FC2ブログ

案外真面目に…。

 さて来週のサザエさんは?じゃなかった来週からはお休み、そこで今までのおさらいということで、ビシッと締めにかかったものの、なかなか問屋が卸してくれない「レアものの」私。今日は月曜日、プールのお話。4枠目の今週は「(今日も頑張る)調教日記」、今日はこんなお話です。
(これ、アンタはレアはレアなんやけど、最近、あれこれとかき集めて何をしとってかな、ミーシャ?)

 私の後ろには知障の子がいるというのはこのお話を読んでいただいている方におかれましては、よくご存じかと思います。またこの子が「意味なしてない」練習なわけで、はた迷惑なお話だったわけですが、最近、案外しゃんとするようになったわけです。どうやら馬主に「帰るか?」といわれたのが効いたようなのですが、といっても私ら相手では相手にならん中、今日も始まりました。3人のラストはこんなものです。

 50m × 4本   4枠  (各枠、最後の1本はタイムを読みます。)(1’10”)

 そろそろガタが来そうなこのお馬さんも、「ラスト」の声を聞くと、それがドーピングのように効いています。(決して、薬物使用の陽性反応が出たわけではありません。)1枠目は40秒、2枠目で41秒5、3枠目で「ここで割らんと今日は出~へんよ。」といわれてツイン・ターボフル稼働、足の蹴りの1発が重い、重い。身体能力にものを言わせて無理やり引っ張ったのですが、コンマ5秒縮めるのがやっとで、ラストは42秒、ここで「41秒98の間違いじゃない?」と聞くと、「時計は正確です!」ということで、今日は終わりました。

 ということで今日のお話はここまで。最近、テニスで使うラケットにあれやこれやとパーツを探して、テストをする中ですが、「角を矯めて、牛を殺してない?(本来の持ち味を殺してない?)」という気もする次第です。
(ほれ、その方向だけはきっちりしとかんといかんよ、ミーシャ。)
スポンサーサイト

プラグのあるなし

 さて愛するタイガース、昨日も負けて怒りの炎も消えつつある中、テニスで超絶プレー連発、その後は車をコーティングに出して一夜の今日も真面目にこのお話を書いている「写経の」私。今日は日曜日、ミニカーのお話。4枠目の今週は「考察」、今日はこんなお話です。
(これ、そこで「心を鎮めて」と言うてんやないんよ、アンタを「沈める」には核ミサイルでも難しいんやからさぁ、ミーシャ。)

hybrid.jpg

plugin.jpg

 世は「エコカー」ブームです。今から20年ほど前の1998年(平成10年)に登場した世界初のハイブリッド車、トヨタ・プリウス(しかし、最近の高齢者がらみの交通事故ではこの車に乗っている方がやらかしたという例は多いですな。また、ウチとこの近所のガソリンスタンドで、側溝のふたをひっかけて、そのひっかけたふたのふちが、車体の底にあったガソリンタンクを直撃して、爆発炎上したなど、安全性に「?」が付くため、私は選びませんでした。)以降、急速に普及していますが、この中にも色々とあります。そんな中、今さら聞けないこんなことがあります。

 「ハイブリッドって色々あるけど、普通の「ハイブリッド」車と「プラグイン・ハイブリッド」車ってあるんだけど、これってどう違うの?」

 ハイブリッド車は走行するエネルギーの供給源に「ガソリン」を使用しているところです。エンジン+バッテリー+モーターを組み合わせています(以前にやった「シリーズ式」「パラレル式」などいろいろな方式がありますな。)がバッテリー自体に直接充電はしません。ガソリンを使用してエンジンの力で走行します。そして、回転する車輪の力でモーターを回すことで電気エネルギーを生み出し、バッテリーに充電します。この時のモーターで発電するときにタイヤに掛かる抵抗がブレーキとして機能するため「回生ブレーキ」と呼ばれています。(このため、一般の車に比べて、ブレーキパッドの減りは少ないといわれています。)

 一方の「プラグイン・ハイブリッド」、これは簡単に言うとハイブリッド車を充電設備で充電できるようになった車です。最近では「充電設備付きの駐車場」なんてあったりしますが、プラグをつないでおけば充電までやってくれるわけで、その満充電時からのバッテリー駆動で走れる距離が普通のハイブリッド車よりも長い、またいざとなれば非常用の電源としても使えるんです。(そのため、普通のハイブリッド車に比べると、バッテリーの容量が数倍違います。)ガソリンエンジン車の給油性能を残しながら電気自動車により近いタイプのハイブリッド車です。 日本では2011年(平成23年)にトヨタ・プリウス(3代目 Z30型)で初めて設定されました。

 ただ、メリットもあれば、デメリットもあるわけで、それぞれこんなところがあります。
(ハイブリッド)
ブレーキの利き方に違和感を持つ方が多い(回生ブレーキのため、踏んでからかかるまでに若干のずれが出ます。)
バッテリーは半永久的に使えるわけではなく、いざ交換となると結構な費用がかかる(でも、そこまで行く前に乗り換える方がほとんどですが)

(プラグイン) 
家庭用のコンセントで充電できるため、災害時の発電機また巨大バッテリ-として使うことができるが、その充電には電気線を別に引く必要がある。(マンションなどの集合住宅ではほぼほぼ不可の所は多いんです。日本の家庭用の電圧は100Vですが、プラグイン車の充電には200V電源を推奨しています。)
その過程で下手にバッテリーを開けたりして、感電事故が起きやすい(関西地域の方であれば、関西電力がやっている「関電SOS」という警備事業がありますが、これがホントの「感電SOS」ですな。)

 ということで今日のお話はここまで。私もハイブリッド車に乗っていますが、距離も気になる次第です。
(これ、その辺チョロチョロしか乗らんくせに、距離もへったくれもあらへんのやないの、ミーシャ?)
 

奇跡の復活

 さて愛するタイガース、また負けた、それもけしからん某全国紙を調子づかせるような「アホな」負け方に、お仕事終わってプールに行った私も怒りの炎が収まらない私。今日は土曜日、グルメのお話。3枠目の今週は「ワイン」、今日はこんなお話です。
(これ、今日もまたアンタの長~いお話を聞かされるわけやね、ミーシャ。)

carmenere-grapes_convert_20190420060512.jpg

 今月はこちら。世界屈指のワイン大国、チリ、世界的大手のコンチャ・イ・トロ社(Concha y toro 代表格は「フロンテラ」(Frontera)、「カッシェロ・デル・ディアブロ」(Casello del Diablo)、ビン3(Bin3)など)、コノスル社(Conosur 代表格は「ビシクレタ」(Biscleta)など)、ピンからキリまでのワインを生み出していますが、その中でもここにしかない品種に「カルメネール」(Carménère)というブドウがあります。

 元々このブドウは昔、フランスのボルドーで広く作られていた黒ブドウの一種です。しかしそのブドウは、19世紀フィロキセラという害虫の発生により一度絶滅してしまい、フランスはもちろん世界中からその姿を消してしまいました。このフィロキセラというものはブドウの根などから樹液を吸って、その木を枯死に至らせます。(間違っても人のすねをかじって、枯れ死させてはいけません。)現在でも有効な薬はなく、ワイン作りの歴史上最も厄介な害虫の一つです。唯一の対策は、フィロキセラに免疫のあるアメリカ系のブドウの木で接ぎ木をするのみです。フィロキセラはフランス、イタリア、スペイン、オーストラリアなどほとんどのワイン産地で大発生し、世界中で大規模な問題を引き起こしました。

 しかし、チリのとあるブドウ農家でこんな事が起こりました。そこのおうちには「メルロー」種の木があったのですが、毎年の収穫の時期にはこんな事が起こっていました。

 「あるブドウの木のブドウの実はとっくに熟しているのに、別のブドウの木のブドウの実はまだ青い。また葉が緑のものもあれば、真っ赤に染まっていたものもある。」

 ここで「なんでだろう~」とギターをかき鳴らす2人組は出てきませんが、1994年にフランス人醸造家がここいら周辺の木のDNA(遺伝子ですよ。ドラゴンズ(D)は何か(N)怪しい(A)でも、ドジ(D)でノロマ(N)なアナタ(A)でもありません。)を調べてみると、とんでもない事実にたどり着きました。実はチリでメルローと言われていたものの半分は、フィロキセラの被害の前の1840年~1890年頃にフランスからチリへと持ち込まれていたカルメネールだったのです。絶滅したと思われていたブドウ、カルメネールの復活です。

 長い間チリのメルローは他の国のものと違って複雑で美味しいと言われてきましたが、その理由は知らず知らずのうちにメルローとカルメネールのアッサンブラージュ(ブレンド)になっていたからだったのです。当然のことですが、現在ではチリではメルローとカルメネールはしっかりと区別されており、多くのワイナリーでその両方を作っています。(また、この2つのブレンドしたワインも結構あります。)

 一般的にまろやかで、優しい特徴があるので、赤ワインに慣れていない方や女性でも飲みやすいです。またそんなに重た~い感じがしない(逆にチリを代表する「カベルネ」種のワインの中には、けた外れに重た~いものもあります。)のに、肉とよく合います。

 ということで今日のお話はここまで。今日はテニスにプールに忙しい日々が続きますが、やれる時にやっておきましょ。
(ほれ、たまにはおうちでゆっくりしときや、ミーシャ。)

起承転結

 さて今日も真面目にお仕事、でも早起きはいいことでということで今日も真面目にこのお話を書いている私。今日は木曜日、テニスのお話。3枠目の今週は「戦術」、今日はこんなお話です。
(これ、真面目に書いてんのはようわかるんやけど、もうちょいウケるネタを書いたらどないやの、ミーシャ?)

 試合をやっています。といってもどこでピークをもってくるかは人それぞれです。最初からドカ~ンとやって、相手を意気消沈させてしまおうという方もいれば、ず~っとついていって、相手がガス欠起こしたところで「差して」しまおうという方もいます。何が言いたいかというと、「最初から最後まで、同じペースでやってはいけない」ということです。そうなると、時間とともに相手は慣れてくるわけで、慣れられたころに、それを引き離せるだけのものがないと、後がしんどくなります。

 とはいえ、それぞれに対処法はあるわけでして…。
(1)最初から飛ばすアナタ
この場合、序盤は下手に打ち合わない方がいいかもしれません。なぜならば、相手のペースに合わせてしまって、自分の土俵で勝負するという勝負事の鉄則を忘れてしまうからです。そのため、そこそこ慣れたところで、本領発揮という形をとった方がいいかと思います。また、確実に入れていくことで、相手の「焦り」を誘うこともできます。

(2)「差してやろう」と身構えているアナタ
この場合、序盤から飛ばした方がいいかもしれません。なぜなら、相手は自分についていこうとしています。となると、ついていこうとするより上回るペースで飛ばせば、絶対についていけなくなるわけです。また「ついていこう」と無理してガス欠起こしてしまうことも考えられます。

 ということで今日のお話はここまで。今週もそろそろ終わりになりますが、あと1日、ミスなく終わらせましょ。
(ほれ、あんましドタバタせんようにね、ミーシャ。)

虎の城

 さて愛するタイガース、今日はなぜか勝っているものの、やっぱりGがらみのアナタはあまりええ事ないと思う中、その裏でやっていたUEFAチャンピオンズリーグ、今年はホントに行けんじゃない?と思えるアヤックス(オランダ)、ベスト8でなんとなんとユベントス(イタリア)まで倒してしまったというシンデレラ状態に腰を抜かした今日は水曜日、巨大建造物のお話。3枠目の今週は新ネタ「お城」、今日はこんなお話です。
(これ、お仕事はどないやの、ミーシャ?)

31631_main_convert_20190417213257.jpg

2016082507174445a_convert_20190417213317.jpg

 新ネタ「お城」、最近では「城ガール」なるものも出現するほどですが、その1回目は「熊本城」、3年前の地震で大損害を受け、完全に修復されるまでは20年はかかるといわれています。戦国の名将、加藤清正が造った名城です。平山城の下見板張り(漆喰は上だけで、下は板壁)のお城です。

 加藤清正が大規模な熊本城を築く以前のお城の場所は、茶臼山といわれ、四つ木(代継)神社が祀られていたといわれています。清正入国以前の肥後は、薩摩の島津氏・豊後の大友氏・肥前の龍造寺氏などによる領土の争奪戦が繰りひろげられた戦国の世でした。そこへ豊臣秀吉の九州平定により、それに従軍していた佐々成政に肥後の統治を任せるのですが、検地をめぐって国衆一揆が発生します。一揆軍は古城にも攻め寄せるが落とすことができず、多くの国人が自滅していきました。佐々成政はこの一揆の責任を問われ、領地召し上げ、秀吉から切腹させられる。その後は、肥後の国の北半分を加藤清正に、南半分を小西行長(こにし・ゆきなが)に与えられることになります。

 清正は築城の名人といわれたが、清正は入国すると、すぐに築城には取りかからず古城を居城として、まず、川の氾濫への対策に重点を置き、防衛力の強化と同時に米の生産力を高めました。しかし、清正には治国に集中する間もなく、秀吉の命により朝鮮への出兵を余儀なくされてしまいます。2度にわたる朝鮮出兵で清正は外国人と戦い、過酷な籠城戦も経験します。この朝鮮での体験をいかして、特に、日本にはない見事な石垣の技術を吸収し、籠城に備えた非常用の食糧備蓄や井戸の重要性を学んでいます。結局、朝鮮出兵は秀吉の死去により終わり、秀吉亡き後の天下の実権は、関ヶ原の戦いを経て徳川家康に移って行くことになります。関ヶ原の合戦で清正は徳川方で参戦。石田三成方で戦った小西行長は捕らえられて処刑され、行長が領していた肥後半国を含めた肥後一国、52万石を清正は領することになります。

 河川を城の防衛線と考える歴戦の清正は、坪井川・井芹川を合流させ自然の内堀とし白川を外堀としました。その白川には唯一、長六橋(ちょうろくばし)を架けたのみでした。(同様に、江戸幕府も防衛戦略上の理由から富士川、大井川などの川に橋をかけることをしませんでした。)二の丸・三の丸など本丸に近い場所に侍屋敷を定め、新町・古町・京町などには商人や職人を住まわせ、敵の攻撃の際には戦闘の拠点として活用できるお寺を計画的に配置しました。このときの都市設計が現在の熊本市の中心地の原型をなしています。しかし、子の忠広の代に「駿河大納言事件」(わからん方は「松平長七郎のパパ」というとわかるかも)のトバッチリで改易され、以後は細川家が54万石をもらって明治まで続く治世になります。(なお、この末裔に元首相の細川護熙がいます。)ほとんどの建物は明治まで残り、明治になると鎮台が置かれ、陸軍の施設として使われました。

 また、この城の別名は「銀杏城」といわれていますが、これは籠城用に大量の銀杏の木を植えたことによるものですが、この時、清正は「この木が天守閣の高さと同じになる時に、この城は戦火に包まれるだろう」という不吉な予言を残しています。その予言は見事に当たりまして、築城から270年を経た1877年(明治10年)の西南の役では、熊本が戦場となり、勇猛さで当時最強とされていた薩摩の西郷軍が熊本城を取り囲み激しく攻めたのですが、近代兵器を使った攻撃にも耐え抜いて、熊本城は、ついに難攻不落の城を証明しました。ただし、この際にほとんどの建物を焼失しています。(間違っても工事の失火ではありません。)戦後、1960年(昭和35年)に、天守を鉄筋コンクリートで復元し、各種文化、スポーツ施設などが入る公園としました。そして2016年4月の地震で大損害を受け、現在、修復工事中です。

 ということで今日のお話はここまで。ちょうどいい具合にビールも冷えました。これからちょっと「給油」してきます。
(ほれ、明日も頑張りや、みんな見とってやからね、ミーシャ。)

 
 
プロフィール

ミーシャ

Author:ミーシャ
FC2ブログへようこそ!

コアラの時計

by Animal Web Clock
FC2カウンター
現在の閲覧者数:
FC2カウンター
最新記事
最新トラックバック
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
RSSリンクの表示
リンク
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
検索フォーム