシ
                 6-4
                 6-4

 この「マスターズ・カップ」は通常のノックアウト式のトーナメントとは違い、出場選手8人を4人ずつの組に分け、総当たりをやります。その後各グループの上位2人がたすき掛けで準決勝、その勝者が決勝を戦います。A組は1位がサンプラス、2位がサフィン、B組は1位がアガシ、2位がクエルテンが上がってきました。最初の時点で一番有利になっていたのはサフィンでした。最初の2戦を圧勝、最終のサンプラス戦で勝てばその時点で年間最終ランキング1位が確定だったのですが、ここでサフィンはコケてしまいます。(この辺は彼らしいといえば彼らしいんですが…。)さらには準決勝でアガシに負けた時点で、自力でのランキング1位は消えてしまいました。残る条件はクエルテンが優勝しなければ、サフィンがランキング1位になるというちょっとややこしい状況です。

 そこで決勝に上がってきた2人を見ますと…。アガシは予選ラウンド3試合を全勝、しかもその3試合の1試合目、今回の相手のクエルテンにフルセットながら、1度勝っています。準決勝もサフィンに圧勝とほぼほぼスキなしでここまで勝ち上がってきました。一方のクエルテン、年間最終ランキング1位の座がかかる大会ながら、初戦のアガシ戦で左足を痛めての負けに前途多難な先行きの中、残りの2試合を何とか勝って、2位で予選を通過、準決勝ではサンプラスに逆転勝ちと満身創痍で勝ち上がってきました。しかし、クエルテンを突き動かしたのはこの会場が旧宗主国、ポルトガルにあったという事でした。ブラジルとの間に横たわる大西洋を「涙の塩」と詠んだ詩人がいました。奇しくも2000年はペドロ・カブラルのブラジル発見から500年、スタンドからの声援はクエルテンを支え続けました。

 アガシは自分から攻めることもできるし、5セットマッチをじっくりと戦うこともできるという強みがあります。そこでクエルテンは満身創痍という事もあり、下手に試合を長引かせるのは不利と判断し、最初から攻めに出ます。第1セットのアガシのサービスをいきなりブレークしての第4ゲーム、ミスのダブル・フォールトで0‐40になります。しかしクエルテンは慌てることなくサービスをキープして、サービス・エースは19本という状態では、アガシは得意のリターンからプレッシャーをかける展開に持ち込めません。そして第1セットを6-4、第2セットも休むことなく、第5ゲームで1ポイントも与えずにサービス・ブレーク、第3セットも同じく第5ゲームで相手のダブル・フォールトがらみでのブレークとそれぞれ6-4,6-4として、各セットわずkじゃ1ブレークずつの接戦でしたが、これを確実にものにしたクエルテンが優勝、そして南米選手としては初めての年間最終ランキング1位がついてきました。クエルテンは「初めてポルトガル語でスピーチできるのがうれしいんだ」と涙声で優勝スピーチをやったのでした…。

 なお、ポルトガルとブラジルとの間には複雑な部分があり、スペインとポルトガルが世界帝国建設に走り、新大陸やアフリカ、アジアに進出していました。そこでこの間での偶発的な衝突を抑えるために、ローマ教皇が仲介して、1494年にトルデシリャス条約を結ばせました。現在のブラジルの右半分あたりの線で世界を二つに分けて右側をポルトガル領、左側をスペイン領としました。従ってスペインはラテンアメリカのほとんどをスペイン領としました。その代わりポルトガルはその線よりも東側のブラジルを支配下に置きました。さらには東に進出しアフリカにはアンゴラ、モザンビークなどいくつもの植民地を作りました。更にインドにはゴア、インドネシアには東ティモール、中国のマカオなどを植民地とし、日本にも宣教師を通じてポルトガルの文化が伝わりました。(カステラなどがこれに当たります。また地球球体説がマゼランの世界一周航海で証明されると、もう1本線を引くべきではないかという事で、東経133度(日本の岡山県付近)を基準に西をポルトガル、東をスペインとするサラゴサ条約(1529年)を結びました。)ブラジルでは1807年のナポレオン軍によるリスボン占領により、ブラガンサ王家とポルトガル宮廷の貴族が大挙してポルトガルからブラジルの首都(当時)リオデジャネイロに亡命し、ポルトガルはブラジルにその中心を移しました。1810年代には周辺のイスパノアメリカ諸国の独立運動が盛んになったが、ブラジルではナポレオン戦争後もポルトガル宮廷が帰還しなかったため、ブラジルの独立を望むクレオール(現地生まれの白人)はブラガンサ王家のドン・ペドロ皇太子を皇帝ペドロ1世として擁立して1822年にブラジル帝国が独立しました。ただし、双方とも、ポルトガル語を話していますが、両者はちょっと違います。

 という事で今日のお話はここまで。明日1日のお仕事で今週は終わりになりますが、さてどうなりますか、今からちょっと気になる次第です。
(ほれ、そう言うてもちゃんと終わっとるから、安心しとき、ミーシャ。)
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