ヒコーキ雲

 ♪ガラガラ喉~のミーヤちゃん~、昨日もワインをブチ開けた~、並べた皿はグ~ルメじゃない~、な~んでもペロリ~♪(とんねるず「ガラガラヘビがやってくる」のメロディでどうぞ)さて昨日はガラガラの喉(間違っても、麻雀卓を囲んでいたわけではありません。ちなみに今回の元ネタ、とんねるずの名曲「ガラガラヘビがやってくる」は作詞の秋元康が深夜にマージャンをやっていて、その牌がガラガラ、そしてテレビで流れていた映画のセリフから生まれました。)、しかし車に乗ると、タイヤの空気圧の警告がチカチカ、「またやったの?」という中、そして夜はワインをグビリ(ここで「消毒」と言ってはいけません。)でドタバタの1日を過ごしていた私。今日は日曜日、ミニカーのお話。3枠目の今週は「ミニカー・ブランド大図鑑」、今回はこんなお話です。
(これ、また何やの、その無理やり作りました感がありありの♪はさぁ、ミーシャ。)

AOSHIMA_logo.jpg


 今月はこちら。日本の「アオシマ」(青島文化教材社)です。プラモデルの方が知名度は高いのですが、アオシマ、DISMブランドでミニカーがあります。最近では64サイズのウィリアムズF1などがあります。1935年(昭和10年)に青嶋次郎が創業した「青島模型飛行機」を前身とするものです。静岡県静岡市葵区に本社を置き、現在のロゴは株式会社化した1989年(平成元年)からの4代目のものです。

 元々、創業者の青嶋次郎はパイロットでした。1926年(昭和元年)に廃業した後も飛行機への愛着を捨てきれず、1932年(昭和7年)から動力付き模型飛行機を発売し、1935年(昭和10年)に「青島模型飛行機」を創業します。竹ひごと端材で作った模型飛行機はこの時、大きく時代の流れに乗ることになります。1940年(昭和15年)から日本軍と文部省の主導で模型飛行機は教材として正式な教育課程(図画工作の時間に作るわけです。当時の小学生の工作レベルは現在とは比べ物にならないほど高いレベルにありました。)に組み込まれ、一気に需要が拡大します。1938年(昭和13年)に国家総動員法が発令され、販売統制品や、玩具の内地向け製造禁止素材品目(ゴム、鉛、ほか十数品目)が定められたために、模型・玩具業界は、木製の模型機に活路を求め、模型飛行機を媒体とする航空思想の普及を目的とする、官民一体の模型機の学校工作運動を積極的に推進しました。 そのための模型機生産を組織的に行う全国的な工業組合結成運動も推進されました。 終戦後、「青島文化教材研究所」として再出発したもののGHQへの配慮から1949年(昭和24年)まで休眠会社状態となります。

 1950年(昭和25年)、模型飛行機の製造を再開、その後1961年(昭和36年)には有限会社化します。この時にプラモデルに参入、代表例では「デコトラ」シリーズなどがあります。その後株式会社化され、2005年(平成17年)にはダイキャスト製ミニカーに参入しました。また意外なことに最近よくある「痛車」、車体に漫画・アニメ・ゲームなどに関連するキャラクターやメーカーのロゴをかたどったステッカーを貼り付けたり、塗装を行うなどして装飾した自動車のことですが、この「痛車」は商標登録されて、このアオシマが持っています。(商標登録番号:第5145997号、出願番号:商標出願2007-124323)

 その中でも一番びっくりしたのは、2011年に登場したウィリアムズF1、「やるなら京商でしょ?」と思っていたところで、思わず「え~っ!!」(当時やってたドラマ、「マルモのおきて」風にどうぞ)、とはいえ、この次がないのはちょっと不満ですが…。ということで今日のお話はここまで。まだちょっと喉は痛いのですが、今日はこの後、自転車の移動です。今日もまたドタバタの1日になりそうですね。
(これ、あんまし無理したらいかんよ、ミーシャ。)

 
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