史上唯二

 さて巷で話題のSMAPの独立劇騒動、何やら周辺にきな臭いうわさが立ち込める中、今日も真面目にお仕事の私。今日は木曜日、テニスのお話。2枠目の今週は「選手」、今回は来週から始まるオーストラリアン・オープンからこんな方のお話です。
(これ、同じ事務所やったのに、知らんかったの、ミーシャ?)
(お姉ちゃん、ボクの事務所はLDHだよ。ちゃんと覚えておいてよ、全くもう!)
(こら、アンタがそんなわけないやろ、そんなえ~もんでもあらへんくせに!)

rod-laver.jpg

 今月はこの方、オーストラリアが生んだスター選手、ロッド・レーバー(Rod Laver Rodney George Laver)という方です。1938年8月9日生まれ、左利き、バックハンド片手打ちの方です。テニス史上最大の転換期、プロ選手の4大大会出場が解禁された「オープン化」(1968年)の境目の時期に活躍し1962年と1969年の2度「年間グランドスラム」を達成した名選手です。生涯を通じて「2度」この偉業を成し遂げたテニス選手は、男女を通じてレーバー1人だけです。(ただし、当時はフレンチ・オープンを除く他3つは全て芝生のコートでした。)

 1956年、17歳で全米ジュニア(18歳以下、現在の全米オープンのジュニアの部の前身です。)に優勝し、その4年後には4大メジャー初優勝、そして1962年には1度目のグランドスラムを達成します。この後、レーバーはプロテニス選手に転向を表明、しかしそれは4大メジャーなどの大会に出られなくなることを意味していました。当時のテニスの4大メジャー(全豪選手権、全仏選手権、ウィンブルドン選手権、全米選手権)の出場資格は、アマチュア選手に限定されていました。しかし1930年代後半頃から、トップ選手たちのほとんどが頂点を極めた時点でプロに転向する道を選んでいました。ということは必然的に4大メジャーよりもプロ選手が出る大会の方がレベルは落ちるわけですが、このジレンマに悩まされていた中で1968年、ITF(国際テニス連盟、当時はILTF(国際ローンテニス連盟)と言ってました。)は4大メジャーにプロ選手の出場を解禁することを決定しました。これを「オープン化」と呼び、テニスの歴史を通じて最大の転換点となります。こうしてプロ選手であるレーバーも4大メジャーに復帰します。そして1969年、2度目のグランドスラムを達成。1973年に入ると、プロ選手たちは男子国別対抗戦・デビスカップにも出場の道が開かれるようになりました。そこでレーバーもオーストラリア代表に復帰します。

 左利きにしては意外にボールは重く、対戦相手からすれば「ゴリラ」のようだったレーバーも40歳を迎える1978年まで、レーバーは現役テニス選手としてコートに立ち続けました。引退後の2000年、オーストラリアン・オープン開幕に先立ち、会場のメルボルン市のナショナル・テニスセンターのセンター・コートが「ロッド・レーバー・アリーナ」と命名された。「オープン化時代」(Open Era)の第1回大会として行われた1969年「オーストラリアン・オープン」の男女シングルス優勝者の功績を讃えて、センター・コートにはレーバーの名前を記念し、隣の1番コートは女子シングルス優勝者マーガレット・コート夫人を記念して「マーガレット・コート・アリーナ」の名前がつけられました。

 ということで今日のお話はここまで。今週末はちょっとお休みんありますが、そこまで何とか持たせましょという次第です。
(ほれ、あんまし無理せんようにね、ミーシャ。)
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