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4人の彫刻

 さて今日は雨、そしてその中でも新年度1発目のお仕事、そこでほかのコースの車が急きょ、エンジン・トラブルでボツったために、その後の処理がちょっと難儀した中、終わった後で本社に呼ばれて、今後のお話を聞いてきた「霧中の」私。今日は水曜日、巨大建造物のお話。今週は「番外」ということで、地域性を加味しまして、渦中のアメリカ、ここにしました。
(これ、アンタはどないなるんよ、ミーシャ。)

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 今回はこちら。「ラシュモア山国立記念公園」です。アメリカ中西部、サウスダコダ州のキーストーンというところにあります。超硬質の花崗岩の岩山、ラシュモア山に巨大な4人の大統領の顔が刻まれています。左から順に、ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、セオドア・ルーズベルト、エイブラハム・リンカーンです。自由の女神と並び、アメリカの民主主義のシンボルとして知られており、1925年3月3日に国定記念建造物に指定されました。1959年のヒット映画「北北西に進路を取れ」(監督:アルフレッド・ヒッチコック)のクライマックスシーンで使われ有名になり、今では年間で25万人以上の人が訪れる人気の観光スポットです。

 この巨大な彫刻は、アメリカ人彫刻家 ガッツォン・ボーグラムが彫ったものです。ラシュモア山の岩盤は非常に硬質なので、ダイナマイトで砕きながら作業を進め、14年の歳月(1927年から1941年10月31日)をかけて彫られました。ただ、ガッツオンはこの過程の途中で逝去したため、息子のリンカーンが引き継ぎましたが、資金不足のために顔の部分が完成した時点で断念しました。掘り始めた当初は世界大恐慌の真っただ中で、当時仕事にあぶれていた地元の鉱山労働者や、牧場主、農場主などが作業員の多くを占めた」ということで恐慌時の公共事業、雇用対策でもあった分けです。彫刻作業は困難を極め、ダイナマイトで砕きながらの作業となりました。(そのため、事故云々は続出していました。普通に考えたら途中で止めるべきところでしょうな。)硬質な岩盤が選ばれた理由は、アメリカの象徴ともいえるこのモニュメントが長期にわたって風化しないようにという配慮からです。

 ということで今日のお話はここまで。どうやら、新しい部分に絡むお話らしいのですが、私の位置づけという部分がちょっと見えてこないことに「さて?」と思う次第です。
(まぁそんなに気にせんと、意外とええかもせーへんよ、ミーシャ。)

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青とエンジ

 さて今日は「早番」のお仕事、でも意外とあっさり終わって、ちょっと疲労もあってかプールはお休み。そこでこの時間からまたもやお話を書いている「トルストイな」私。今日は火曜日、巨大建造物のお話。4枠目の今週は「アリーナ」、ただいま渦中のスペインからこんなアリーナを持ってきました。
(これ、アンタは「トルストイ」やなくて、「スットコドッコイ」やないの、ミーシャ?)

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 カタルーニャを代表する世界屈指の名門クラブ、FCバルセロナですが、ほとんどの方が「サッカー」を考えるかと思います。とはいえ、その実態は「総合スポーツクラブ」でして、サッカーの次に有名なのが、バスケットボールです。スペイン国内リーグ優勝18度、国内カップ優勝25回、ユーロリーグ優勝2回と結構な成績を残しているわけですが、このチームのホーム・アリーナが「パラウ・ブラウ・グラーナ」(Palau Blaugrana)というアリーナです。「パラウ」とは英語読みすると「パレス」(宮殿)、ブラウはカタルーニャ語で「青」、グラーナは「エンジ色」、FCバルセロナのユニフォームの色からとった名前です。収容人員7585人、1971年に開場しました。他にもハンドボール、フットサル、ローラーホッケーなどのチームも本拠にしています。サッカーの本拠地、カンプ・ノウからは向かい、そしてその裏にはサッカーの2軍の本拠地、ミニ・エスタディがありました。とはいえ、このカンプ・ノウの全面建て替えに伴う改修に伴い、ミニ・エスタディは取り壊され、その跡地に「ノウ・パラウ・ブラウグラーナ」(新パラウ・ブラウグラーナ)が建設中です。2020年もしくは2021年にオープンするとか言われています。

 そしてこのクラブ史上最大のスター選手がエピ(フアン・アントニオ・サン・エピフォニア)という人物です。1980年代のバルセロナのスター選手、1977年に18歳でバルセロナ入りして以降、1995年までの18年間バルセロナ一筋(間違ってもここで、「アナタ一筋」とか言ってはいけません。)、背番号「15」は永久欠番になったほどの選手です。(なお、バルセロナは現在5つの永久欠番がありますが、一番最初に永久欠番になった人です。)

 ということで今日のお話はここまで。あっという間に週の半ばですが、そして月末ですが、「時間の流れる速さ」を実感する次第です。
(ほれ、ちゃんとすることしとかんといかんよ、ミーシャ。)

星の城

 さて昨日からプールはお休み、そしてちょっとドタバタがあったために、あれこれと電話でやり取りしていた「水面花の」私。今日は火曜日、巨大建造物のお話。3枠目の今週は「お城」、今日は只今話題のこんなところを語ってみましょ。
(これ、そんな「闇工作」ば~っかりやってんやないんよ、ミーシャ。)

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 今月はこちら。北海道函館市にある「五稜郭」です。徳川幕府の命を受けた蘭学者・武田斐三郎が設計し、1864年に完成された、国内初の西洋式城郭です。五稜郭という名前のように、稜堡(りょうほ)と呼ばれる5つの角があり、星形の五角形となっています。(この場合は5つあるために「五稜」となります。また転じて学校の同窓会の名前なんかでよく使っていたりします。その最たる例は「六稜会」(大阪屈指の進学校の北野高校の同窓会)です。同校の校章が六稜の星というところから来ています。)星形の城郭は、防御側の死角が少ない、また両側から「挟み撃ち」できるなどなどの利点があり、ヨーロッパ各地に造られた城塞都市をヒントにしたもので、この形を「西洋式土塁」といいます。このような形の五稜郭は、日本では函館市の五稜郭と長野県佐久市の龍岡城の2ヵ所だけとなっています。

 明治新政府と旧徳川幕府との間の最終決戦の地となったこの城は、旧徳川幕府方の降伏により終わったのですが、その後は、明治政府兵部省が管理することになり、その後は役所として利用されることはありませんでした。1871年、開拓使本庁の札幌移転に伴い、その庁舎建設のため、木材不足から奉行所庁舎や付属建物の大半を解体。1873〜1897年までは陸軍省の練兵場として利用されます。五稜郭公園として一般開放されるようになったのは、1914年以降になります。1922年に国指定史跡、1929年に郭外の追加指定、1952年には北海道唯一の国指定特別史跡へ。2010年には箱館奉行所が復元公開されました。そして2006年にはここを見下ろせる「五稜郭タワー」が完成し、道内屈指の観光地になっています。

 ということで今日のお話はここまで。ちょっとこの連休が忙しくなってきたわけで、その段取りに悩む次第です。
(ほれ、妙なものをもらってくるんやないんよ、ミーシャ。)

カサブランカ・男子~

 さて言いたいことは山ほどあるお仕事、その辺を突っ込んでやろうかと思ったものの、そこまであら捜ししてつるし上げるのもよしておきましょうかと思う「打算な」私。さらにはセンバツ高校野球も中止、そしてこの3連休あたりで「社会見学」に行こうと思いつつも、「濃厚接触」を説明するのに悩みそうな気がする今日は水曜日、巨大建造物のお話。2枠目の今週は「スタジアム」、今日は鉛筆投げてここにしました。
(これ、何の「社会見学」なんかな、それに「濃厚接触」ってアンタ何を考えとるんよ、ミーシャ?)

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 今月はこちら。アフリカのスタジアムとしては2例目になる「スタッド・モハメド・サンク」(Stade Mohamed V)というスタジアムです。モロッコのカサブランカにあり、1955年に開場した収容人員67000人、現在のものは1981年、2000年に改築されたものです。アフリカ屈指の名門クラブチーム、ラジャ・カサブランカ(ラジャとはアラビア語で「希望」という意味です。)、ウィダード・カサブランカ(ウィダードとはアラビア語で「愛」とか「友情」という意味です。)が本拠として共有しています。

 当初は最大収容人数30000人のスタッド・マルセル・セルダン (Stade Marcel Cerdan)として1955年に開場しました。翌1956年、モロッコがフランスから独立したことに伴い、スタッド・ドヌール (Stade D'honneur)に改称しました。1983年の地中海競技大会の誘致に成功したため、収容人数を増やすこととなり、1981年に大幅な修繕工事を行った結果、収容人数は80000人となり、電光掲示板が設置され、スタジアムの名称も現在のスタッド・モハメド・サンクに改称しました。(現在の国王陛下、ムハンマド(モハメド)6世の祖父、ムハンマド(モハメド)5世からとりました。)2000年、2010年のFIFAワールドカップの招致に向けての改修が始まり、現在の67000人になりました。

 そして当然のことながら、イスラム圏のため、女性がのこのここんなところに来るわけがありません。スタジアムに響く眉毛の濃~いおっちゃん連中が歌うこれがホントの「カサブランカ・ダンディー」というやつでして、ある種エゲツない部分が多々出てきます。

 ということで今日のお話はここまで。さてどうなりますか?というところで明日もまた、頑張りましょ。
(ほれ、あんましあれこれ気にしたらいかんよ、ミーシャ。)

跡形もなく

 さてあれこれと始まった今週ももう半ば、何だかんだと過ぎるわけですが、最近、ちょっとお悩みの「悩める子羊」な私。今日は水曜日、巨大建造物のお話。1枠目の今週は「野球場」、今日はこんなお話です。
(これ、どこが「子羊」なんよ、アンタは「ユキちゃん」とでもいうつもり、ミーシャ?)

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 2000年3月26日に爆破解体されたアメリカ、シアトルの「キングドーム」という球場があります。1976年開場の収容人員、59000人~66000人、両翼100m/95m、センター123mの人工芝の球場です。元々はアメフト用に建造されたために、レフト側とライト側で長さが違います。メジャーリーグのシアトル・マリナーズ、NFLのシアトル・シーホークス、そしてNBAのシアトル・スーパーソニックスもここを本拠にしていました。そのため、NHL(アイスホッケー)を除く全てのオールスターゲームを開催した史上唯一のスタジアムとして有名です。

 とはいえ、当時世界で唯一のコンクリート製の屋根を持つドーム球場でしたが、老朽化により天井からコンクリートのかけらが落ちてくることから、1999年シーズンを最後に解体され、野球とフットボールの新しいスタジアムを個別に建設することになりました。キングドームの隣(この画像の1枚目の奥に見えますね。)にはマリナーズの新球場、セーフコ・フィールド(現Tモバイル・パーク)を先行して建設され、解体されたキングドーム跡地にはシーホークスの新スタジアム、センチュリーリンク・フィールドが建設されました。(そのため、シーホークスは2000-01シーズンを近くの大学のスタジアムを間借りしていました。)

 また雨降りで湿気の多いというシアトルの気候からTモバイル・パークは打球が飛ばない球場として有名ですが、このキングドームはさほどのことはなく、ドーム球場の恩恵をかなり受けており、その当時チームとして年間ホームラン数1位の記録を打ち立てています。(決して、エアコンの吹き出し口の位置を細工して、人為的に追い風状態を作っている(とされていることが公然の秘密と言われる)某ドーム球場と比較してはいけません。)

 ということで今日のお話はここまで。今日からしばらく「手伝い」に行ってきます。「体のいい」厄介払いと言えなくもないんですが…。今日も1日、頑張りましょ。
(ほれ、あんましイジケとったらいかんよ、ミーシャ。)
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