ウェアの変遷(その3)

 さて雨降りの中、昨日は諸般の事情で一回お休みの「双六の」私。今日は金曜日、テニスのお話。「番外」ということで、最近続いているこんなお話です。
(これ、「双六」とはどういう例えやの、ミーシャ?)

 前回は1995年までのお話でした。翌1996年以降、アディダスのデザイン・コンセプトはがらりと変わります。またこの後を考えてか、他の選手も使うようになりました。(その例はアンナ・クルニコワなど)

1996年前半
1996年前半(2)

(16)1996年前半
「脱税」その他のスキャンダルからほとんどのスポンサーを失った中、この年は始まりました。そしてほとんどの場合、スコートは黒だったんですが、この年の注目はワンピース(ここでルフィが出てくるわけではありません。)のものが登場したことです。

1996年中盤

(17)1996年中盤
ウィンブルドンで着用したモデル。白ベースのものとなったために登場しました。伊達公子との運命の日没の試合ではこのウェアでした。

・托シ呻シ呻シ門ケエ蠕悟濠_convert_20150703055342

(18)1996年後半
シーズン後半で着用。しかしこの年以降、やや凋落が始まることになります。

1997年

(19)1997年
一大転機となったこの年、左ひざの故障でシーズン中盤から長期離脱することになります。結局この年は世界ランク1位から滑り落ち、残りシーズンを棒に振ることになります。

1998年前半
1998年後半

(20)1998年
ウィンブルドンで復帰、特例でシード選手になったのですが、その後チョロチョロと勝つものの、本格的に戻るのはもうちょっと先です。

indian996.jpg

1999年(2)

(21)1999年前半
この年は2パターンを併用していました。1つは紺色ベースのもの、もう1つは白ベースのもの、最後の4大メジャー優勝のフレンチ・オープンではこの紺色を着ていました。

1999年(3)

(22)1999年中盤
ウィンブルドンで登場したモデル、この時点でアディダスはマルチナ・ヒンギスと契約しますが、グラフには自分専用のものを回しています。(よ~く見ると襟があります。他の選手には襟はありません。またヒンギスと契約した理由は諸説ありますが、「グラフの引退をアディダスが事前に知らされていたために、その予算が浮くことを見越して手を出した。」という説が最も有力です。)結局引退までこのウェアを着ることになりました。

 ということで今日のお話はここまで。さて雨はどうなりますか?私もちょっと気になる所で、そろそろ「上がり」ます。
(こら、ミーシャ。「双六」って来るから最後はそういうオチできたわけやね。)
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