日本におけるテニス

 さて今シーズンのテニスも先週末のデビスカップの決勝で終わりまして、ちょっと短いシーズンオフに入った中、このお話を書いている「ドタバタの」私。今日は木曜日、テニスのお話。今週は「番外」ということで、こんなお話です。
(これ、今日は何やの、ミーシャ?)

 テニスの統括団体は日本においては日本テニス協会(JTA)という法人があります。他にも日本プロテニス協会、日本テニス事業協会、日本女子テニス連盟などがありますが。この4つは2009年に「日本テニス連合」という任意団体を設立しています。と言ってもやっぱりメインは「日本テニス協会」になるわけで、今日はこの団体のお話です。

 日本テニス協会の前身は、1922年(大正11年)に任意団体として発足しました「日本庭球協会」です。1980年(昭和55年)に財団法人として再発足したのを機に名称も「財団法人日本テニス協会」(英語表記はThe Japan Tennis Association、略称JTA)と改めました。2012年(平成24年)には、財団法人から公益財団法人に移行し、生涯スポーツ、競技スポーツ、観るスポーツとしてのテニスの振興をその活動目的としています。

 元々、テニスを通じて国際交流をはかり、国際舞台に雄飛するには、欧米で行われているテニス(軟式と区別するため、日本ではこれを硬式と呼びました。)をプレーする必要がある、という意見が強くなり、1913年(大正2年)に慶應義塾大が硬式採用に踏み切り、これをきっかけに、日本での本格的なテニスへの取り組みが始まりました。設立の翌年、1923年(大正12年)にはランキング制度の採用を決定して、1924年1月4日付で全日本ランキング(男子シングルス20位、ダブルス10位)を発表しました。1925年(大正14年)には初の競技規則を制定(これは現在でも「コートの友」という冊子になっています。)、1927年(昭和2年)にはボール公認のため、ボール・テストを初めて実施しました。しかし、昭和の年号が進むにつれて戦時色が濃くなり、1942年(昭和17年)には協会とその上部団体の大日本体育協会が解散を命じられ、国の統制団体である大日本体育会庭球部会に衣がえさせられました。そして、何の活動もできないまま敗戦を迎えました。

 戦後は日本は高度成長期を迎え、一方では海外プロの来日もひんぱんになったこともあって、テニスブームが起こり、テニスクラブやコートが急速に増加しました。(現在の天皇陛下もこのテニスブームに、一枚かんでおられますな。)日本庭球協会の業務も、こうした内外の動きに対応して、幅広く進めていくことが求められようになりました。そのための対応のひとつが、協会を法的に認知してもらう法人化でした。そして1980年(昭和55年)に財団法人日本テニス協会に改組、そして2012年(平成24年)4月、日本テニス協会は、公益財団法人に移行しました。

 公益財団法人への移行に伴い、日本テニス協会は生涯スポーツとしての普及、競技スポーツとしての強化、観るスポーツとしてのテニス振興をその公益活動目的に据え、9事業を行っています。
9の公益目的事業とはこんなものです。、
①選手の競技力向上 (ナショナルチーム制などがこれです。)
②国内・国際競技会の主催 (ジャパン・オープン、東レPPO、全日本選手権など)
③国内開催競技会の後援・公認(9地域オープンなど)
④国際競技会への代表者の選考・派遣及び外国からの選手の招聘(ジュニアの国外遠征など)
⑤公認指導員及び審判員の養成及び資格認定(指導員1級、2級などがあります。)
⑥選手登録、ランキングの管理・運営(JOPランキングがこれです。)
⑦競技の健全な発展のための基盤及び環境整備
⑧競技普及・振興のための調査・研究及び広報活動
⑨内外のテニス団体・スポーツ関連団体との交流、協力及び支援

 ということで今日のお話はここまで。何やらドタバタの文章になってしまいましたが、今日から12月、今月も頑張りましょという次第です。
(これ、あんましドタバタしたらいかんよ、ミーシャ。)
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