プロとアマの間

 さてお外は「ミンミン」(決して「餃子」の事ではありません。)、セミが鳴く中、このお話を書いている私。今日は4つ目、テニスのお話。今週のテーマ、オリンピックからテニスにおけるオリンピックの位置づけのお話です。
(ま~た、小難しい文章でも書くんでしょ、ミーシャ?)

 そもそも、19世紀末からイギリスやアメリカで選手権大会が実施されてきたテニスは、1896年の第1回近代オリンピックにおいて実施された「9種目」のひとつであり、9種目の中では唯一の球技でした。1920年代後半に入ると、テニス界は「アマチュア」と「プロフェッショナル」との二極分化が始まったため、国際オリンピック委員会(IOC)はこれを理由に、テニス競技を1928年アムステルダム五輪以降のオリンピックから除外しました。

 第2次大戦後、1960年代末まで、アマチュアで一定成績を残した選手はその後「プロテニス選手」に転向し、当時は別個に実施されていたプロテニスツアーに参加するという形態が一般的になりました。そのため、アマチュア選手のみが参加できる4大大会の権威が低下するなど、テニス界はアマチュアとプロフェッショナルのギャップに苦しむことになります。こうした状況が40年ほど続いた後、最終的に1968年から4大大会の「オープン化措置」が実施されました。これは実質的なプロ解禁であり、以後テニスツアーに参加する選手はプロフェッショナルであることが一般的になりました。(男子はATPツアー、女子はWTAツアー)同じ1968年のメキシコシティオリンピックでは公開競技としてテニス競技が実施されたが、この時点でIOCはアマチュア憲章を放棄していませんでした。

 こうして完全にプロフェッショナルの存在を認めたテニスがオリンピック競技として復活するためには、IOCが「プロテニス選手」の参加を認める必要がありました。1980年にIOC会長に就任したフアン・アントニオ・サマランチは、オリンピック改革として「アマチュア憲章の放棄」と「プロフェッショナルの解禁」を掲げました。これによって、1980年代から複数の競技でプロフェッショナルの参加が認められるようになりました。(例 バスケットボール、アイスホッケー、フィギュア・スケートなど)テニスも例外ではなく、1988年のソウル五輪からトッププレーヤーが参加できるトーナメントとして復活を果たしました。

 ただ、通常のトーナメントと異なるのはこんな所。
(1)ダブルスの場合、同じ国の選手としか組めない
これは当たり前のお話。そのため、この時期にはそれを当て込んで同国のペアが大会に出る例が多々あります。
(2)3位決定戦
一時は銅メダルは2人となっていたのですが、1996年、アトランタ五輪以降は準決勝の敗者2人による「3位決定戦」が行われます。(通常のプロ・ツアーにはありません。)

 また、こういう規制があります。
「各国のオリンピック委員会は、使用する用具その他に際しテニス選手を特別扱いしてはならない。」

 どういう事かと言うと、この場合、テニスウェアについて規定しています。つまり、選手個人で契約しているウェアのメーカーとオリンピック委員会で契約しているメーカーとが異なる場合、委員会の方を採用しなさいという規定です。(特に旧共産圏にはよくあった例です。)さらには袖などについている広告(例 カップヌードル(日清食品) 錦織圭)なども全て外さなくてはいけません。

 という事でプロが出るようになってもう20年以上、その間に変わったものは結構あるんだわという所で今日の所はここまでに…。
(ほいでほいで、オチはどこにあるんかな、ミーシャ?)
スポンサーサイト
プロフィール

ミーシャ

Author:ミーシャ
FC2ブログへようこそ!

コアラの時計

by Animal Web Clock
FC2カウンター
現在の閲覧者数:
FC2カウンター
最新記事
最新トラックバック
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
RSSリンクの表示
リンク
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
検索フォーム