14億の宴席

 さて愛するタイガース、昨日のお話はパス。久々にスチール缶を握り潰した「握力20kgの」私。今日は土曜日、グルメのお話。今週は「番外」ということで、今日はこんなお話です。
(確かに「あれはないわね~」って思うわね、ミーシャ。)

 俗に宴席のことを「フルコース」「満漢全席」という言い方をすることがあります。この満漢全席というものは、以前にチョロッと書いたことがありますが、今日はこの「お席」をちょっと掘り下げてみましょう。

  清朝の乾隆帝の時代(18世紀中盤、日本では徳川吉宗の時代になります。)から始まった満州族の料理と漢族の料理のうち、山東料理の中から選りすぐったメニューを取りそろえて宴席に出す宴会様式です。後に、広東料理など漢族の他の地方料理も加えるようになり、西太后の時代になるとさらに洗練されたものとなりました。盛大な宴の例では途中で出し物を見たりしながら、数日間かけて100種類を越える料理を順に食べる場合もあったと言われます。しかし、清朝が滅亡するとこのような贅を尽くすことはなくなり、宮廷内の料理人は四散して料理の伝統が途絶えたとされます。(現在では北京にある「彷膳飯荘」なるレストランがこの名残を残しています。)また、この中に出てくる一部の料理については宮廷内の料理人が伝え一般的になっているものもありますが、現在、中華料理店で出される満漢全席といわれるものの多くは宮廷と無縁の料理人が資料に基づいて、あるいは想像を膨らませて調理したものが多いとされます。

 清朝は満州族の征服王朝だったこともあり、圧倒的多数である漢民族を少数派である満洲族がどうやって統治していくかに気を配っていました。(当時の中国の人口は清朝初期には5000万ちょっとだったのですが、乾隆帝末期には2億8000万ほどになりました。その後アヘン戦争当時(19世紀中盤)に4億、新中国の成立時点で5億4000万。10億に届いたのは1982年です。現在の表向きは13億と言っていますが、実際はもっといてそうな気もしますが…。)その政策の主眼となるものが「満漢偶数官制」と呼ばれる中央の諸官のポストをそれぞれ満洲族・漢民族が同数になるように配置していく制度です。清の官吏のポストはそれぞれ満官缺(満洲族だけが就ける。以下同様)・蒙官缺(モンゴル人)・漢軍官缺(八旗に所属する漢人)・漢官缺(八旗に所属しない漢人)と言う風に分けられていました。地方の巡撫・総督(いわゆる知事ですね。)は満漢半数であり、その下の知府以下は漢人が多く登用されました。

 ということで今日のお話はここまで。私もこんな席に呼んでもらいたいなと思う次第です。
(こら、アンタは「(欲望と快楽の)満漢全席」とか言うてんやないんよ、全くもう、変態にもほどがあるよ、ミーシャ!)
 
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