元の鯉池

 さて昨日はお仕事終わって、「明日ひょっとしたら台風が来て、行けなくなる可能性があるから、行ける時に行っておこう」とプールに行って、朝ドラを深夜に見ていた「時間軸がズレ倒している」私。今日は水曜日、巨大建造物のお話。1枠目の今週は「野球場」、今年を象徴する「神ってる鯉」から、こんな球場のお話です。
(これ、アンタがズレ倒しているのは人生もやないの、ミーシャ?)

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 今月はこちら。2008年まで広島カープの本拠地だった「(旧)広島市民球場」です。1957年(昭和32年)の夏に開場、最終的には31900人収容の日本では珍しくなった天然芝の球場でした。両翼91.4m、中堅115.8mという外野は、プロ球団の本拠地球場の中では一番狭かったんです。このため、ホームランの出やすい球場でした。また夏の甲子園大会広島県予選の決勝戦や都市対抗野球大会の広島県予選などのアマチュア大会の会場としても用いられていた他、一般市民にも広く貸し出されており、カープの試合開催日の午前中にグラウンドの貸し出しを行っていることもありました。

 元々の始まりは1952年(昭和27年)、「広島市にナイター設備を備えた球場を作ろう」と、当時のカープを金銭面からバックアップしていた東洋工業(マツダ)の松田恒次社長(当時)でした。カープの石本秀一監督(当時)はその言葉に有頂天となり、自ら球場設計に取り組んだとされています。しかし、予定地が立ち退き云々、また代替地も様々の事情を抱え、交渉の末に、現在の地である「旧日本軍西部第二部隊営庭跡地」に建設されることが決まり、わずか5か月の突貫工事で球場は完成しました。

 広島市の中心部にあり、旧太田川の左岸(東側)、広島市中央公園の敷地内にありました。(つまり、ここは国有地です。)原爆ドームがある広島平和記念公園とは道路を挟んで向かい合っていました。また、繁華街の紙屋町にも近く、そごう広島店、基町クレド、ダイイチ本店(後のデオデオ本店、現・エディオン広島本店)やシャレオ等の商業施設、広島県庁舎や広島市立広島市民病院等の行政機関も近く、日本の屋外球技施設の中では数少ない都心のど真ん中に立地する球場でした。このため、騒音問題などから、コンサートなどを一切認めていなかったんですが、2004年、「熱狂的カープファンでもある」奥田民生が、初めてやったことがあります。

 またこの球場は、カープにとっては財政基盤を固める切り札となりました。観客が増えたこともさることながら、カープ球団には球場内売店の営業権が認められており、さらに球場内看板による広告収入の75%~80%(決して完成度のことではありません。また足がないわけでもありません。何のことかわかった方はあとでゆっくりコーヒーでも)がカープ球団の取り分とされたためです。現代の指定管理者制度に近い形態であり、当時としては画期的なことでした。こうして積み上げられた収入は、選手の補強費に使われたのですが、いかんせん、一地方都市の経済力ではという部分で、現在でも「慢性的な金欠」を抱えています。

 1975年(昭和50年)、広島に新幹線がやってきた年、カープは初めてのリーグ優勝、その後の黄金期を迎えることになります。1992年にはスコアボードを電光掲示板に変更、その後もカープの全てを見つめてきたこの球場は、2008年シーズンを最後に使用されなくなりました。そして2010年9月、この球場は閉鎖され、2012年2月にライト外野席の一部を残して解体されました。

 ということで今日のお話はここまで。台風が来るということで、ある程度の部分は片づけも終わったのですが、今日はおうちで静かにしてましょ。
(そうそう、アンタが動くとロクなことがないんやからね、ミーシャ。)
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