電波の仕掛人

 さて今日も暑い、暑い、そんなとろけそうな1日をお仕事していた私。今日は火曜日、映画のお話。3枠目の今週は「ドラえもん」、今日はこんなお話です。
(これ、アンタの話を聞いとっての世間の方々こそ「とろけそう」やと思うんやけどさぁ、ミーシャ。)

高橋浩_convert_20180717202643

 今月はこの方、先月の相賀さんは「活字」の方でしたが、今度は「電波」、この方がドラえもんを一躍お茶の間に広めた方です。元々はテレビ朝日のプロデューサーでもあった高橋浩という人物です。1943年(昭和17年)4月29日、広島県福山市に生まれます。1967年に上智大学文学部英文学科を卒業後、株式会社日本教育テレビ(現在の株式会社テレビ朝日)に入社。調査局考査部考査課に配属されます。翌年の1968年から外画部に異動して、『日曜洋画劇場』などにおける外国映画の購入を担当。ステーブン・スピルバーグが無名の若手監督の頃に演出した『激突!』(日本では、日曜洋画劇場が1975年1月に初放映)の購入や、『チキチキマシン猛レース』『幽霊城のドボチョン一家』など、外国アニメの邦題も多く手掛けます。『激突!』の放映後に、編成開発部へ異動。アメリカ合衆国内のテレフィーチャー(テレビ用長時間映画)ブームが、日本でも5年遅れで普及すると確信して『土曜ワイド劇場』を企画。『土曜ワイド劇場』の成功は、他局の『木曜ゴールデンドラマ』や『時代劇スペシャル』など、類似の番組を続出させるきっかけにもなりました。編成開発部では『ドラえもん』などの藤子不二雄作品や、『暴れん坊将軍』などの番組も多く企画しています。1998年からはBS朝日執行役員として立ち上げに携わります。2002年から東映アニメーション勤務。現在は同社の相談役です。

 1979年(昭和54年)からテレビ朝日で始まった「ドラえもん」ですが、当初の放送時間は月曜から土曜までの夕方6時50分から10分枠の帯番組、それを日曜の朝8時半から30分枠で再放送するというスタイルでした。この当時のことを述べた自著『視聴率15%を保証します!』によると、ゴールデンタイム(夜7時から10時)の視聴率が芳しくなくて、前時間帯の6時台も状況が同じだった事から「番組の流れ(フロー)が悪い」との分析がもたらされ、打開策として直前の6時50分から10分間の帯番組を新たに作る編成替えが施された。その候補の一つが『ドラえもん』で、選定中にシンエイ動画が持ち込んできたパイロット版「勉強部屋のつりぼり」がテレ朝の編成会議で好評だったことから放送化のゴーサインが出たわけです。しかし、この帯番組はテレビ朝日の他に数局だけのローカル編成であったので、全国ネット枠として日曜朝8時半から30分枠の再放送版も同時に編成したという成り立ちでした。ただ、番組立ち上げの際、ゴールデンタイムでは放送されなかったことから、編成担当の高橋は原作者・藤子不二雄(藤本弘)に詫びたといわれています。しかし、この編成が『ドラえもん』を放送開始当初から快進撃させた最大の功績であったことは間違いないと思われます。

 ということで今日のお話はここまで。最近、何やら職場と家の往復で終わってしまっているような気もしますが、遊ぶといってもさてという次第です。
(ほれ、あんまし無理したらいかんよ、ミーシャ。)
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雨降り

 さて今日は暑い、暑い、そんな中でのお仕事。でも夜になると涼し~い風が。そんな中でコックリさんな私。今日は火曜日、映画のお話。2枠目の今週は「ミーシャのマニアック映画劇場」、最近話題の「雨」からこんなお話です。
(これ、な~んか書くネタに疲労感がありありと出てんやけどさぁ、ちょっと「お休み」したらどない、ミーシャ?)

 今月はこちら。「雨に唄えば」(原題:Singin' in the Rain 1952年 アメリカ)という作品です。『トップ・ハット』(決して鉄道会社のオーナーではありません。)『バンド・ワゴン』『巴里のアメリカ人』などと並ぶミュージカル映画の傑作として知られています。サイレント映画からトーキー映画に移る時代を描いたコメディあふれるバックステージ(舞台裏)・ミュージカル。ハリウッドを代表する名作のひとつであり、今なお、色あせることなく輝きを放っている。特にジーン・ケリーが土砂降りの雨の中で、主題歌を歌いながらタップダンスを踊る場面は、映画史に残る名シーンとされています。(ここで間違っても、「アナタのことが好きなの!」と絶叫しているわけではありません。)

 あらすじはといいますと…。
ドン・ロックウッド(ジーン・ケリー)とコスモ・ブラウン(ドナルド・オコナー)の2人はヴォードヴィルの人気者、切っても切れぬ仲の良い友達同志だった。1920年代、2人はハリウッドにやって来て、インペリアル撮影所で仕事をみつけた。そのうちドンは西部劇でスタント・マンになり、俳優として契約され、調子よくサイレント映画のスターになることが出来た。彼の相手役リナ(ジーン・ヘイゲン)は、美人だが少々ぬけた女、そのくせお高くとまっていて、ドンは好きになれなかったのだが、彼女は自分からドンの恋人だと決めてかかっていた。だからドンが若くて歌も踊りもうまいケーシー(デビー・レイノルズ)と恋仲になったとき、リナはナイトクラブに職をもっていたケーシーをクビにさせてしまった。ドンの悲しみをよそにケーシーは町を去り姿を消してしまった。そのころ最初のトーキー映画「ジャズ・シンガー」が世に出て大当たりをとった。インペリアル撮影所のボス、R・F・シンプソンもドンとリナの新しい主演映画「決闘の騎士」をトーキーで作ることにきめた。その撮影中、ケーシーはやはり同じ撮影所で製作中のミュージカルに端役で出演していた。再会したドンとケーシーはたちまち仲なおりした。「決闘の騎士」の記者会見は大へん不評だった。リナの声が魅力なく鼻にかかったものだったので。コスモの発案でリナの声をケーシーの声にダビングして吹きかえた。映画は「踊る騎士」と改題され素晴らしい好評を博した。リナは何とか名声を維持しようと、シンプソンにケーシーを自分の影の声としてこれからも使うように頼みこんだ。ドンはコスモやシンプソンと力をあわせ、リナの声が偽りものであることを一般にあばいた。リナは失脚し、かわってケーシーが新しいスターとして迎えられた。ドンとケーシーが結ばれたことはもちろんである。

 ということで今日のお話はここまで。ちょっと疲労もたまっています。今日は早めに寝ましょ。
(ほれ、あんまし無理せんようにね、ミーシャ。)

女王の翼

♪パ~スが出る、う~ら抜ける、ネ~ットを突き抜け、点になる、火~を噴いて、2~点取り、ベス~ト8が見えたのよ、ニッポン、ニッポンとどめを刺しきれない、ベ・ル・ギー、引~っくり返したよ~♪(沢田研二の「TOKIO」のメロディでどうぞ)さて今日はFIFAワールドカップ(TM)、運命の決勝トーナメント、このメロディが何のことを言っているかが分かった方は試合をご覧になった方かと思いますが、最後の最後に逆転負け、そんな中、お寺で「どら焼き」が出て、「当たりよ♡」とか思っている「小さな幸せの」私。今日は火曜日、映画のお話。1枠目の今週は「ボンド」、今日はこの「TOKIO」の歌詞の中に「空を飛ぶ」というくだりが出てきますが、世界中を飛び回るボンドの空の旅のお話です。
(これ、ま~たそんな古いネタから無理やり「♪」を始めてんやないんよ、ミーシャ。)

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 ボンドが利用する航空会社、これまでパンナム(アメリカ  第7作「ダイヤモンドは永遠に」など)、エールフランス(フランス 第11作「ムーンレイカー」、決してクイズ番組が絡むわけではありません。)などが出てきましたが、最近ではほとんど出張は「ブリティッシュ・エアウェイズ」(British Airways)です。

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 ヨーロッパでは3位、世界では9位の規模を誇る大手航空会社であり、イギリスのいわゆる「フラッグ・キャリア」であるブリティッシュ・エアウェイズ、元々は1924年の設立された航空会社が戦時体制の中で政府に買収され、国営の「BOAC」(British Overseas Airways Corporation)となりました。第2次大戦後の1946年に国内線と欧州域内の国際線を担当する英国欧州航空(BEA、British European Airways)を設立し、BOACは長距離国際線を運航する会社となりました。その後比較的早い時期にジェット機を就航させるなどがあったのですが、1987年、保守党のサッチャー政権下で民営化することになりました。現在では世界規模の航空会社連合「ワンワールド」の中心メンバーです。

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 映画の中では、第20作「ダイ・アナザー・デイ」でキューバからイギリスへ戻るボンドが機内で雑誌(その作品の悪役、グスタフ・グレーヴスについて書いた記事が載っています。そしてその題名は「Diamonds are forever」(ダイヤモンドは永遠に)と書かれています。)を読んでいると、シェイクしたマティーニをキャビン・アテンダントのお姉さんが持ってきました。そのアテンダント役はデボラ・ムーア、先頃亡くなった3代目ボンド、ロジャー・ムーアの娘ですが、「ダイ・アナザー・デイ」はシリーズ40周年の記念作。ボンド映画に多大な貢献をしてきたロジャー・ムーアに対する感謝の気持ち、という意味もあったのかもしれませんね。ただし、この飛行機の到着地はロンドン、ヒースロー空港なのですが、出発地はキューバ、ハバナではありません。ブリティッシュ・エアウェイズはキューバ行きの路線を持っていません。おそらく、近場の菅君(メキシコ)、ナッソー(バハマ)あたりから乗ったと考えられるんですが…。

 ということで今日のお話はここまで。これからシャワーを浴びて、疲労回復に努めましょ。
(これ、あんまし無理せんようにね、ミーシャ。)

女帝の一生

 さて今日も真面目にお仕事、帰ってきた矢先に、「明日の分はこれよ」と来たカタログ類を8人で叩き割ってきた「樵さん」の私。その裏で昨日のサッカーは朝が早いために見てませんでした。さらに「見ていない」と言えば、愛するタイガース。世もyた単独「ベッタ」ということにスチール缶を握る手が震える今日は月曜日、順番変わりましての映画のお話。4枠目の今週は「ドラマ」、今月のテーマ「ロシア」から、こんなドラマのお話です。
(これ、今日も大変やったんやね~、ミーシャ。)

 今月はこちら。「エカテリーナ」(2014年、2017年 ロシアテレビ)というドラマがあります。ロシア史上に残る有名な君主、エカチェリーナ2世(Yekaterina II Alekseyevna)(1792-1796)、ロシア帝国の黄金時代を築き上げ、その功績によって大帝の称号を得たという生涯を描いた大河ドラマです。ヒロインのエカテリーナ2世役はマリーナ・アレクサンドロワが演じました。放送期間中、このシリーズはテレビドラマ部門ではトップスポットの評価を保持し、ロシア連邦で最も人気のあるテレビシリーズの1つになりました。2014年放送のシーズン1 「エカテリーナ」(Екатерина)ではエカテリーナ2世の即位までが描かれ、2017年にはエカテリーナ2世の即位後を描いた新シリーズ「エカテリーナ~旅立ち~」(Екатерина. Взлёт)が放送されました。また、エカテリーナの最晩年(舞台は1782年から1796年までになる見通し)を題材とするシーズン3が2019年2月にも放送される予定です。日本ではCS(クライマックス・シリーズでも顧客満足度でもありません。通信衛星(communication satellite)のことです。)放送のチャンネル銀河で2018年に放送されました。

 あらすじはと言いますと…。
厳冬のロシア、粗末な馬車で荒野を急ぐ女性がいた。まだ幼さの残るフレデリーケ(のちのエカテリーナ)だ。プロイセンの小国に育った貧しい貴族の娘であるが、彼女が母とともにロシアを旅するのには、重大な理由があった。ロシアを支配する女帝・エリザヴェータの決断により、次期王位継承者の立場にあるフョードロヴィチ(のちのピョートル3世)の后候補となったからである。夢と野望に満ちたフレデリーケは、ロシアに到着するなりロシア語の勉強に励み、エリザヴェータ謁見の合格を目指した。彼女は持前の賢さを活かし、機智に富んだ会話で、権力者の心に食いこみ、妃として合格する。しかし、そこで待ち受けていたのは、愛の無いフョードロヴィチの態度やフレデリーケとの結婚に反対する勢力の暗殺計画であった……。

 シーズン1はモスクワとチェコのプラハで撮影されましたが、シーズン2の撮影はロシア文化省の全面的な支援の下、モスクワに加えてサンクトペテルブルク、ツァールスコエ・セロー等に数多く現存する宮殿で行われ、特別に撮影が許可されたエカテリーナ宮殿の琥珀の間など絢爛豪華な宮殿の内部、18世紀のアンティークの調度品、忠実に再現された当時の衣装など見どころは多いんです。また、劇中では現代ロシア語(この当時、ロシア貴族はフランス語で会話をしていました。)が使用され、当時の正装であるかつら(音楽の時間に教科書に落書きをしたアナタ、その写真の巻き髪も実は「ヅラ」ですよ。)は着用せず、登場人物の男性は現代の髪型、女性は19~20世紀初頭の髪型です。(この辺は日本とちょっと違うファジーな考証ですな。)

 またこのエカチェリーナという名はロシア名、言葉によって読み方が変わるのはヨーロッパの人名によくある例ですが、英語読みでは「キャサリン(Catherine)」、ドイツ語読みでは「カタリーナ(Katarina)」、スペイン語読みでは「カタリーナ(catalina)」という読み方をします。

 ということで今日のお話はここまで。そろそろ洗濯物も上がりました。これからシャシャッと干しまして、今日の大一番「ロシア」を見ましょ。ちなみに試合前の国歌吹奏、ロシアの場合、メロディは旧ソ連当時のものです。ただ当時と違うのは「共産主義がどうの」「スターリン万歳」とかいうくだりは当然ありません。(1977年に2代目の歌詞になりましたが、この際にスターリンについてのくだりは差し替えられています。またそのスターリン万歳的な歌詞は映画「ロッキー4」で登場しています。)
(ほれ、アンタのマニアな解説を聞いとっての方はそういてへんのやけどね、ミーシャ。)

活字の元

 さて今日はお休み、とはいえ、昨日の地震から一夜、「ミニカーのガラス棚(戸はガラス、後ろは本物の鏡、崩れたらえらい事になります。)」が気になって、顔面蒼白で帰ってきた後は「何もなかったこと」にやれやれで、お部屋のこぐまちゃんとお話していた「地震過剰な」私。今日は火曜日、映画のお話。3枠目の今週は「(いい年して語ってんじゃないのよの)ドラえもん」、今日はこんなお話です。
(これ、グシャグシャなってなくて、よかったね、ミーシャ。)

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 ドラえもんの版権(著作権)ですが、ちょっと複雑な持ち分関係になっています。活字(本)と電波(アニメ)で分かれていまして、それぞれの関与している会社はこんなものです。

 活字  藤子プロダクション  小学館
 電波  藤子プロダクション  テレビ朝日HD シンエイ動画 旭通信社(アサツーDK) 小学館

 ここでお気づきの方も多いかと思いますが、「電波の持ち分はテレビ朝日が持っているのは当然なお話だけど、なぜか小学館も一部持っている、しかし、その逆(テレビ朝日が活字の持ち分を持つ)はない。」という点がちょっと「?」と思います。そこで今月のお話はこの「小学館」から「相賀(おうが)徹夫」という人物について語ってみたいと思います。

 1925年(大正14年)6月15日、東京に生まれ、1938年(昭和13年)、父親の死去により13歳で小学館の第2代社長として、数々のドラえもん作品に関与していました。日本書籍出版協会理事長、日本雑誌協会理事長。昭和から平成までの54年間にわたって社長(1938年 - 1992年)を歴任した小学館中興の祖の方です。1950年代から1990年代前半まで小学館から発行された書籍(雑誌は除く)の発行者に相賀の名前が記されています。1963年(昭和38年)に「女性セブン」、1969年(昭和44年)に「週刊ポスト」を創刊し、長らく小学館の総帥として日本の児童書出版業界に君臨していたが、創業70周年を迎えた1992年(平成4年)5月、長男の相賀昌宏に社長の座を譲り、取締役相談役に退きました。2008年12月21日、83歳で亡くなりました。

 またこの小学館は「少年サンデー」の発行元としても有名ですが、ライバル誌「少年ジャンプ」の発行元、集英社は元々、小学館の娯楽出版部門を分離したものです。1947年(昭和22年)に相賀徹夫は当時、休眠中だった集英社から山川惣治の「少年王者」を出版させたところ、記録的なベストセラーとなりまして、これを機に集英社は事業を再開しました。その後集英社は1963年(昭和38年)に「マーガレット」(現在放送中の朝ドラ「半分、青い」に出てくる漫画雑誌「ガーベラ」のモデルはこれでしょう。おまけにその出版社は「散英社」と名乗っています。)を創刊し、1968年(昭和43年)に怪物アンケート至上主義の「少年ジャンプ」(決して、アンケートの組織票を作ってはいけません。何のことかわかった方は、昨日の朝ドラの放送を見てください。)が創刊されました。ただ、小学館が筆頭株主ですが、本体の小学館自体も娯楽部門に参入しているため、両社は結構競合しています。(「少年サンデー」「チャオ」「コロコロコミック」「SAPIO」など)

 ということで今日のお話はここまで。さて今日は1日、テレビを見ていそうな気もします。
(ほれ、ちゃ~んとお掃除しとってね、ミーシャ。)
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