権謀術数

♪ミーシャの部~屋は~、最近「♪」(音符)を~、やたらと書~きな~ぐ~るお話、読まさ~れ~てんだけ~ど~、あの子も割と~、忙しいよ~う~で~、無理やりあ~わせて~、書い~て~い~る~♪(中島みゆきの「悪女」のメロディでどうぞ)さて今日はお仕事、でもその中で、最近やたらと「♪」が思いつく「歌う四庫全書(注釈)」の私。今日は火曜日、映画のお話。4枠目の今週は「ドラマ」、その「四庫全書」からこんなお話です。
(これ、誰が「四庫全書」やて、アンタは「しこりだらけ」やないの、ミーシャ?)

 この「四庫全書」というのは中国、清朝の最盛期、6代乾隆帝(在位1735-96)時代に作られたものですが、その先代、雍正帝時代を描いたものに『宮廷の諍い女』(きゅうていのいさかいめ、原題:後宮・甄嬛伝 2012年 中国)という作品があります。この作品は、中国作家・流瀲紫によるネット小説を原作にしたテレビドラマ。2011年末より2012年春にかけて、中国各地で放映され、大きな話題を呼びました。

 あらすじはこんな所で…。
1722年(康熙61年)、9人の皇子達による皇位争い「九王奪嫡」の末、愛新覚羅胤禛(後の雍正帝)が康熙帝の後を継いだ。 それは清の第5代皇帝・雍正帝の時代の幕開けと同時に、皇帝の寵愛を巡る妃嬪たちの激しく哀しい諍いの始まりでもあった……。

漢民族の娘・甄嬛(孝聖憲皇后)(孫儷)は秀女に選出され、後宮入りする。そこは皇帝の寵愛を巡り、皇后と年羹堯大将軍の妹・華妃(年世蘭)(蒋欣)が勢力を二分する女の嫉妬と陰謀が渦巻いていた。後宮で平穏な暮らしを望む甄嬛だったが、皇帝(陳建斌)から寵愛を受けることにより華妃とその一派から激しく嫉妬され、冷酷な罠を仕掛けられる。数々の危機を乗り越える甄嬛だったが、失うものも多かった。やがて身も心も疲れ果て後宮を後にする。外の世界で待ち受けていたのは、皇帝の弟・果郡王(李東学)との安らぎのひととき。甄嬛は真の愛を手に入れるが、それは新たな悲劇の始まりでもあった。

果郡王の訃報を知った(のちに生存が判明する)彼女は、報復のためそして、果郡王の子を産み守るため、再び後宮へ戻った。そこで目にしたものは、相も変わらず激しい諍いを繰り広げる、妃嬪たちの姿だった。皇后の陰謀で窮地に立たされた甄嬛だったが、逆に彼女から後宮の実権を奪うことに成功する。だが、皇帝から果郡王との仲を疑われ、毒殺することを命じられた甄嬛。果郡王を呼び出し、盃を交わすが、彼女の真意に気付いていた果郡王は、自ら毒の入った酒を呑み、息絶えた。やがて皇帝は病に倒れ、最期の時を迎えた。枕元で甄嬛は、亡き沈眉荘(斕曦)が産んだ公主が温侍医の子であることを告げ、止めを刺す形で死に追いやった。皇后は皇太后の遺書が公開され、辛うじて廃后を免れたが、雍正帝の信頼を失い、一生を宮で終える。新皇帝、乾隆帝の即位で、「聖母皇太后」の称号を得た甄嬛。長くつらい諍いから開放され、平穏な日々を送る。

 こう見るとこの雍正帝という人物はひどく損な位置づけに見えますが、実際は相当なやり手の皇帝でした。毎日夜遅くまで政務に当たり、大量の上奏文にいちいち目を通し、全て自分で硃批(しゅひ 皇帝自身による朱墨による諾否、その他の書き込みの事です。)を満洲語で書かれた上奏文なら満洲語で、漢文で書かれた上奏文なら漢文で書き込み、一日の睡眠時間は4時間に満たなかったといいます。前述の密偵も、ただ監視をするだけではなく、地方官に業績の優れた者がいればこれを褒賞したり、中央に引き上げたりしました。

 そして乾隆帝の時代に清朝は国力の最盛期を迎えます。満漢全席、四庫全書などの各種文化事業、そして『字輩の制度』はこの代に生まれ、制度化されました。清朝では兄弟、従兄弟など世代が同じ人の名前には共通の一文字をつける習慣があったのです。これを字輩(じはい)といい、明王朝にもこの習慣がありました。清王朝では乾隆帝の命令で以後習慣化したのです。子孫の世代がすぐわかります。この一文字は勝手につけることはできず、自分の子の代より「永(えい)」「綿(めん)」「奕(えき)」「載(さい)」「奉(ほう)」「慈(じ)」「娯(ご)」を使うよう決められていました。漢文の一節「永綿(えいめん)として、載(とし)を奕(かさ)ね、慈(はは)の娯(たの)しみに奉(ほう)ずる」という意味です。その後、「奕(えき)」の代の咸豊帝は「奉」「慈」「娯」を「溥(ふ)」「毓(いく)」「恒(こう)」「啓(けい)」に変更しました。溥(ひろ)く毓(そだ)て恒(つね)に啓(ひら)く、という意味です。また皇帝のみ、同じ読みの別の字を使う例もありました。(7代嘉慶帝(永琰(えいえん)、即位後に顒琰(ぎょうえん))、8代道光帝(綿寧(めんねい)、即位後に旻寧(びんねい)などがいます。)

 ということで今日のお話はここまで。これからササッとお食事です。明日もお仕事ですので、今日は早めにおやすみなさいしておきましょという次第です。
(これ、ミーシャ。アンタはやたらと詰め込むから、ものすごい文章が長~くなるんやわ、読んどっての人はかなんのよ。その辺、よう考えときや、こら!)

(注釈)四庫全書  清朝の時代、18世紀中盤から後半、1741-82年の40年以上にわたって乾隆帝の勅命により編纂された、中国最大の漢籍叢書(シリ-ズ本)のことです。全般著書は経・史・子・集4部に 44類、3503種、36000冊、230万ページ、10億字になっている(部数・巻数の数え方には数種あり)。実際に編纂に参加して正式に名前が登録された文人学者だけで400人を超え、筆写人員は 4000人余りの人数をつぎ込んだいわゆる百科事典に近いものです。正本7部、副本1部が製作されて、正本は、文淵閣(北京・紫禁城)・文源閣(北京・円明園)・文津閣(熱河・避暑山荘)・文溯閣(瀋陽・盛京宮殿)・文匯閣(揚州・大観堂)・文宗閣(鎮江・金山寺)・文瀾閣(杭州・聖因寺行宮)に、それぞれ収められました。また副本は、翰林院(北京)に収蔵されました。清朝後期の動乱、さらにはその後の国共内戦、新中国の成立に至る過程で7つのうちの4つしか残っておらず、本来の場所にあったものは1部もありません。
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