カムリのふるさと

 さて最近、お仕事は地道に真面目にの中で、やや隔離されている私。まぁそれはどうこうということはないわけですが、この仕事が終わった後は転勤?という説も流れる今日は水曜日、巨大建造物のお話。今週は番外ということで、こんなところのお話です。
(これ、あんまし無理したらいかんよ、ミーシャ。)

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 トヨタ自動車の工場はほとんどが愛知県、それも三河地域にあります。最近では他の地方にもあります(トヨタ自動車東日本、トヨタ自動車九州など)が、その中でも基幹としての工場として堤工場という所があります。トヨタ自動車工業自体の工場としては6番目、1970年(昭和45年)に完工したこの工場は、野球場23面規模(敷地114万平方メートル、建坪61万平方メートル)の規模です。愛知県豊田市堤町馬の頭1、各工場からのちょうど真ん中にあります。工場の敷地などのキャバクラじゃなかったキャパシティは田原工場(愛知県田原市 1979年(昭和54年)に完成しています。現在はマジェスタ、ランドクルーザー、そしてレクサスなどの高額車を製造しています。)なのですが、生産の面ではプリウスなどのハイブリッド車の製造ラインがあるため、トヨタの中でも屈指の規模です。1日当たり1400台を製造しています。

 元々この工場が計画されたのは1967年(昭和42年)、トヨタ自動車工業(注釈)の製造能力はようやく月産10万台、ここでの自由化に対処するため、さらに量産体制の確立を推し進めていました。年産200万台は、自由競争の時代に欧米の先進メーカーと肩を並べて生きていくための一つの目安でした。なお、この時点で年産200万台を達成していたのは、GM、フォードの2社だけでした。年産200万台体制の確立を図るため、また、乗用車市場における需要の多様化に対処するため、トヨタは元町工場、高岡工場に次ぐ3番目の乗用車専門工場として堤工場の建設に着手しました。

 そして最初はセリカとカリーナの製造ラインだったのですが、現在ではプリウス、カリーナの後継車「アリオン」(名前は変えてほしくなかったけど)そしてミーシャの愛車「トヨタのドル箱」カムリもここで製造されています。(ただし、アメリカ向けは別、アメリカ向けはアメリカ、ケンタッキー州ジョージタウンのTMMK(米国トヨタ自動車製造)で製造されています。)

 という所で今日のお話はここまで。定時に上がらされるお仕事の分、後の時間をどう使うかを頭をひねる次第です。
(これ、そしたらアンタ、ここまで行ってきたらどないかな、ミーシャ。)

(注釈)トヨタ自動車工業  現在の社名はトヨタ自動車ですが、太平洋戦争後の一時期、現在では考えられませんが、トヨタは「倒産」寸前まで追い込まれたことがあります。その際に銀行団が出した救済条件が「製造(自工)と販売(自販)の分離」ということでした。そのため、製造をトヨタ自動車工業、販売をトヨタ自動車販売という別会社になりました。その後オイルショック後に、「経営の意思決定のスピード化」ということを理由に1982年(昭和57年)7月1日付けで合併し、「トヨタ自動車」となりました。会長は自工の豊田英二(1913-2013 トヨタ自動車最高顧問、創業者豊田喜一郎のいとこ)、社長には自販の豊田章一郎(1925- 現在はトヨタ自動車名誉会長、恩賜財団済生会(病院ですね、)会長など)が座りました。
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