3つのトラ

 さてお外は雨、でも昨日は「そんなに悩まんでもええよ」というホロリな一言に「見てる人は見てるもんだね~」と思うそんな中、今日も真面目にこのお話を書いている私。今日は火曜日、映画のお話、2枠目の今週は「ミーシャのマニアック映画劇場」、今回は今年が「真珠湾攻撃」から75年ということで、こんな作品のお話です。
(これ、今日はどんなお話なんかな。ミーシャ?)

 今月はこちら。「真珠湾攻撃」を描いた作品は多々ありますが、その中でも「トラ・トラ・トラ!」(1970年(昭和45年) アメリカ、日本)という作品があります。英米仏独のスタッフを結集してノルマンディー上陸作戦を描いた大作『史上最大の作戦』が成功したことに気をよくした20世紀フォックスが、ラディスラス・ファラゴのノンフィクション『破られた封印』(The Broken Seal)を原作に、日米双方の視点から真珠湾攻撃を描こうとした企画を基にアメリカと日本の合作となりました。当初、日本側の監督は黒澤明の予定でしたが、舛田利雄・深作欣二の2人が後任になりました。

 あらすじはこんなところで・・・・。
1939年(昭和14年)9月1日、山本五十六中将(山村聡)の連合艦隊司令長官の就任式が、瀬戸内海に停泊中の、「長門」艦上でおこなわれた。それから1週間とたたないうちに、時の首相近衛公爵(千田是也)が閣議を開き、アメリカの日本に対する経済封鎖を討議し、それに対して陸相東条英機(内田朝雄)は、アメリカへの攻撃を進言。1941年(昭和16年)1月24日、ワシントンの海軍情報部は日本の暗号無電を解読し、事態の容易ならないことを察知した。そして、ルーズベルト大統領は新たにキンメル提督(マーティン・バルサム)を太平洋艦隊司令長官に任命、日本の動勢に備えようとした。1941年2月、山本長官は第1航空隊の大西参謀(安部徹)から真珠湾攻撃の参考意見を聞き、空母「赤城」の名パイロット源田中佐(三橋達也)の名を知った。そのころ真珠湾では、航空隊のベリンジャー中将(エドモン・ライアン)が、キンメルに日本の真珠湾攻撃の可能性を説いていた。1941年4月24日、野村駐米大使(島田正吾)はハル国務長官(ジョージ・マクレディ)と、緊迫した両国の関係を打開しようとしたが、ハルゼイ中将(ジェームズ・ウィットモア)等、海軍側の強硬意見にあい、実を結ばなかった。やがて両国間の通商条約は破棄され、スターク海軍作戦部長(エドワード・アンドリュース)は、ハワイを非常時態勢下においた。そのハワイでは、日本のスパイ吉川猛夫(マコ)が、情報収集のため暗躍していた。1941年10月、東条英機が陸相兼首相となり、軍部の権力は頂点に達した。一方、アメリカ側の情報部は、真珠湾攻撃の決行日を想定し、スチムソン陸軍長官(ジョセフ・コットン)は大統領にそれを伝えることを約し、またマーシャル大将(キース・アンデス)もハワイのショート将軍(ジェイソン・ロバーズ)やキンメル提督に、警告を発していた。12月2日、ハワイへ向け進航中の、南雲司令官(東野英治郎)の第一航空艦隊は、山本長官から「ニイタカヤマノボレ」という暗号を電受した。いよいよ真珠湾攻撃の時が来た。12月7日、東郷外相(野々村潔)は駐日大使の天皇拝謁を助け、局面打開を求めたが、道はすでにふさがれていた。翌12月8日未明、遂に南雲中将の率いる機動部隊は、オアフ島北方から真珠湾に迫り、午前7時57分、淵田少佐(田村高広)を先頭とする戦隊が、空から敵地へ突っこんで行った。真珠湾攻撃は見事な成功をおさめ、「赤城」からは、作戦成功を伝える暗号が打電されていた。

 この作品は最後のシーン、「対米宣戦布告が遅れたことについてのやり取り」と「ラスボスたるアメリカ空母、エンタープライズ(初代、日本では1961年に登場する世界初の原子力空母が有名です。でもこれは2代目です。)の登場」が結構、頭に残っています。ということで今日も1日、頑張りましょという次第です。
(ほれ、あんまし無理せんようにね、ミーシャ。)
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