光の球場

 さて昨日はさっさとお仕事を終わらせたものの、帰りの電車でスヤスヤ、コックリ、気が付けば降りる駅を過ぎていた(でも1駅、歩いて帰る事の出来る距離です。)「寝る子は育つ2」の私。今日は水曜日、巨大建造物のお話。1枠目の今週は「野球場」、私はほとんど知らないのですが、こんな球場のお話です。
(ほれ、ウツラウツラしとったらいかんよ、ミーシャ。)

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 今月はこちら、東京都荒川区南千住という、どう考えても繁華街でも交通の便が良い場所で無い所に、アイススケート場、ボーリング場等が併設された球場が1962年(昭和37年)に完成しました。漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』にも出てきますが、この「東京スタジアム」が今月のお話です。収容人員35000人、両翼90m、センター120mのちょっと今では小さめの球場です。

 元々ここには1879年(明治12年)に操業を開始した千住製絨所がありました。戦後は民間に払い下げられ、大和毛織が所有する生地工場となったが、1950年代に入ると業績が悪化。工業用水として使用していた井戸の枯渇や様々な規制、労使間争議の慢性化などによって経営難に陥り、1960年(昭和35年)に閉鎖されました。工場跡地の一部は名古屋鉄道(名鉄)が取得し、「明治村」の建設用地として使用することが計画されていました。 (「明治村」はその後、愛知県犬山市に建設されました。)

 現在のプロ野球、フランチャイズ制を敷いたのは1952年(昭和27年)からですが、その際に巨人、国鉄(今の東京ヤクルトスワローズに当たります。)、大毎(今の千葉ロッテマリーンズに当たります。)が後楽園球場を本拠地としていたため、日程の過密化が常態化していました。そこで大毎のオーナーだった永田雅一は私財を投じて自前の本拠地球場の建設を計画。都内各所を自ら視察した結果、一度は深川の東京ガス運動場を建設地とする案が有力であったものの、直後に破談となり、改めて南千住の大和毛織工場跡地を建設地に決定しました。そして工事は進み、1962年(昭和37年)6月2日、この球場はこけら落としが行われ、「大リーグのボールパークのような最先端の設備を有しながら、庶民が下駄履きで気軽に通えるような球場」という永田の壮大な構想が具現化した、彼にとってはいわば「夢の野球場」が生まれました。

 しかし当時は巨人の絶頂期、ましてやパリーグの球団など見向きもされないという中で1969年(昭和44年)、大毎はロッテを冠スポンサーとして「ロッテ・オリオンズ」と改称、1971年(昭和46年)、大映は球団の経営権をロッテに譲渡し、本社の経営再建に乗り出すものの倒産。関連子会社(運営元です。)の東京スタジアムも累積赤字が約15億円にまで膨らみ、経営権は1972年(昭和47年)に国際興業(総合商社、でもバス、タクシーなどで有名です。)社主の小佐野賢治の手に移りました。だが小佐野は「このまま貸し球場として所有していたのでは採算が取れない。球団と球場は一体的に運営するのが理想」として、ロッテにスタジアムの買い取りを求めました。しかし、ロッテはこの案に難色を示し、賃借契約の継続を要請。スタジアムの使用を巡る交渉は終始平行線を辿りました。結局、交渉は事実上決裂。小佐野は「球場は廃業するので、来季以降は使用できない」とし、東京スタジアムは同年限りでの閉鎖が決まりました。開場からわずか11年目のことでした。

 主を失った東京スタジアムが閉鎖された後、法人格としての株式会社東京スタジアムも解散しました。同年末に竹中工務店が土地および施設を取得した際には「オリオンズが帰ってくる」と囁かれたものの、これも頓挫。その後1977年(昭和52年)3月に東京都が跡地を取得し、4月からスタンドは解体されました。跡地は大半が荒川区の管理する「荒川総合スポーツセンター」となっており、体育館や軟式野球場などがあります。一部は移転した警視庁南千住警察署と都営住宅の敷地となっています。

 モデルとなったのはアメリカのサンフランシスコにあり、かつてサンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地だったキャンドルスティック・パークで、場内に設けられた6基の照明塔は当時日本では一般的だった送電塔のような無骨な鉄骨作りではなく、2本のポール型鉄塔がサーチライトを支えるという当時としてはモダンな構造でした。またメジャーリーグの球場のように選手、観客に配慮した充実した設備も自慢でした。ただ、フィールドは狭かったんです。公認野球規則で定められた広さ(1958年(昭和33年)以降に建設および改築されるプロ野球の本拠地球場は両翼99.058m、中堅121.918mを必要とする。という規定です。)を無視して設計された妙に狭いフィールドは当時の後楽園球場(公称値)と同じだったが、左中間および右中間が一直線で膨らみが全くないため、「本塁打量産球場」とも揶揄され投手には不利な野球場でした。しかし永田は「打たれたらその分、ウチが打って取り返しゃええ」と意に介しませんでした。

 ということで今日のお話はここまで。私にも「光が来ないかな…?」と思う中、そろそろ今週も半ばになりました。週末に向けて頑張りましょという次第です。
(これ、ミーシャ。「光が来ないかな」ってアンタはもう、モグラかいな!しまいにピコピコハンマーで叩いたげようか?)
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