帰る家のない試合

 さて今日は支払いその他、ドタバタ、グルグルになるであろう中、このお話を早起きさんで書いている私。今日は木曜日、テニスのお話。2枠目の今週は順番を入れ替えまして「名勝負百選」、今週のテーマ「震災」から、こんな試合のお話です。
(これ、アンタは順番入れ替えてば~っかりやないの、ミーシャ?)

 1995年1月23日、オーストラリア、メルボルンで行われたオーストラリアン・オープンの4回戦、結果はこうでした。

 澤松奈生子    6-4     メアリー・ジョー・フェルナンデス
          (7)7-6(5)

 この大会、澤松は1回戦で、当時19歳の杉山愛にストレート勝ち。3回戦では長年のライバル(学年は2つ上)ですが、当時6連敗中だった第7シードの伊達公子と対戦し、3-6、6-3、6-3で逆転勝ちすると、敗れた伊達は「沢松さんは捨て身だった」と評していました。さらに彼女を襲ったのは1回戦の試合前に起こった阪神・淡路大震災、西宮、苦楽園(西宮でも屈指の高級住宅地、ご近所さんは和田豊(阪神タイガース監督)、岡田彰伸(元阪神タイガース監督)、他にも藤川球児も一時住んでいたようです。)の自宅(なんとテニスコートがあります。私はこの家に行ったこともあります。)はその震災で全壊し、家族の安否もわからないままに大会は始まりました。

 この試合を一言でいうと、「神がかった試合」、「普段ならこんなに速い、切れのあるショットは打てない。足も軽くて、百メートルで20秒近くかかる人が10秒を切る感覚。妙に冷静で、勘も働いていた。やっていて怖いぐらい、自分じゃない感じ。あそこまで無心の境地になれたのは後にも先にもあの試合。被災地の声援などがあって、こんなプレーができたと思った。」と彼女は後に語っています。

 ただ第2セット、タイブレークまでもつれこみましたが、これを落として1セット・オールになるとこの試合は勝てなかったかもしれません。(「追いついた方が有利になる」とよく言われますね。)そしてこのタイブレークを取って、この試合は終わりました。4大メジャーで初めてのベスト8入り、ベスト16は勢いやドロー運で入れる事もあります。でもベスト8となると本当に実力がないと入れない領域です。とはいえ、その次の試合で第1シードのアランチャ・サンチェス(スペイン)に1-6、3-6で敗れ、快進撃は止まりましたが同年3月の世界ランキングは自己最高の14位に浮上しました。

 ということで今日のお話はここまで。今日はちょっと朝からドタバタとするわけですが、外は雨が降ってきました。「さっさと済ませておきましょ」ということで、これからあれこれという次第です。
(ほれ、落としたりせんようにね、ミーシャ。)

 
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