泰泳自若

 ♪肉を焼~いてたケ~ムリ~が~、こ~の~腹にあふれてる~、きっと今~は~、トイレ~に~、籠ってい~る~は~ず~♪(スピッツの「空も飛べるはず」のメロディでどうぞ)さて昨日は客人の接待、しかしその方が大渋滞の果ての為、「解説者が来ない」中で高校野球を大真面目に見ていた、そして「ドべゴンズ」に「喝を入れてやりたい」私。今日は日曜日、プールのお話。3枠目の今週は「選手」。今月はそろそろ終わりますオリンピックの競泳から、こんな選手のお話です。
(これ、アンタの飲みっぷりのほうが「喝!」と違うか、ミーシャ。)


spitz.jpg

 今月はこの方。オリンピックで複数の金メダルというのは今ではごく普通にあった例ですが、その初めてはこの方、1972年のミュンヘン・オリンピックにおいて100m、200mの自由形、100m、200mのバタフライ、4×100m、4×200mリレー、4×100mメドレーリレーの7種目で金メダルを獲得し、かつ全ての種目で当時の世界新記録をマークしたマーク・スピッツ(Mark Andrew Spitz)という方です。1950年2月10日、アメリカ、カリフォルニア州モデスト生まれ、ユダヤ系の家系に生まれました。

 6歳で水泳を始め、10歳のころには有名ジュニア選手になっていたのですが、競技生活のピークは比較的遅い目に来ました。1968年のメキシコオリンピックの前にすでにいくつもの世界記録を持っていたスピッツは、大胆にもオリンピックで6つの金メダルを取ると宣言しました。しかし、スピッツが取れた金メダルは結局2つのリレーだけで、メドレーリレーでは代表となることはできず、100mバタフライでは銀メダル、100m自由形では銅メダルに終わりました。

 またこの方は「引退後に芸能界入りする」例を作った最初の選手でもあります。今でこそ、引退後に芸能界入りする例は多々ありますが(成功例は木原美知子、失敗例は田島寧子ですな。)、ミュンヘン大会後に引退した後はいくつかのCM,そしてテレビの解説者、また俳優としてテレビに出ていました。しかし1991年、41歳の時に翌年のバルセロナ五輪に出ると表明して、国内予選に出たものの、結局オリンピックの代表からは落選しました。(とはいえアメリカの女子選手、ダラ・トーレスは2008年、北京五輪に際して2度目の現役復帰をした際、「このことに影響された」と言ってました。)

 ということで今日のお話はここまで。そろそろ日曜日のド定番「週刊 ご意見番」のお時間です。最近、あまりゆっくりと見ていないため、今日はじっくりと見てみましょというところですが、昨今の「ドべゴンズ」、さてどうなりますか?という次第です。
(これ、あんまし無理せんようにね、ミーシャ。)
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