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2つの階層

さてただいま、プールからの帰りにピザを拾いに行った中で、焼き上がるのを待っている私。今日は水曜日、巨大建造物のお話。3枠目の今週は「お城」、今日はここにしましょ。
(これ、今日はどんな捏造ネタかな、ミーシャ?)

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今月はこちら。現存12天守の一つ、高知県高知市にある高知城です。土佐山内家24万石の本城として、1601年(慶長6年)、山内一豊によって着工され、息子・忠義が土佐藩主を務めていた1611年(慶長16年)に、ほぼ全ての建物が完成しました。天守や本丸御殿(なお、天守と本丸御殿が両方現存しているのは高知城のみです。)、追手門等が現存し(天守と追手門が両方現存している城は全国で弘前城・丸亀城・高知城の3ヶ所)、城跡は国の史跡に指定されています。1727年(享保12年)には、城下町の大火で追手門以外の建造物を焼失しましたが、1753年(宝暦3年)までに創建当時の姿に再建。その後、廃城令により本丸と周辺の建造物、追手門のみが残され、1874年(明治7年)に高知公園として生まれ変わりました。現在は城の周辺には高知市役所、高知県庁、地方裁判所、地方検察庁などの行政機関や司法機関が立ち並び、高知県の行政の中心地となっています。

 またこの山内一豊という人物は、2006年のNHKの大河ドラマ「功名が辻」にも出てきますが、戦国時代末期の長宗我部家の統治の後、長宗我部盛親は「関ヶ原の戦い」において西軍に与して改易となりました。そこで徳川家に味方した遠江(静岡県西部)掛川城主・山内一豊が、新たに土佐国20万2600石を与えられ、以降、明治時代初頭まで山内家が治めました。この際、領国統治のために元々の山内の家来の一門を「上士」、長宗我部家の家来の一門を「下士」とし、かなりきっちりとした区分けを行っていました。ちなみに下士の中からは坂本龍馬、中岡慎太郎などが生まれ、上士の中からも板垣退助、後藤象二郎などが生まれました。また意外に「見栄っ張り」の一面があり、石高を高い目に申告して、「見かけ上」四国一の大名になろうとするのですが、そうすると、「お手伝い普請」などの「金のかかる」仕事を振られ、藩財政が窮乏するというオチが付くことになります。さらに歴代藩主の中でも一番有名なのが、15代山内豊信(容堂)、幕末のフィクサーとしても有名です。

ということで今日のお話はここまで。明日は書面その他を集めて回っての1日です。今日はこれから、給油してきましょ。
(これ、あんまし飲んでば~っかりではいかんよ、ミーシャ。)
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一足お先に

 さて今日はあれこれとすることは多かったものの、意外にあっさり終わったお仕事、そしてチョロッといじったものが乾きまして、そろそろ最終の仕上げに入った今日は水曜日、巨大建造物のお話。2枠目の今週は「スタジアム」、今日はホントはもうちょっと早めに書く予定でしたが、こんなお話です。
(これ、油断しとったらいかんよ、ミーシャ。)

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 今月はこちら。昨シーズンのUEFAチャンピオンズリーグの決勝の開催地、スペイン・マドリードにある「ワンダ・メトロポリターノ」(Wanda Metropolitano)というスタジアムです。1994年に開場、収容人員68000人のスペインで一番新しいスタジアムです。リーガ・エスパニョーラの3強の1つ、アトレティコ・マドリードが2017年から本拠にしています。(後の2つ、バルセロナとレアル・マドリードは既存のスタジアムの改築工事中です。どちらも2022年に完成します。)

 このスタジアムは元々、1997年の世界陸上開催を目指していたマドリード州が1994年に完成させた陸上競技場でした。ところが1997年の世界陸上はアテネ開催に決まり、その後はいくつかの陸上競技会が開催されただけでした。2002年には州からマドリード市へと所有権が移り、2012年、2016年、2020年のオリンピックの招致を目指していたマドリード市はここを開会式と閉会式の会場にする構想を立てていました。そして、五輪開催後の用途として提案されたのがアトレティコの新本拠地とするプランで、市とクラブは2007年の時点で移転について合意に達していました。とはいえ、ロンドン、リオデジャネイロ、東京に続けて敗れたマドリードは、五輪開催がボツ企画になったため夢を断たれたため、アトレティコ・マドリードがこのスタジアムを譲り受けてサッカースタジアムとすることが正式決定。ここから建設工事が本格的にスタートしました。アトレティコは2015年にクラブの株主となった中国の万達集団(ワンダ・グループ)の財政支援もあって3億ユーロ(日本円に直して、当時のレートで約400億円、1ユーロは130円とお考えになると目安となるでしょう。)の改修費を投じ、かくして、スペインの首都で寂れていた陸上競技場は、カンプ・ノウ、サンティアゴ・ベルナベウに次ぐ国内3番目の規模を誇る最新鋭のサッカー専用スタジアムへと生まれ変わりました。

 また、このアトレティコ・マドリードはマドリード市内でも比較的南の方の労働者階級に熱狂的ファン層を抱えるチームですが、史上唯一の汚点が1999‐2000シーズンにやらかした「2部落ち」、結局2年後にまた1部に戻りましたが、この時でもファンは離れなかったというお話があります。押してこのチームは私が初めて生で見たサッカーの試合でしたが、帰りの地下鉄が満員で3本待っても乗れずに、4本目でようやく乗ったほどでした。

 ということで今日のお話はここまで。今週末はちょっと出ていくところがありますが、そこまでに仕上げるものを仕上げましてという次第です。
(ほれ、あんまし無茶せんようにね、ミーシャ。)

5代目はクラシック

 さてお仕事終わらせて、歯医者に行って、ラケットを拾いに行って、この時間からお食事という「肥満度高い」私。さらに、私が知りすぎているのか、周りが知らなさすぎるのかに悩む今日は木曜日、巨大建造物のお話。1枠目の今週は「野球場」、今日はこんなお話です。
(これ、そんなにボヤかんでも、ミーシャ。)

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 今月はこちら。アメリカ、ペンシルバニア州ピッツバーグにある「PNCパーク」(似たような名前が「駐車場」にありますな。)という球場です。メジャーリーグのピッツバーグ・パイレーツの5代目の球場です。2001年に開場、収容人員38200人、センター121.6m、両翼99m/97m、レフト側の方が若干広い(当然左中間も深くなります。)内外野天然芝の球場です。この「PNC」とは地元の金融会社で、2020年までの向こう20年間の命名権を得ています。

 それまでの球場であるスリー・リバース・スタジアムがアメフトとの兼用球場だったため、ファンからの不満が次第に増えていったため、1996年に、野球とアメフトそれぞれの専用球場を建設する計画が立ち上がりました。1999年にそれぞれの球場の建設が始まりました。 とはいえ、公金を投入することになったのですが、建設費を極限まで抑えて建設されました。内装や電気工事、塗装など各項目ごとにすべて入札できめました。(これには地元経済を活性化させる狙いもありました)さらにファンからも寄付を募り、実際に寄付してくれたファンの名前を球場わきの舗道のレンガに記すことで名誉を称えました。(最近では日本でもこういう例はありますな。)

 スタンドから景色がきれいに見渡せるようにとスコアボードは端っこに寄せられ、センターからライトにかけては照明が1本もないという念の入れようです。実際に球場に足を踏み入れると確かにこじんまりした印象を受けます。クリーム色の石灰岩を使用したもろクラシックな外観にネイヴィで統一されたシートや照明、鉄骨のコントラストが絶妙に美しく、内野席からは市内中心部のビル街まで一望できるという景色の良さです。

 ということで今日のお話はここまで。そろそろおねむの時間ですが、明日もまた、頑張りましょ。
(ほれ、今日はどんな一日やったんかな、ミーシャ?)

バレーボールに鯉してる

 さて今日、明日が一番しんどいお仕事、先週の水曜日から数えて10連投の8日目ですが、それを何とか終わらせて、何を思ったか大真面目にお皿を積み上げ、ラストにスイーツで締めてきた「スイーツ男子」な私。今日は水曜日、巨大建造物のお話。4枠目の今週は「アリーナ」、この間のバレーボールでも使われたこんなアリーナのお話です。
(これ、どこが「スイーツ男子」よ、アンタは単に食い意地張り倒しているだけやないの、ミーシャ。)

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 今月はこちら。広島県広島市にある「広島県立総合体育館(大アリーナ)」、俗に「広島グリーンアリーナ」と言います。広島の市街地のど真ん中、かつての「広島市民球場」の北隣にあります。(1枚目の画像を参照、かつての球場が見えますね。)収容人員10000人、1962年(昭和37年)に開場しました。その後、1994年の広島アジア大会用に改装され、名前も「広島県立総合体育館」と改められました。広島県最大の体育館であり、スポーツを始め、芸能や音楽などあらゆるイベントを開催しています。 Vプレミアリーグ男子・JTサンダーズの公式戦会場の一つです。

 元々、この周辺は江戸時代、広島城の本丸に隣接した区域で武家屋敷が広がっていました。明治になり陸軍第5師団が置かれると、一帯は師団司令部や西練兵場、砲兵隊、歩兵11連隊、陸軍病院などの施設に占められ軍都広島の中核となりました。しかし1945年8月6日の原子爆弾の投下により、爆心地に近いこの地域は灰燼状態となってしまいました。 戦後、この一帯は中央公園として整備が決定し、公園用地に応急住宅を建設するなどしました。この際にこの体育館も建設されています。

 また、このJTサンダーズの前身である専売広島時代からバレーボールが盛んな土地柄であるため、古くから世界選手権・ワールドカップなど男子バレーボールの国際大会会場として利用されています。(ちなみに女子もJTマーヴェラスというチームがあります。)1994年広島アジア大会では、バレーボールと体操会場として1996年のひろしま国体ではバレーボールと弓道の会場となりました。他にも旧広島県立体育館の頃より格闘技興行も盛んに行われ、プロボクシング・プロレスやK-1会場として利用されています。その中でも2009年に起こった「三沢光晴のリングで死亡事故」の場所としても有名です。

 ということで今日のお話はここまで。何だかんだとやることは盛りだくさんですが、明日も頑張りましょ。
(ほれ、あんまし欲張ったらいかんよ、ミーシャ。)

ブドウの城

 さて今週末の検定試験の絡みで、最近あれこれと「多忙な」私。今日は水曜日、巨大建造物のお話。3枠目の今週は「お城」、今日は今月のテーマ、ラグビーからちょっと無理やり感はありますが、こんなところを語ってみましょ。
(これ、アンタは「多忙」やなくて「脂肪」の方やろ、あっ、「死亡」やったかな、ミーシャ?)

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 ラグビーの名門、ここら辺では常翔啓光学園(大阪府枚方市)、その昔であれば伏見工業(京都)などがありますが、山梨県に「日川」という公立の学校があります。卒業生にはなんと「科学で説明できない強さ」ジャンボ鶴田などがいますが、この山梨県から今日は「新府城」というお城についてお話したいと思います。

 山梨県韮崎市にある「新府城」は、武田勝頼が1581年(天正9年)頃から築城をはじめ、同年12月に躑躅ヶ崎館(史跡武田氏館跡・山梨県甲府市)から移り住んだ城です。父の武田信玄は「人は石垣、人は濠、情けは味方、仇は敵なり」ということで、本城の甲府、躑躅ヶ崎館にはあまり城郭としての機能を持たせていなかったのですが、信玄の死後、武田家を巡る情勢の悪化に伴い築城されました。翌1582年の3月には、織田氏・徳川氏が包囲網を狭める中で、勝頼は岩殿城(山梨県大月市)を目指し、新府城に火をかけ廃城になったと伝わっています。武田氏滅亡後は、徳川氏が天正壬午の乱で陣城として利用したと記録されています。勝頼の在城はわずか3か月足らずでしたが、近年、周辺で新府城と同時期の屋敷跡の遺跡(隠岐殿遺跡)が発掘され、新たな府中の地としての初めの頃の様子が本城を含め周辺に埋もれていると思われます。1973年(昭和48年)、周辺は史跡に指定されました。

 なお、武田氏の滅亡により甲斐は徳川氏が領し、徳川氏は元々あった甲府の躑躅ヶ崎館を本拠としました。1590年(天正18年)の小田原合戦により後北条氏が滅亡すると、豊臣政権に臣従していた家康は関東へ移封されます。その後、関ヶ原の戦いを経て甲斐は再び徳川氏が領し、近世を通じて甲府城は甲斐の政治的中心地となり、新府城は廃城となります。 江戸時代になると甲府がメインの地となり、この辺りは何にもない地になります。江戸時代には甲府藩が設置され、徳川一門が領主になったのですが、1704年(宝永元年)には甲府藩主・徳川綱豊(家宣)(以前に出てきた「御両典」ですよ、どこに書いてあったかはよ~く探しときましょう。)が将軍・綱吉の後継者になると、綱吉の側用人であった柳沢吉保がその後任として甲斐・駿河領国に15万石余りの所領と甲府城を与えられます。1724年(享保9年)、吉保の子、吉里が大和郡山(奈良県)に国替えになった後は、この地は再び幕府直轄領化され甲府町方は甲府勤番(宰領の勤番支配は着任後数年で小姓番頭とか長崎奉行とかに栄転するのですが、その下の勤番士は転任の道が閉ざされ終生を甲州勤務で過ごすということになっていました。そのため人選に困り、結局は過去において何らかの罪状、悪事、不届きの行跡を残した旗本達を一種の追放懲罰で甲州送りにすることになったようなのです。「甲府勤番山流し」などと言われたゆえんです。よく時代劇なんかでも出てきますな。)よる支配、在方は三分代官支配となり、幕末に至りました。

 ということで今日のお話はここまで。あまり意識しても逆効果になるわけで、その辺は自然体で過ごしましょ。
(せやね~、というても頑張らんといかんよ、ミーシャ。)
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