理由

 さて昨日はテニスに行って、プールに行って、オリンピックのスケート、12人の「仁義なき」バトルロイヤル、マススタートの金メダル、さらにはカーリングのラスト1投を大真面目に見ていた私。さらにはフィギュアスケートの金メダル、アリーナ・ザギトワのプログラム構成に道義的に問題ありのこれがホントの「詐欺とは?」と思う今日は日曜日、ミニカーのお話。4枠目の今週は「考察」、今日はこんなお話です。
(これ、金メダリストをそないに貶めたらんでもええんと違う、ミーシャ?)

 今から30年ほど前、こんな題目の本がブームになっていました。光文社から出ていた「カッパ・ブックス」という新書なのですが、題名はこんなもの。

「松下電器がソニーを叩き潰さない理由」
「キヤノン、シャープ、リコーがOA戦争を続ける理由」
「ホンダがトヨタの逆鱗に触れるのを恐れる理由」

そして私が読んだ「トヨタが日産にとどめを刺さない理由」というのがあります。当時の背景は現在とはかなり違いますが、内容はこんなものでした。
(1)トヨタは名古屋(豊田)という田舎に本社を置くことで、あえて財界のロビー活動を避けた。
→ こうすることで、もし通産省(当時 現在の経済産業省)の役人さんが何か持ってきたとしても、わざわざ田舎の豊田まで来ることはない、むしろ東京に本社のある日産(当時)に話を持って行く方が早いわけです。

(2)有利子負債、製造コストなどで、トヨタは日産すら軽く吹っ飛ぶほどの切り札を持っている。
→ 当時、トヨタは「トヨタ銀行」と呼ばれたほどの超優良財務体質でした。また製造コストにしても「かんばん方式」などのトヨタ生産方式を持って他メーカーよりも数万円安く上がる状態でした。

 となると、「なぜ、その価格競争力を使えば、トヨタの1人勝ちじゃないの?」とお思いの方も多いかと思います。しかししかし、そこにはトヨタの深謀遠慮がありました。それは何かというと「GMの日本進出を抑えるため」、当時世界最大の自動車メーカーである、アメリカのGMが日米自動車摩擦の関係で「アメリカ車を日本でもっと売れるようにしろ」と当時のレーガン、父ブッシュ政権にロビー活動をしていました。そこでトヨタが日産その他のメーカーをその価格競争力を使って潰してしまうと、当然外資が手を出すわけで、その過程で仮に日産が外資(GM)と組んだ場合に、日産のディーラー網がそのままGMに渡ってしまう、そうなるとトヨタとしても、相手がGMということでかなりやりにくい状態になるという締め方でした。

 事実、日産は外資(この場合はルノー(フランス)ですが)の傘下に入りました。また当時、GMはいすゞ、スズキなどと資本提携していましたが、現在ではすべてなくなっています。GM自体も経営破たんの後、いくつかのブランドを整理して、今に至ります。(オールズモビル、ポンティアックを廃止、オペル、サーブなどを他社に売却しました。)

 ということで今日のお話はここまで。今日はこれから車を洗って、あれこれとするわけですが、どうも、その「理由」に悩みそうです。
(ほれ、あんまし無理せんようにね、ミーシャ。)
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龍の春節

 さて昨日はユヅ君の金メダル、ゆんべから今朝にかけて何回このネタを使いまわしているのかと思うようなフィーバーぶりの中、そんなことは置いといて、プールで大真面目に極小パンツで400mぶちかましてきて、子供らの顔面蒼白にさせた後は、今朝は朝からテニスに行って、髪を切って「ユヅ君みたいにして♡」とかノロけてきた「アラフォーのユヅ君」の私。今日は日曜日、ミニカーのお話。3枠目の今週は「ミニカー・ブランド大図鑑」、今日はオリンピックの地、韓国からではないのですが、この先週の金曜日が中国でいうところの「春節」(旧正月)ということで、こんなブランドのお話です。
(これ、ミーシャ。アンタはなんでまぁそんなにミーハーなわけ?それに年甲斐もなく「ユヅ君」って金メダリストをそないに気安く呼んでんやないんよ、この大バカ者!!)

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 今月はこちら。香港の「ドラゴンモデルズ」というブランドです。ミニカーでは「ドラゴンアーマー」というブランドになります。香港の大手模型店ユニバーサル・モデルズ(Universal Models Ltd. )の関連企業で、プラモデルの開発と製造を行っています。1987年に設立、この頃の主力製品は1/144の航空機の模型でした。この当時、このスケールの航空機模型の大半は日本のエルエスやオオタキ(どちらも倒産しました。)の子供向け路線の製品であり、パーツも少ないなど低価格相応の出来であったため、新たなメーカーの参入は好意的に受け止められました。
 
 1990年の秋に戦車模型への参入を表明、最初に発売された製品は1/35スケールの旧ソビエトの主力戦車T-72で日本への入荷は翌年になってからであった。スケールモデルとしての再現度には難はあったが、当時は旧ソビエト製兵器の実物の詳細な資料そのものが存在しなかったのでクレームは少なく、この戦車を保有していたイラク・フセイン政権が隣国のクウェートに侵攻した事により湾岸戦争が発生する等の話題性にも恵まれました。(しかし、「戦車の帝王」タミヤが1992年に決定版ともいえるT72M1を出しました。)そこで1992年、初の巨大AFVとしてスカッドミサイルを搭載したTELを発表、これまで他メーカーとの競合を避けるために回避していた第二次世界大戦アイテムの開発も行われ、これまで1/35でキットの存在しなかったナースホルンなどが発売された。しかし当時の同社のスキルでは目の肥えた大戦物モデラーを満足させるには至りませんでした。その後は、細かな部品分割やスライド金型の多用による徹底した形状再現と、従来は別売りが当たり前だった金属製砲身やエッチングパーツなどを標準付属した、「アフターパーツ要らず」と言われるほどの商品内容(この手のアフターパーツを色気出して買い込んでいくと、下手したらキット代の2~3倍になることもあります。(特に艦船模型の類)そしてそのパーツは組み込むには結構な腕がいるために、そのまま放置されるパターンはお約束です。)によりモデラーの高い支持を得ており、タミヤのミリタリーミニチュアシリーズと人気を二分するまでになっています。

 日本では、輸入代理店がサブブランド毎に異なっており、ドラゴンブランドのプラモデルは青島文化教材社、CAN DO/マイクロテックは童友社、ホワイトボックスを除くサイバーホビー、アクションフィギュア、ドラゴンアーマー、ドラゴンウイングス ウォーバード、スペースドラゴンウイングスはプラッツ、ドラゴンウイングス(旅客機)はガリバーがそれぞれ輸入・販売を担当していたのですが、2014年末よりプラッツがドラゴンウイングス(旅客機)を除くドラゴンモデル社製品全般の取扱いを開始しました。

 ということで今日のお話はここまで。ちなみにこの「春節」ですが、旧暦の1月1日のことで、毎年日は変わります。また中国本土や台湾では大みそかの日(春節の前日)から7連休(2018年の場合は2月15日から21日です。)韓国の場合は「ソルラル」と言われ、これも3連休(2月15日~17日、ただし2018年の場合はカレンダー上、2月18日に日曜日が入るために実質の4連休になります。)になります。3周目の受難の週も始まりましたが、ネタを探す次第です。
(ほれ、それを「自業自得」というんやわ、ミーシャ。)

F1 vs インディ

 ♪どうしてなん~だろう~、疲れている~のに~、物が残~ってる~、それじゃ行く~の~よ~、私~、私が不~思~議~、と~て~も~、私が不~思~議~、私~、私が不~思~議~♪(大杉久美子「わたしが不思議」のメロディでどうぞ。ドラえもん「のび太の鉄人兵団」(1986年(昭和61年))の主題歌です。)さて昨日はお仕事、他人のレスキューをやったというのはお話しましたが、その詳細を語ると、自分とこを終わらせた後で、えらい離れた所に行ったわけですが、これがまた暗くなるし、雨は降るしの中、それでも何とか片付けてきた「不思議な」私。今日は日曜日、ミニカーのお話。2枠目の今週は「F1」、F1マシンではありませんが、こんなオープン・ホイールのお話です。
(これ、アンタが不思議なんは今に始まったことやないでしょ、それにアンタは「不審」もついてくるんやからね、ミーシャ。)

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 今月はこちら。先ごろ「フェルナンド・アロンソのF1とインディの掛け持ち」というお話が出ましたが、今から25年前にもそんな例がありました。「暴れん坊将軍」「人間ドーベルマン」ナイジェル・マンセルが契約交渉のゴタゴタから「F1やめて、インディに行く」と言い出した(これはマンセル自身の性格とその当時の所属のウィリアムズの取りこぼしの重なった結果です。)後、なんとなんと参戦初年度でいきなりシリーズ・チャンピオンになってしまったという前代未聞の出来事がありました。その最初の年に乗っていた傷だらけのローラじゃなかった「ローラ T93/00」(1993年)という車のお話です。

 この当時、F1とCART(Chmpionship Automobile Racing Team インディカー)ではどっちが上か?という論戦が結構ありました。しかししかし、現役の世界チャンピオンが乗ったらどうなるか?というのはちょっと想定外の出来事でした。またアイルトン・セナもCARTへの転向が噂されていました。(事実、セナも契約交渉でもめていました。そのためにマールボロと同郷の先輩、エマーソン・フィッティパルディがペンスキー PC22をドライブさせるということをしています。)

 車自体は市販のもの(F1の場合は、「車体は自分ところで製造しないといけない」という規定があります。)、この当時はペンスキーだけは自社製シャシーでしたが、他とこは市販品を使っていました。ただ、コスト抑制のためにF1のようなハイテク兵器は禁止されています。そのためミッションはセミATではなく、昔からあるHパターンの6速マニュアル、他にもTCS(トラクション・コントロール)なし、サスペンションもパッシブ式のものです。エンジンはフォード(コスワース)が従来のDFXの後継として、1992年から新たに開発した「XB」というエンジンを採用しています。(よく言われるF1のコスワースDFRとHBのような関係でしょ?というのは間違いです。)2650cc、SOHCV8ターボ、これで750psを叩き出しています。

 そしてそのマンセルは3強のうちの「ニューマン・ハース・レーシング」でドライブします。1993年シーズンは全16戦で行われたのですが、トップタイの5勝でシリーズ・タイトルを獲得(インディはエントリー体制がばらばらのため、F1でいうところのコンストラクターズ・タイトルという物はありません。)、一方その裏でF1に行ったマイケル・アンドレッティはシーズン途中でマクラーレンを解雇されるという両極端なお話でした。この年以降、F1とインディを行ったり来たりする例が増えてきました。(この後、F1から行ったのはマウリシオ・グージェルミン、アレックス・ザナルディなどがいます。逆にインディからF1に行ったのはジャック・ヴィルニューヴ、フアン・パブロ・モントーヤがその例です。)

 ミニカーはミニチャンプスのもの、それをちょっといじってます。そして今回わかる範囲で書きます諸元はこんなもの。
(ホンットにな~んにもないんです。英語のサイトなどを見ても載ってないんです。)

車名          T93/00

デビュー        1993年
全長          4820mm(推定)
全高           mm
全幅          2000mm(推定)
ホイール・ベース    mm
トレッド(前)     mm
    (後)     mm
車重           kg(燃料、ドライバー含む)

エンジン        フォード・コスワース XB
形式          水冷レシプロ V型8気筒 SOHC 4バルブ + ターボ
総排気量        cc
ボア×ストローク    
Vバンク角       75度(推定)
最大出力        750馬力/12,300rpm(推定)
圧縮比         
燃料噴射システム    コスワース社製 電子制御
点火システム      コスワース社製 電子制御
燃料          テキサコ・バルボリン(メタノール燃料)
オイル         テキサコ・バルボリン

駆動方式        後輪駆動方式
変速機         前進6速 マニュアル縦置き(後退1速)
差動システム      リミテッド・スリップ・デファレンシャル

シャシー        カーボン・コンポジット・モノコック
サスペンション(前)  独立懸架 ダブル・ウィッシュボーン式プッシュ・ロッド
       (後)  独立懸架 ダブル・ウィッシュボーン式プッシュ・ロッド
ブレーキ        ブレンボ社製 4輪ベンチレーテッド・ディスク(鋳鉄製ディスク)
ステアリング      ラック・アンド・ピニオン
タイヤ         グッドイヤー イーグル
ホイール        ダイマグ? 15インチ
燃料タンク容量     不明

デザイナー       
ドライバー       ナイジェル・マンセル/マリオ・アンドレッティ

 ということで今日のお話はここまで。町内会の廃品回収をやって、テニスに行ってとドタバタになりそうな感はありますが、さっさと終わらせておきましょという次第です。
(ほれ、ゆっくりできる時はゆっくりしときや、ミーシャ。)

2年目の大蛇

 さて昨日はお仕事終わって、プールに行って、ラストのタイム・トライアルで腕が抜けなくなるというものの、その驚異の潜在能力を子供らの前で見せてきた「怪物な」私。「あんなゆったり回しているのに、なぜあれだけ伸びる?」と子供らがささやく中で、やっぱりガソリンの威力は大きいものですなというころで、帰りに近所のスーパーで半値の巻きずしを買ってきて、それを食べてました。でも、「あの売れ残りはどうするんでしょ?」と思う今日は日曜日、ミニカーのお話。1枠目の今週は「市販車」、今日はこんなお話です。
(これ、そこで「周りの目が気になるんです~。」とか言うてんやないんよ、せやけど、上背のある分、よう目立つんやからね、ミーシャ。)

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 先月のお話はアルファロメオの「155 V6  TI」でしたが、今月もそれになります。でも今回は圧勝した1993年モデルではなく、その次の年の1994年モデルになります。外面のマーキングの色が白からシルバーになって、ちょっと斜めになった以外どこが違うの?というわけですが、同じ中身で何年も勝てるわけがありません。今日はそんなお話です。

 1993年シーズンを圧勝したアルファ・コルセ。しかしそれは「パンドラの箱」を開けてしまったのです。三ッ星の王者、メルセデス、その逆鱗に触れたが故にアルファロメオを叩き潰すために2年越しで温めていた新兵器、新型Cクラス(W201型 初代)をベースにした完全クラス1仕様の「Cクラス DTM」を投入しました。(この「2年越し」というのは本来ならば、1993年シーズンに投入予定でしたが、主要エントラントの撤退によって1993年のDTMが中止になる可能性があったため、メルセデスはDTM仕様のCクラスの開発を凍結していました。その後、1992年にDTMへの参戦計画を明らかにしていたアルファロメオが参戦を発表し、メルセデスも参戦継続を決めたのですが、Cクラスの開発は1993年には間に合いませんでした。結局メルセデスは付焼刃的な「190E/C1」で1993年シーズンを過ごしたわけです。)

 とはいえ、チャンピオン・チーム、車番「1」と「2」を背負ったアルファ・コルセもそんな状況に胡坐をかいているわけにはいきません。1994年仕様はドラッグの減少と低重心化のため全高を20mm下げ、エンジンの位置も1993年仕様よりも低く、マシン中央寄りにマウントされるようになりました。エンジン自体も同じ2500cc V6ながら小型・軽量化した新設計の物が用意されました。また、アンチロック・ブレーキシステムも採用されました。ウイング状のリアディフューザーが装着され、空力面の修正も行われました。アルファロメオはアクティブ・サスペンションも1994年シーズンに向けて開発していたのですが、メルセデス・ベンツとの間で同技術の実戦投入を中止することでシーズン前に合意しました。トランスミッションはシーズン前半はすべてのドライバーがナニーニ用の2本レバータイプのシーケンシャル仕様を使っていたが、シーズン後半には1本タイプのシーケンシャルシフトに移行しました。外観も空力関係が一新され、ラジエターやオイルクーラーにエアを導く為にノーズに設けられたインテークは小型化され、バンパーサイドのアウトレットは大型化されました。また、リアブレーキの冷却用にボディサイドにエアインテークが追加されました。

 そして迎えた1994年シーズンは「壊れなければ勝てる」を地で行くシーズンでした。アルファロメオはメルセデスの9勝を上回る11勝を挙げたがメイクスタイトルの連覇はなりませんでした。ドライバーランキングでもラリーニの3位が最高でした。全20レースでメルセデスはワークス4人でトータル14回しかリタイヤしていないのに、アルファロメオは同じ条件で22回もやらかしている、この差が結果を物語ったシーズンでした。

 ミニカーはサンクスのアルファロメオ(2)(2008年)より、そして諸元はこんなものです。

車名          155 V6 TI

デビュー        1994年
製造          1993年~96年
全長          4576mm
全高          1390mm
全幅          1750mm
ホイール・ベース    2540mm
トレッド(前)     1500mm
    (後)     1500mm
車重          1040kg

エンジン        アルファロメオ
形式          水冷レシプロ V型6気筒 DOHC 4バルブ
総排気量        2497cc
Vバンク角        60度
ボア×ストローク    Φ93×61.3(mm)
最大出力        400馬力以上/11,500rpm
最大トルク       30.0kg-m以上/8,300rpm
圧縮比         12.5
燃料噴射システム   マニュエッティ・マレッリ社製 電子制御 
点火システム      マニュエッティ・マレッリ社製 電子制御(デュアル・プラグ)

駆動方式        総輪駆動方式(フルタイム 4WD)
変速機         前進6速 マニュアル縦置き(+後退1速 シーケンシャル)
差動システム      リミテッド・スリップ・デファレンシャル

シャシー        鋼管スペース・フレーム
サスペンション(前)  独立懸架 マクファーソン・ストラット式
       (後)  独立懸架 ストラット式
ブレーキ   (前)  ベンチレーテッド・ディスク
       (後)  ベンチレーテッド・ディスク
ステアリング      ラック・アンド・ピニオン
タイヤ+ホイール(前) ミシュラン/O.Z
        (後) ミシュラン/O.Z
燃料タンク容量     

ボディ・スタイル    4ドア・ベルリネッタ
乗車定員        1名

ドライバー       ニコラ・ラリーニ(1)/アレッサンドロ・ナニーニ(2)(アルファ・コルセ)
             クリスチャン・ダナー/ジョルジオ・フランチア(シューベル・エンジニアリング)

 ということで今日のお話はここまで。これから「皇室アルバム」でも見てましょ。
(これ、アンタの年はいくつやの、ミーシャ?)

波乱万丈の1月

 ♪いつもは~遅れ~を~、はずして~、いた~の~に~、どうして、昨日は~、事故が起こったの~、午前と昼か~ら~、2件も~起こった~、今日は久しぶ~り~、事故で遅れそう~♪(globeの「can't stop fallin'in love」のメロディでどうぞ)さて最近話題になったアメリカの体操選手の性的虐待騒動、これで協会トップ総辞職になり、私も競技は違うが、その手のお話は「氷山の一角」だと思う「よく理解できる」私。昨日は1泊でちょっと名古屋に行ってました。そして帰ってきた今日は日曜日、ミニカーのお話。4枠目の今週は「考察」、この1泊2日の一部始終のお話です。
(これ、何かえらい意味深な入りできたもんやね、そこでアンタは「ナサール」やなくて、「何をなさ~る」とか言うてんやないんよ、ミーシャ。)

 昨日はちょっと降り積もった雪、そんな寒い中でちょっとテニスをやって、荷物を家において、そのまま自転車で駅に向かいました。今回は車ではありません。この時期は大雪のために名神高速、新名神高速は下手したらWRC状態になるために、カムリではちょっとということで、新幹線の旅です。その前に「社会見学」の予定もあったために、「雪がどうなるかわからないから、早めに行っておきましょ。」ということで、スポーツ紙をもって黒いジャケットとスラックス、そして赤いコートと「良く目立つ」カッコで新幹線になりました。

 そして名古屋について、ここから在来線に乗り換えなのですが、この「6番ホーム」で「遅れてますよ~」という表示、理由は踏切で電車と車が当たったということですが、この場合、下手に選り好みするとえらい時間を食うことになるため、一番最初に来た電車に乗って「社会見学」も済ませ、さて本題、というところですが、今度もま~たやった「人身事故」、このため、ちょっと離れた名鉄(名古屋鉄道)の駅から「振り替え輸送」で名古屋に行くことになりました。

 そして名古屋について、先にホテルに荷物を置いて、月1の「あーだこーだ」というお話を語るわけです。そこで出たのは「フ×ゾ×」、何かえらい語っていたような気がします。(私が率先して語っていたのではありません。またそれを「社会見学」という言い方をしてはいけません。)そして豚まんを食べて、最後に出てきたのは「生ガキ」、「実弾ロシアン・ルーレット」でしたが、私は一夜明けても大丈夫でした。そして2月と3月の日程を聞いて、3月はレースと重ならないのに安心した私は、スヤスヤと眠りについたのでした。

 そして次の日(今日ですね。)、ホテルの朝ごはんがちょっと少ないと思ったものの、完食して、そのままテレビで「喝とあっぱれ」を見て、大阪へ帰ってきました。今度は3月になりますが、今回参加の方々におかれましては、お疲れ様でございました。またみんなで「バカ騒ぎ」できればいいなと思います。
(まぁせやけど、よかったね、人様にはようしたげんといかんよ、ミーシャ。)
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