タンゴの湖

 さて昨日は雨降り、そんな中でドタバタのお仕事をしていた私。今日は水曜日、ミニカーのお話。3枠目の今週は「サーキット」、ミーシャのパパの出がアルゼンチンということから、こんなコースのお話です。
(これ、風邪ひかんようにね、ミーシャ。)

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 今月はこちら。アルゼンチン・ブエノスアイレス郊外にある「アウトドローモ・フアン・イ・オスカル・ガルベス」(Autódromo Juan y Oscar Gálvez)というサーキットです。1952年に開場。当初の名前は「10月17日サーキット」という名前でしたが、1989年にアルゼンチン出身レーサーであるオスカル・アルフレード・ガルベスにちなんで名付けられてました。現在の名称になったのは2008年からです。現在はアルゼンチンの国内ツーリングカー・レースなどで使われるだけです。

 コースは敷地内のラインの組み合わせ方によって何通りものコースを造ることができるため、F1では1953年~1958年、1960年の開催時、1972年~1977年の開催時、1978年~1981年開催時、フォークランド紛争により休止を挟んだ後の1995年~1998年開催時それぞれサーキットの形状が違い、これら4種類のコースでアルゼンチンGPが開催されました。現在の4代目のコースの全長は4259m、最も長い2代目(1970年代)のコースは湖の周回を含めて5948mありました。湖の周回を含む当時はその高速コース部分とインフィールド・ゾーンを含めていましたが、現在のコースはインフィールド部分のみを使ったかなりタイトなコースです。上から見るとアルファベットの「H」の字を崩したように見えます。(間違っても、「松葉を崩した」と言ってはいけません。)

 またアルゼンチンでは、レース好きの大統領の政策もあって、戦後すぐのころからグランプリが開かれました。ヨーロッパの選手が招かれ、逆に自国の選手をヨーロッパのレースで戦わせました。(その中でも最大のスターがフアン・マニュエル・ファンジオです。)このように、当時のアルゼンチンはレースが盛んな国だったため、ペロン大統領(有名な『エヴィータ』の旦那ですな。)は、とうとう新しいサーキットをブエノスアイレスに建設し、ここでのグランプリが世界選手権に組み込まれることになりました。

 初のF1ということもあって、ペロン大統領が観戦に訪れた。サーキットは異様な熱気に包まれ、大観衆が警官の制止を振り切って、コースの縁にまでズラ~リと殺到していました。 こうなると「何か起こる」のはお約束ですが、32周目に3位のファリーナの目の前で、観客である一人の少年がコースを横切ってしまいました。ファリーナの必死の回避も空しく、少年ははねられ、更にマシンは群衆の中に突っ込んでしまいました。ファリーナは無事だったが、観客の10名が死に、30名あまりが負傷するという大惨事となってしまいました。

 ということで今日のお話はここまで。そろそろお仕事ですが、お部屋のこぐまも「ボク、ニコニコしてるミーシャがいいな」って言う中、今日も一日、がんばりましょという次第です。
(ほれ、あんまし無理せんようにね、ミーシャ。)
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