東から来た貴女

 さて愛するタイガース、昨日は雨で一休み、しかしその裏でけしからん某全国紙はどさくさまぎれにトップに立っているという事態に首を捻る私。今日は木曜日、テニスのお話。2枠目の今週は「選手」、今月はこんな方のお話です。
(で、アンタは雨が止んだら、「車を拭きに行くんだ~♡」とか言うて拭きに行ったんやろ、ミーシャ。)

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 今月はこの方。1990年代のダブルスの名選手、ナタリア(ナターシャ)・ズヴェレワ(Natalia(Natasha) Marataŭna Zverava ベラルーシ)という方です。1971年4月16日、旧ソ連(ベラルーシ)、ミンスク生まれ、右利き、バックハンド両手打ちのこの方、シングルスよりもダブルスで有名でした。1985年にプロ入り、そして1986年のウィンブルドンと1987年のUSオープン(ジュニア(18歳以下)の部)に優勝して、運命の1988年シーズンを迎えます。この年はシュテフィ・グラフの年間グランドスラムの年でしたが、その第2ラウンドのフレンチ・オープンで一大転機を迎えます。何と何と4回戦でマルチナ・ナブラチロワに勝っちゃったという大番狂わせ。この勢いで決勝まで上がりましたが、最後には準優勝に終わりました。

 その後はダブルスに軸足を移し、4大メジャーの女子ダブルスで「18勝」を挙げ、1992年・1993年・1994年・1997年の4度にわたり、4大メジャー女子ダブルスの年間3冠を獲得しています。初優勝は1989年の全仏オープンで、シングルス決勝でグラフに屈辱的な敗北を喫した翌年のことでした。1992年全仏オープンから1993年ウィンブルドンまで、女子ダブルス6大会連続優勝の記録を樹立し、1993年・1994年・1997年には全豪オープンからウィンブルドンまで年間3連勝を挙げながらも、最後のUSオープンを落として、女子ダブルスの年間グランドスラムを逃しています。(ここで「詰めが甘い」と言ってはいけません。)

 またこの方はキャリアの初期ではウェアとシューズはアメリカのナイキ製でした。これは旧ソ連のテニス事情からですが、元々ソ連はテニスでは比較的、有名選手も多くいました。男子のアレックス・メトレベリ、女子のオルガ・モロゾワ(間違っても旦那はケーキ屋をやっているわけではありません。)などがいましたが、1977年にソ連政府がテニス選手の海外試合出場を禁止したことにより、国外(西側)テニスツアーへの出場が不可能になってしまいました。その後、ゴルバチョフの「ペレストロイカ」の過程で、外貨(西側の貨幣ですな。)獲得政策の一環として、スポーツのプロ化容認へと舵を切ったわけです。その際に設立されたのが、「ソブ・インタースポーツ貿易公団」と言われる法人です。「何の公団かな?」という方に説明しますと、要するに「選手を「商品」として、国外(西側)に売り込み、それで外貨を得よう」というための法人です。サッカー、アイスホッケーなどは西側への選手の放出が起こり、そして比較的『金の稼げる』ツアーが確立されていたテニスも対象になりました。(いわゆる、「稼いだ賞金の一部が国庫に入る」というやつです。決して「ピ×ハネ」と呼んではいけません。)その中で西側、アメリカの大手マネージメント会社「プロサーブ」社(現レラティビティ・メディア、ミーシャのマネージメントもここでした。)が間に入り、再び、ソ連はテニスのプロ・ツアーに戻ってきたわけです。その際にプロサーブが持ってきたのが「ナイキとの用具の契約」でした。元々共産圏で絶大な知名度のあるのはドイツのアディダスですが、「新興国」である共産圏での市場拡大を狙ったナイキが、恰好の広告塔として手を出したというわけです。

 ということで今日のお話はここまで。今日はお休みですが、またまたドタバタとしそうです。
(これ、ゆっくりできる時はゆっくりしとかんといかんよ、ミーシャ。)
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