安定、不安定

 さて新幹線の架線が切れて、缶詰めになって搾りとられた皆さまを尻目に最近、お仕事終わってプールに行って「搾っている」、「一番搾り」の私。でもな~ぜか「太目残り」の中、このお話を書いています。今日は木曜日、テニスのお話。3枠目の今週は「戦術」、今日はこんなお話です。
(これ、「一番搾り」ってそれはパパが飲んでるビールでしょ、ミーシャ。)

 ほとんどの方が「苦手」というバックハンド、確かに苦手なのはその通りですが、これは「力が入りにくいこと」に起因しています。どういうことかというと、「現実世界でバックハンドのような動作をすることがほとんどない」(フリスピーを投げる動作のようなものです。)ために、その動作に必要なパワーが不足しているという事なんです。それが故に反対の手で押し込むことのできる「両手打ち」が世に出たわけです。

 しかし、ある程度行くと、むしろバックハンドの方が安定します。これはフォアハンドと比べて打点、タイミングその他がかなり制約される(フォアハンドの場合、打点は多少遅れたとしてもごまかしは利くのですが、バックハンドの場合、必ず打点は前足のつま先よりも前になります。そうしないとボールにパワーが乗りません。)ため、一度タイミングさえつかんでしまうと後はラクになります。むしろフォアハンドの方が身体の自由が利くため、安定しないという方は結構います。

 そのため、テニスの試合では基本的に「相手のバックハンド側へ打つ」という事がメインになってきます。よくあるのがバックハンドのクロスコートでの打ち合い(右打ちの場合)、ここでひた~すら打ち合っているというのはプロ・レベルでもよくあります。そこで我慢しきれなくなって、コースを変えにいったりすると、得てしてロクなことのない結果に陥りがちです。(ただ、それが必要なこともありますが。)

 という事で今日のお話はここまで。お仕事もちょっと来月からは、多少変化が出てきました。その辺もちょっと考えつつ、今日もドタバタになりそうです。
(ほれ、あんまし無理せんようにね、ミーシャ。)
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 さて愛するタイガース、昨日はちょっと一休み。特盛ホームランで能見が沈められたその裏では、某地方の自動車球団がこれまた、「神ってる」ことで、その差がなかなか詰まらないことにちとヤキモキの私。今日は木曜日、テニスのお話。2枠目の今週は「選手」、今週、一躍話題になったこんなあの子のお話です。
(これ、「つまらないのはボクのお話♡」とかしょーもないボケでもかますつもり、ミーシャ?)

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 今月はこの方、先週のフレンチ・オープンで史上初めてノーシードからあれよあれよという間に優勝してしまったエレナ・オタンコナスじゃなかったオスタペンコ(Jeļena Ostapenko ラトビア)という方です。1997年6月8日、ラトビア・リガ生まれ、母親の手ほどきで5歳でテニスを始めます。2014年ウィンブルドン・ジュニアで優勝。2012年にプロデビュー。以後、順調にランキングを上げてきています。今回のラトビアに初めての4大メジャー優勝でランキングはあっという間に12位まで上がりました。

 1968年のオープン化(プロ選手の出場を解禁)以後、ノーシード(当初は上位16人(4回戦)、現在は32人(3回戦)以外の選手のことを指します。)の選手が決勝まで勝ち上がったことは過去に何例かありますが、そのほとんどは一過性のもので、決勝でコケる→その後は鳴かず飛ばずという例がほとんど(例外としてはボリス・ベッカー(1985年ウィンブルドン)、グスタボ・クエルテン(1997年フレンチ・オープン)などがあります。)ですが、まさかまさか、女子でここまでやるとは世間の誰も予想はしていませんでした。そしてそのまま、史上初めてノーシードから優勝という前代未聞の快挙になったわけです。

 彼女は今年のフレンチ・オープンで初めて見ましたが、スケールの大きなテニスは将来性を大いに感じさせる逸材だと思います。決勝の「爆乳根性娘」ハレプ戦でも、ウィナー(自分で決めたポイント)54本(結構、これは多い方です。)に対して、凡ミスも54本(これも、多い方です。)というハチャメチャっぷり、粗削りと言ってしまえばそれまでですが、「これだけシバキ倒して、それが全部入るんやったらめちゃめちゃ気持ちいい(間違っても、別の意味ではありません。)やろね。」と思いました。得てして、こういう状況では「独りよがり」(決して、「悶え狂っている」わけではありません。)になってしまいがちですが、それでも押し切ったのは大したもんです。

 ということで今日のお話はここまで。少々、悶々とした日々を過ごすことが多いわけですが、今日も1日、頑張りましょ。
(こら、ミーシャ。アンタのこの「青い字のかっこ」を読んでたら、な~んか妙な気がするんは私だけやろかな?それにアンタ、その先週の土曜日の試合をかぶり付きでよだれ垂らし倒して見てんやないんよ、この大バカ者!)

意外なところで…。

♪果~てしな~い連~敗の中~、oh oh 悩んでる~、打線を組~み換えてみても~ oh oh 何~も変~わ~ら~ん~、このまま巨人は行~くの~さ~、連敗記録を更新だ~よ~♪(Mr.Children の「Tomorrow never knows」のメロディでどうぞ)さて愛するタイガース、昨日はマテオが再び待てよになった、これで鯉のしっぽがスルリと逃げた、おまけに圭は負けた、しかししかし、ついに球団ワースト新記録の12連敗ぶちかましたけしからん某全国紙にゲラゲラポーの「ケータな」私。そのせいか昨日寝たのは3時過ぎという中、このお話を書いています。今日は木曜日、テニスのお話。1枠目の今週は「名品」、私も一時履いていました、こんな靴のお話です。
(これ、ま~たそんな無理やり探して、替え歌かましてんやないんよ、ミーシャ。)

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 アディダスのテクノロジーの中に「フィーツーウェア」(Feet You Wear)というものがありました。 人間の足本来の動きを妨げることなく、しなやかなクッション性をもたらすということで、素足なら怪我をしないのに、靴を履くと怪我をしてしまうのは何故だ?という所に注目し、設計開発を行うコンセプトの事を言います。そのため、ソールは必要最小限、まるで猫の肉球(間違っても、お弁当に入っているものではありません。)のようなソール・パターンになっています。これをテニス・シューズとして初めて導入した「EQT(エキップメント)・インテグラル」(1996年)というシューズがあります。

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 地面と点で接するような、それでいてしっかりバランスの取れているようななんとも言いようの無い履き心地、この当時、1990年代末のアディダスは各カテゴリーのトップ・モデルにはこの「フィーツーウェア」を採用、そして「エキップメント」の冠を与えています。私も履いていましたが、確かに言われるとホントに「素足の感覚」で履いていました。1997年には2代目「EQT・インテグラル2」が登場しますが、この代で終わりになり、その後継に引き継がれることになるのですが、このコンセプト自体が2000年代初めには消えてしまったために、なかなか巡り合えません。

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 またこのソールは一時、有名になります。1999年、当時世界1位のマルチナ・ヒンギスはウェアとシューズをセルジオ・タッキーニというブランドと契約していました。しかしヒンギスは「服屋の作る靴」に満足できなかったのか、アディダスの靴を真っ白に塗りつぶして、履いていました。(ここで「安心してください、履いてますから。」と言ってメーカー関係者を安心させてしまえるほど、甘いことはありません。)とはいえ、外面はごまかせても、ソール・パターンはごまかせません。ちょうど、靴底がカメラにバッチリとカメラに撮られた(決して「パ×チラ」写真を盗撮っていたのではありません。私もセミヌード写真がフライデーされたことがありますが…。)ために、関係者の間で話題になり、最後にはタッキーニとヒンギスとの間で法廷沙汰になってしまたわけです。

 ということで今日のお話はここまで。この泥沼はいつまで続くのか、プロ野球記録は1998年にロッテ・マリーンズが喫した「18」、6月13日から7月8日までの19試合で、日本プロ野球ワースト新記録となる18連敗(途中1引き分けを挟む)を喫しました。(とはいえ、最終は61勝71敗の借金10までもっていったわけです。球団公式サイトのチームヒストリーでも「悪夢の18連敗」と記されています。)セ・リーグ記録は1970年にヤクルトがマークした「16」、まだ「ヤクルト・スワローズ」ではなく「ヤクルト・アトムズ」の時代ですが、92敗を喫しダントツの「ベッタ」になってしまいました。さて今日はどうなるのか、ちょっとそっちの方が面白いような気もします。
(こら、ミーシャ。そんな「人様の不幸」をゲラゲラ笑ってんやないんよ、全くもう!)

クララもできます。

 さてちょっと昨日は行くところがあって、ウロチョロした中でこのお話を書いている「挙動不審の」私。今日は木曜日、テニスのお話。今週は「番外」ということで、最近見る機会も多い、こんなお話です。
(これ、昨日はどこ行っとったの、ミーシャ?)

 オリンピックと同時期に行われる「パラリンピック」(障碍(がい)者スポーツ)、日本でも比較的有名なものですが、テニスも「車いすテニス」なるものがあります。元々は1976年にアメリカで始まり、1981年には車いすテニス選手協会(WTPA Wheelchair Tennis Players Association)が設立され、1988年7月には国際テニス連盟(ITF Internatinal Tennis Federation)も2バウンド・ルールを承認し、この新競技を正式に認可しました。10月にはブラッド・パークスを会長とする国際車いすテニス連盟(IWTF International Wheelchair Tennis Federation)が設立され、1988年のソウル・パラリンピックで公開競技、1992年のバルセロナ・パラリンピックからは正式競技になりました。1998年、国際車いすテニス連盟が国際テニス連盟に統合され、ジュニア部門やベテラン部門と並ぶ、同連盟の車いすテニス部門として正式に組み入れられました。2000年代に入ると、一般テニスの主要大会において車いすテニスのエキシビションマッチが行われることが増えた。さらに、全豪オープンをはじめ、全仏オープン、ウィンブルドン選手権、全米オープンといったテニスの4大大会(グランドスラム)に車いすテニス部門が相次いで創設され、それぞれ大会の開催期間中に同一会場で公式に試合が行われるようになりました。その一方で、途上国において高価な競技用車いすの入手が難しい状況を踏まえ、国際テニス連盟、ヨハン・クライフ財団、オランダ政府機関らによる車いすテニスシルバーファンド(決してマネーゲーム専門の怪しい投資ファンドではありません。)が2002年に創設され、車いすなど用具の寄付をはじめ、コーチの派遣やトップ選手らによる指導、シルバーファンドカップと呼ばれる地域別トーナメントも行われています。

 男子、女子、ジュニア(18歳以下)、クアード(四肢麻痺(quadriplegia)の略で重度の障害をもつ選手向け)の4つのクラスがあり、健常者と組む例もあります。ラケット、テニスボールなどの用具はテニスと変わりませんし、コートのサイズも同じです。ただ、通常のテニスと違うのは、「2バウンドルール」という、ボールは2バウンドまで認められている点が一番大きい違いです。(通常は1バウンドまで、また2バウンド目はコートの外でも構いません。)他にも違いはこんなもの。

◆サーブの際は車いすを一押しOK
サーブする前は、車いすを一度静止させたのち、車を一押しだけしてから打つことができます。
◆足を使って車いすを操作したり、地面に足をつけたりしない
足を使い車輪にブレーキをかけたり、方向転換などの操作をすることは禁止されています。また、地面に足をつけることも禁止です。ただし、車輪を使い車いすを操作できない場合のみ、片足を使用して操作することが認められています。これ自体もボールを打つときは認められておらず、ボールを追っているときのみです。
◆打つときは腰を浮かせない
打球の際、両方の臀部(でんぶ)を浮かせてはいけません。
テニス用車いすに関すること
◆車いすは体の一部です。
車いすは体の一部と考えられてルールの適用されます。例えばボールが車いすに触れたら失点になります。
◆ブレーキの禁止(手でかけるのはOK)
ポイント中、ブレーキの使用は不可。手でのブレーキは許可されていて、通常プレーヤーはラケットを持っていない手でブレーキをかけています。(ということは「両手打ちバックハンド」は車いすテニスではありえない技術なわけですな。) 

 ということで今日のお話はここまで。今晩はちょっとまたもや出ていくもので、「多忙な中」ですが、今日も1日、頑張りましょ。
(これ、アンタは「多忙」やなくて「脂肪」やないの?あ、ちょっと待って、「死亡」だわ、ミーシャ。)

スペインの年

 さて昨日は鳥谷のクチバシじゃなかった鼻骨骨折、しかし、覆面で出ようとする姿にびっくりの私。今日は木曜日、テニスのお話、4枠目の今週は「名勝負百選」、もうすぐ始まるフレンチ・オープンから、こんな試合のお話です。
(これ、アンタがつける覆面はママのパンストかなんかでしょ、ミーシャ。)

 今月のお話に出てきた「セルジ・ブルゲラ」、この方は1993年、1994年の優勝者ですが、世間一般に言わせると、最初の年はクーリエの強打を拾い倒して、クーリエが根負けしたから勝ったといわれていました。確かに最初の年の方が衝撃的なのですが、むしろ難しいのは「連覇」なわけです。なぜなら他の選手全員が目標にしてくる、また手の内もそろそろ見透かされてきたりもする。そんなわけで、その2連覇のかかった1994年の男子シングルスの決勝、結果はこうでした。

セルジ・ブルゲラ    6-3   アルベルト・ベラサテギ
              7-5
              2-6
              6-1

 第6シード、ブルゲラはベスト8までの5試合を失セットなし、準決勝では前年の決勝の再戦となりましたが、クーリエを返り討ちにして、あっさりと決勝まで上がってきました。一方、世界ランク23位のノーシードのベラサテギ、1回戦、4回戦を棄権勝ちしたために、消耗度も少なく終わったのが幸いしたか、2回戦で第14シードのピオリーン、3回戦で後の世界ランク1位のカフェルニコフ、ベスト8ではイヴァニセヴィッチと難敵を倒しながら、このお山を意外にも失セットなしで上がってきました。

 そして4大メジャーでは初めて「スペイン選手同士の対決」が実現しました。しかもこの試合にはフアン・カルロス1世スペイン国王陛下(当時)までご臨席という「御前試合」になったわけです。そのベラサテギの快進撃は実に爽やかでした。アメリカでテニス修行をして他のスペイン選手に比べて英語が達者だった(こういう時に教えられるのはそのほとんどが「放送禁止用語」なのですが、決してミーシャもベラベラやっていたわけではありません。)おかげもあってか、記者会見での受け答えも明るく、軟式テニスのような分厚いグリップから繰り出すフォアハンド(この当時、馬鹿流行りしました。でもミーシャは薄いグリップでひたすら滑るスライスを打ち続けていました。)も、両手打ちに見えて実はシングルハンドのバッグハンドも超個性的で、172cmのテニス選手としては小さな身体でコート中を走り回り、懸命に拾いまくって打ち続けるプレーにも、「守る」「ガッチリ」「しこる」とは全く異なる躍動感が溢れていました。逆に188cmのブルゲラはその上背にものを言わせて跳ね上がるトップスピンをベラサテギのバックハンドに集めます。2セット取られた後の第3セット、これを6―2で取るのが精いっぱい、その強固で執拗な守りの術を前に攻め続けることができず、1セットは奪ったものの“健闘”の準優勝に終わりました。4大メジャーにおける準優勝者と優勝者の差は大きい。この1勝の壁はなかなか崩せないものです。

 ということで今日のお話はここまで。私を巡るお話もちょっと気になるところですが、この日曜日から始まるフレンチ・オープンもさてどうなりますか?今年もちょっと楽しみです。
(ほれ、することきっちりしとかんといかんよ、ミーシャ。)
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