牛さんのおうち

 さて愛するタイガース、昨日のお話はパス。さらには錦織圭も消え、トドメにはサッカーのゼップ・ブラッターFIFA(国際サッカー連盟)会長も辞任騒ぎと大騒ぎになる中、今日は雨の日。すべてを流してもらえるんじゃないと思いつつの水曜日、巨大建造物のお話。1枠目の今週は「野球場」、ミーシャが小さい時に何かの理由で行ったことのあるこんな球場のお話です。
(これ、ミーシャ。落ち着かんといかんよ。)

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 今月はこちら。おとといのお話、「オリックスの監督休養」からその前身球団、近鉄バファローズのかつての本拠地、藤井寺球場です。大阪、天王寺から近鉄電車に乗って20分、大阪の東南部、藤井寺市という所にありました。元々両翼は97.6m(320ft)あり、日本では珍しいコミスキー・パークのような直線的な外野フェンスを持つフィールド形状でしたが、スタンドとの間に円弧状の第二のフェンス(ラッキーゾーン)を設けたために一般的な扇状となり、両翼は公称91mに縮小されました。センター117m、左中間、右中間は110mとかなり狭い目の球場です。収容人員は32000人、これは日本のプロ野球の規定を満たすために拡張したものです。(後述)

 藤井寺球場の開場は1928年(昭和3年)5月。アムステルダム五輪の陸上男子三段跳びで、織田幹雄が日本人初の金メダルを獲得する2カ月前のことでした。戦前はアマ野球で使用されていた球場を初めてプロの本拠地にしたのは、セ、パ2リーグに分立して1950年(昭和25年)に誕生した近鉄パールス(のちのバファローズ)でした。当時はBクラスの常連でしたが、1969年(昭和44年)に初めて2位に躍進してから、4年連続でAクラス入り。1970年(昭和45年)には甲子園のアイドルだった太田幸司(青森・三沢高)がドラフト1位で入団するなどファンが増え、1973年(昭和48年)に藤井寺球場の大規模な改修工事計画が発表されました。その中にはナイター設備の設置も盛り込まれていたが、騒音などを心配した近隣住民が大阪地裁に工事差し止めの仮処分を申請。(この球場は閑静な住宅地の中にありました。)地裁が認めたため、工事は外野の照明用鉄塔が完成したところで10年間、中断しました。(近辺の家には「ナイター開催反対」とか言う張り紙が結構貼ってました。)近鉄は1981年(昭和56年)3月に地裁へ異議申し立てを行い、防音壁の設置や鳴り物入りの応援禁止などを条件に工事を再開。1984年(昭和59年)にようやく完成しました。(このため、全国高校軟式野球選手権はその「鳴り物禁止」が高校生のブラスバンドに支障が出るということで1981年にここから現在の明石、トーカロ球場に移りました。)

 この球場の名物はその「鳴り物がない事」から来るファンと選手の異常な近さ、それ故にこんなことも…。
(1)野次の掛け合い
とある日、好投している近鉄の某投手に対して
おっちゃんA「こらあ(人名)!安心するなよ!」
おばちゃんB「そうや!安心したらあかんでえ!」
おっちゃんC「おばちゃんも言うとる!安心したらあかんぞ!」
これ、全員ぜんぜん離れた席に座ってるアカの他人がやってます。
(また客の入りが少ないもんで、これがよう通るんです、凄まじいのはこれがラジオの集音マイクに乗って、電波で流れてしまうんです。)
(2)出入り自由
基本的に選手用のロッカールームは関係者以外は立ち入り禁止の場所ですが、「選手の知り合い」とか称して、勝手に近所の人が入ってくることが多々ありました。またこのロッカールームは現在では考えられないほど狭い、汚い、学校の部活動の部室の延長みたいなところでした。

 そして1997年(平成9年)、大阪ドーム(現京セラドーム大阪)への移転の後、練習場及び二軍の本拠地球場となり、その後も一軍公式戦が年間で数試合行われましたが、1999年(平成11年)、最後の一軍公式戦をやったと同時に専用球場としての指定も同年で取り消され、晩年は二軍の試合や高校野球の大阪大会などが主となりました。そして、2004年(平成16年)のプロ野球再編問題の結果、近鉄とオリックス・ブルーウェーブの合併により野球場を持つ必要性が薄れたこと(オリックスの二軍本拠地及び合宿所は兵庫県神戸市にあるものを継続使用するため)や施設が著しく老朽化していることなどを理由に、2005年(平成17年)1月末を以て近鉄が主催する閉鎖イベント等が行われないまま本球場は閉鎖となりました。現在では学校法人四天王寺学園の運営する小学校、中学校と分譲マンションになっています。

 またこの32000人という数字ですが、日本プロ野球の規定に「オールスター・ゲーム、日本選手権シリーズにおいては収容人員30000人以上、かつ照明付きの球場を使用すること」とあります。このため、近鉄バファローズは1979,80年(昭和54,55年)の日本シリーズをこの球場、さらには正式の本拠地である日生球場(20500人)ともその規定を満たしていないために、宿敵、南海ホークスの本拠地、大阪球場(32000人)を借りて、試合を行いました。藤井寺が日本シリーズの舞台になったのは史上唯一、1989年(平成元年)、「巨人の打線は、(当時パリーグ再開の)ロッテより怖い事ない」と言って引っくり返された時です、その際の最終、第7戦で駒田がぶっ放したホームランの後「バ~カ!」と言った一言も電波に乗ってしまいました。そして中畑清(現DeNAベイスターズ監督)が最後に打ったホームランは、結構きれいな弾道でした。

 ちなみにミーシャは、一度ここへ行ったことがあります。確か近鉄バファローズのファン感謝祭かなんかだったような…。ということで今日のお話はここまで。今日は雨の日ですが、さてどうなりますか?今日も一日がんばりましょという次第です。
(ほれ、ちゃんとすることしときや、ミーシャ。)
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