モザイクの崩壊

 さて今日も雨、最近ず~っと雨ばかりのような気がする中、このお話を書いている私。今日は火曜日、映画のお話。4枠目の今週は「ドラマ」、今回は最近ブームの「離脱」からこんなドキュメンタリーのお話です。
(これ、ま~たそんなマニアックなネタを持ってきてからに、ミーシャ。)

 今から20年ほど前、泥沼化する1つの紛争がありました。バルカン半島のとある国、ユーゴスラビアの分離、独立騒動の中での過程を描いた「ユーゴスラビアの崩壊」(原題 The death of Yugoslavia)(1995年 BBC(イギリス))というドラマがあります。1989年以後の世界を象徴する旧ユーゴスラビア連邦の解体。様々な紆余曲折を経て、現在の国家群になる過程を描いた6本シリーズ。旧ユーゴスラビアの各共和国や自治州の歴史と現実を見据え、なぜユーゴスラビアが分裂したか、西側諸国や国連はなぜ紛争を止められなかったのかを明らかにするものです。

 あらすじはと言いますと…。
1980年、建国の父、ヨシップ・チトーが死去。そのカリスマ性で国を率いていたのですが、それから7年。諸民族の友愛と団結を掲げたチトーの志を継ぎ、辛うじて統一を保っていたユーゴスラビアについに綻びが生じ始める。セルビア共和国では最高指導者スタンボリッチ大統領の右腕としてスロボダン・ミロシェビッチが頭角を現し、スタンボリッチに反旗を翻したことからユーゴスラビアの悲劇が始まった。

元々1974年の憲法改正により、最大勢力のセルビアを抑えるためにセルビアの中にヴォイヴォディナとコソヴォの2つの自治州(共和国とほぼ同じ権限を持ちます。しかし、連邦からの離脱権は持っていません。)を置くようになったのだが、チトーの死後、連邦幹部会という各共和国、自治州の代表8人の持ち回りの集団指導体制に移行する。そこで1987年、コソヴォで起こった少数派のセルビア人が多数派のアルバニア人に対する不満の対策としてミロシェビッチが送り込まれ、この地で大衆の前でセルビア人を擁護する発言を行い、セルビア民族主義勢力を使ってスタンボリッチを失脚させ、最高指導者の地位を手にする。この勝利に勢いづいたミロシェビッチはコソボのセルビア民族主義者たちを利用してヴォイヴォディナ自治州やモンテネグロ共和国にも勢力を広げ、ユーゴスラビアの半分を支配する。

独走に対抗したのは、当時、古い共産主義路線から脱却し、言論の自由を謳歌していたスロベニア共和国だった。若者たちの支持を背景にセルビアを嘲笑し、党を非難していた「ムラディナ」誌の記者が連邦軍に拘束される事件をきっかけに、スロベニア幹部会議長ミラン・クーチャンは連邦からの離脱を目指すことを表明。セルビアは1990年1月のユーゴ共産主義同盟の臨時党大会でスロベニアを押さえ込もうと画策するがスロベニアは同盟からの脱退を表明して代議員全員が退席。さらにクロアチアがスロベニアに同調し、とうとうユーゴスラビア連邦の分裂は避けられない状況に陥ったのだった。(各共和国は連邦からの離脱権を持っています。)

そして始まったスロベニア、クロアチアへの連邦軍の派遣、そこで出てきたボスニアでの3つどもえの泥沼と結構。ドロドロとした部分が出てきます。クロアチアの象徴、紅白の市松模様はチトー体制下では「分派行動につながる」としてその使用は厳しく制限されてきましたが、かつてのナチ党傀儡下のクロアチア独立国の再来かと思えるほどの過激民族主義が噴き出す中で、アメリカによる和平という締まり方です。

 この作品は私も何度か見ましたが、当事者のインタビューを基にしているため、そんな脚色が入っている部分はありませんが、結構見ごたえのあるものです。そうこうしているうちに雨は上がりましたが、さて今日はどんな1日になりますか?今日も1日、頑張りましょ。
(ほれ、アンタも泥沼にはまり込んだらいかんよ、ミーシャ。)
関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ミーシャ

Author:ミーシャ
FC2ブログへようこそ!

コアラの時計

by Animal Web Clock
FC2カウンター
現在の閲覧者数:
FC2カウンター
最新記事
最新トラックバック
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
RSSリンクの表示
リンク
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
検索フォーム