最強の家

 さて昨日はプールに行けずじまいの中、帰ってテレビを見ていると「北の湖逝去」のニュースにびっくりの私。「巨人、大鵬、玉子焼き」の対極、「江川、ピーマン、北の湖」とも言われた「憎らしいほど強い」から「負けると大喜びする」この方のお話から今日は土曜日、巨大建造物のお話。4枠目の今週は「アリーナ」、今月はこんなお話です。
(せやけど、アンタはこの人の現役時代はほとんど知らんでしょ、ミーシャ?)

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 昭和の大横綱、北の湖、「憎らしいほど強い」がゆえに「ヒール」役になっていたわけですが、バレーボールでも似たようなチームがありました。日本女子バレーボール史上、最強と呼ばれる2つのチーム、1つは日紡貝塚(後にユニチカ、現在は東レ・アローズです。)、そしてもう1つが日立、2001年になくなりましたが、今週はこの日立の練習場「日立一ツ橋体育館」、東京都小平市にあったこの体育館のお話です。

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 東京都小平市にあったこの体育館は元々は日立製作所 小平工場の敷地の中にありました。現在はルネサステクノロジーの武蔵工場となっていますが、この体育館は1957年(昭和32年)、キャベツ畑の中に半導体の研究工場として建設されました。しかし日立バレーボール部の廃部後、しばらく地域の体育事業などに使われていましたが、現在は取り壊され、跡地はマンションになっています。

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 そしてこの日立、1990年(平成2年)に日立ベルフィーユ(Bellesfilles フランス語で美しい娘たちという意味です。)と改称されましたが、元々は1964年(昭和39年)日立製作所武蔵工場バレーボールチームとして東京都小平市にて創部されました。(日立はそれぞれの工場が強い権限を持っており、各工場ごとにチームがありました。現在の日立リヴァ―レ(バレーボール)は元々日立佐和工場(茨城県ひたちなか市)のチームです。)1975年(昭和50年)に日立バレー部に改称し、本社チームに昇格。都立三鷹高校を指揮した山田重雄を監督に迎え、獲得タイトル計53回は、ユニチカ・フェニックス(現東レ・アローズ)に次ぐ歴代第2位であり、日本女子バレー界を代表する強豪チームと称えられました。1980年代に最強を迎え、日本リーグ6連覇(1981-82~1986-87まで)、リーグ戦88連勝は後継のVプレミアリーグに至る歴史の中で、いまだ破られていない金字塔です。一時期は「日立=全日本代表チーム」というほどでした。このオレンジ色のユニフォームにあこがれてバレーボールを始めた方は恐らく40代以上の方です。(画像は最終期。1990年代後半のものです。)

 さらに戦術面でもその昔、セッターは小さくて当たり前の時代、中田久美(現久光製薬監督)を早々にセッターとして育て上げたことがそれを如実に語っています。それぞれの時代、日本の中では大きい選手を多く抱えているのもやはり日立が一番だったんです。これを進化させたのが「デュアル・セッター・システム」、セッターを2人置いて、2人のうちどちらが上げるかをわからなくしてリズムに乗せないようにさせるやり方です。当時のセッター、永富に加えて大林をセッターとして使ったことにびっくりでしたが、これは結構使えていました。

 ということで今日のお話はここまで。何だか本題そっちのけで書いたような気もしますが、一つの時代が終わったという事に、私のお話も5年目が終わりましたという次第です。
(これ、アンタは体育館のお話のくせに、ネタがあれへんからって無理やり埋めてんやないんよ、ミーシャ!)

 
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