もう安芸
♪今は~もう秋~、隣のロッカー空く~、知らん顔して~、戦力外にな~っても~、私は~、忘れない~、彼に約束した~から~、つら~くても~、つら~くても~、現~役続けるんだ~♪(トワ・エ・モワの「誰もいない海」(1970年)のメロディでどうぞ)さてプロ野球もシーズンが終わりつつある中、そろそろ聞こえてきた「戦力外通告」、なんとなんとドラフト1位でも容赦なくというところで、今日入ってきた超ド級のネタ「Gの監督『解任』」にビックリの今日は水曜日、巨大建造物のお話。1枠目の今週はその「野球場」、「さてどうなる愛するタイガース、運命のポストシーズン?」からこんなお話です。
(これ、今日はどんだけ「盛る」予定やの、ミーシャ?)


今月はこちら。そろそろ各チーム、「秋季練習(キャンプ)」の時期になってきましたが、タイガースはここでやります。高知県安芸市にある「安芸市営球場」(「安芸タイガース球場」)という球場があります。1965年に開場した収容人員5000人、センター118m、両翼96mの内野黒土、外野天然芝の球場です。1965年度から阪神タイガースが春季と秋季のキャンプを開催する会場として使用しており、別名タイガースタウンと呼ばれています。現在は秋季キャンプのみここで行われます。(現在は1軍の春季キャンプは沖縄、宜野座で2軍は沖縄、うるまで行われています。)
ただこの球場はいかんせん、「田舎の球場」でして、施設が選手のレベルに追いついていない例は結構あったりします。1989年、セシル・フィルダーが打撃練習中にバックスクリーン、さく越えでそこに停めてあった駐車中の車を破壊、それに腰を抜かした安芸市が急きょ高さ7mの防球ネットを建設しました。その5年後、今度はロブ・ディアーがそれを上回る打球を連発、さらにそのネットを3m増設しました。他にも室内練習場(安芸ドーム)、2000年より外野を4mずつ伸ばして、甲子園球場とほぼほぼ同じサイズになりました。
また渦中の「監督」騒ぎ、巷ではこんな例が…。
(1)阿部慎之助 世間一般でいわれる「大本命」、今日のお話でもほぼ「決まり」という論調ですが、いかんせん「前任者とどう違うの?」という疑問符は多数。かくいう私もその1人ですが…。
(2)桑田真澄 いわゆる「対抗」、卓越した野球理論とともに育成能力や手腕をあらためて再評価する向きも周辺からは強まっているのですが、いかんせん「本流」からはちょっと外れている(2007年、メジャーリーグのピッツバーグ・パイレーツに移籍したためです。)ため、さてどうなるか?というところですな。
(3)高橋由伸 ある意味「穴」、この人のプロ野球人生はかなり「自分の意向でできなかった」部分が多々あります。入団時に「父親の借金を肩代わりする」という事情があって逆指名した(本来ならば別の球団を逆指名する予定でした。)、引退も本人の意向ではなかったなど結構振り回されっぱなしの感はあります。ただ、将来的には目はあるものの、この状況でやらせて潰れたらという危険性はあります。
(4)栗山英樹 まさかの「超大穴」、これ来たら「万馬券は確実」ですが、ほぼないとは言うものの、(生え抜きの生涯という慣例があります。)某選手が暴行事件でチームを追われた中で、電撃無償トレードが成立したのは原と昵懇(じっこん 読めた方はえらいと思う。)の関係だったからと言われています。
(5)落合博満 ホントにあったらびっくりですが、もし実現するなら結構ガチで見てみたい気はします。ただ中日とは違い、結果だけでなく勝ち方の内容も求められる球団です。そのため、野球を観る目の肥えた数多くのファンを抱えていますから、中日時代のような観ていて退屈な野球ではファンから受け入れられることは難しいという気もしますが…。。
なお、歴代の監督を見ると「初めて監督になった時の年齢は比較的若い」、50を超えて監督になったのは藤田元司(1981年 50歳)、堀内恒夫(2004年 56歳)の2人だけ、ほとんどは40台で監督になっています。これからすると(2)~(5)はないなとも思えますが…。(全員が50を超えています。)
ということで今日のお話はここまで。それではこれからお昼にしましょ。
(ほれ、今日もまた長いだけの文章やったね~、ミーシャ。)
(これ、今日はどんだけ「盛る」予定やの、ミーシャ?)


今月はこちら。そろそろ各チーム、「秋季練習(キャンプ)」の時期になってきましたが、タイガースはここでやります。高知県安芸市にある「安芸市営球場」(「安芸タイガース球場」)という球場があります。1965年に開場した収容人員5000人、センター118m、両翼96mの内野黒土、外野天然芝の球場です。1965年度から阪神タイガースが春季と秋季のキャンプを開催する会場として使用しており、別名タイガースタウンと呼ばれています。現在は秋季キャンプのみここで行われます。(現在は1軍の春季キャンプは沖縄、宜野座で2軍は沖縄、うるまで行われています。)
ただこの球場はいかんせん、「田舎の球場」でして、施設が選手のレベルに追いついていない例は結構あったりします。1989年、セシル・フィルダーが打撃練習中にバックスクリーン、さく越えでそこに停めてあった駐車中の車を破壊、それに腰を抜かした安芸市が急きょ高さ7mの防球ネットを建設しました。その5年後、今度はロブ・ディアーがそれを上回る打球を連発、さらにそのネットを3m増設しました。他にも室内練習場(安芸ドーム)、2000年より外野を4mずつ伸ばして、甲子園球場とほぼほぼ同じサイズになりました。
また渦中の「監督」騒ぎ、巷ではこんな例が…。
(1)阿部慎之助 世間一般でいわれる「大本命」、今日のお話でもほぼ「決まり」という論調ですが、いかんせん「前任者とどう違うの?」という疑問符は多数。かくいう私もその1人ですが…。
(2)桑田真澄 いわゆる「対抗」、卓越した野球理論とともに育成能力や手腕をあらためて再評価する向きも周辺からは強まっているのですが、いかんせん「本流」からはちょっと外れている(2007年、メジャーリーグのピッツバーグ・パイレーツに移籍したためです。)ため、さてどうなるか?というところですな。
(3)高橋由伸 ある意味「穴」、この人のプロ野球人生はかなり「自分の意向でできなかった」部分が多々あります。入団時に「父親の借金を肩代わりする」という事情があって逆指名した(本来ならば別の球団を逆指名する予定でした。)、引退も本人の意向ではなかったなど結構振り回されっぱなしの感はあります。ただ、将来的には目はあるものの、この状況でやらせて潰れたらという危険性はあります。
(4)栗山英樹 まさかの「超大穴」、これ来たら「万馬券は確実」ですが、ほぼないとは言うものの、(生え抜きの生涯という慣例があります。)某選手が暴行事件でチームを追われた中で、電撃無償トレードが成立したのは原と昵懇(じっこん 読めた方はえらいと思う。)の関係だったからと言われています。
(5)落合博満 ホントにあったらびっくりですが、もし実現するなら結構ガチで見てみたい気はします。ただ中日とは違い、結果だけでなく勝ち方の内容も求められる球団です。そのため、野球を観る目の肥えた数多くのファンを抱えていますから、中日時代のような観ていて退屈な野球ではファンから受け入れられることは難しいという気もしますが…。。
なお、歴代の監督を見ると「初めて監督になった時の年齢は比較的若い」、50を超えて監督になったのは藤田元司(1981年 50歳)、堀内恒夫(2004年 56歳)の2人だけ、ほとんどは40台で監督になっています。これからすると(2)~(5)はないなとも思えますが…。(全員が50を超えています。)
ということで今日のお話はここまで。それではこれからお昼にしましょ。
(ほれ、今日もまた長いだけの文章やったね~、ミーシャ。)
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期待裏切
さて昨日は1日、お休み。あれこれと録画を見て、「アンタの結婚は?」と聞かれて、「まだまだ先~!!」と答えた「まんぷく」な私。今日は火曜日、プールのお話。1枠目の今週は「調教日記」、今日はこんなお話です。
(これ、それは安藤サクラのネタやろ、ミーシャ?)
最近、趣向を変えた馬主、とはいえ、昨日はほぼほぼいつものネタになっていたわけですが、最後のネタはこんなもの。
50m × 4本 1/2枠 (1’20”/!’10”) 最初1枠は4泳法ミックス 各枠の間は”30休み
「当てるんじゃないか?」と思ったこの3ナンバー車もあっさり、そして結構「軽い」、「こりゃ、イケんじゃない?」とか思いながら、2枠目の最後の1本をスタートしました。事実、回るのは回るのですが、意外に「重さ」が「悪さ」をしまして、「あれま?」というような終わり方、それならばと最後の1本を行ったのですが、これがまた失敗と、「最後の1伸び」のなさを感じた1日でした。
ということで今日のお話はここまで。今日も1日、ビシッと締めてきましょ。
(ほれ、今日も頑張りや、ミーシャ。)
(これ、それは安藤サクラのネタやろ、ミーシャ?)
最近、趣向を変えた馬主、とはいえ、昨日はほぼほぼいつものネタになっていたわけですが、最後のネタはこんなもの。
50m × 4本 1/2枠 (1’20”/!’10”) 最初1枠は4泳法ミックス 各枠の間は”30休み
「当てるんじゃないか?」と思ったこの3ナンバー車もあっさり、そして結構「軽い」、「こりゃ、イケんじゃない?」とか思いながら、2枠目の最後の1本をスタートしました。事実、回るのは回るのですが、意外に「重さ」が「悪さ」をしまして、「あれま?」というような終わり方、それならばと最後の1本を行ったのですが、これがまた失敗と、「最後の1伸び」のなさを感じた1日でした。
ということで今日のお話はここまで。今日も1日、ビシッと締めてきましょ。
(ほれ、今日も頑張りや、ミーシャ。)
超絶4駆
さて昨日はちょっと電車に乗ってあれこれした後は、テレビでバレーボールを見ていた後にこっくり、そして今日から始まった朝ドラのタイトル・ロールにちょっと首をひねる中、このお話を書き始めた私。今日は月曜日、ミニカーのお話。1枠目の今週は「市販車」、今日はこんなお話です。
(これ、ま~たベッタなネタをやってんやないんよ、ミーシャ。)


今月はこちら。1980年代後半の「(第2次)スーパーカー・ブーム」というのがありましたが、その際に出てきたものはランボルギーニ・ディアブロ、ジャガー・XJ220、そして「走る不動産」フェラーリ・F40などがありまして、1970年代の(第1次)ブームが子供中心だったのに対し、バブル期のブームは商売目的の大人が中心となったものですが、ポルシェもそのブームの中で出してきました「959」(1987年)のお話です。
元々この企画がスタートしたのは1983年、その前の年にFIA(国際自動車連盟)は、それまでのグループ4/5に代わるグループB車両に、世界ラリー選手権=WRCのチャンピオンシップを与えることを決定。パワーは無制限、軽量素材の使用にも事実上何の制限もなし、ポルシェのエンジニアがこの新しいカテゴリーに興味を持たないわけはないわけですが、いかんせんベース車がリヤ・エンジンの「911」しかなかったため、前規定のグループ4で当時のWRC(世界ラリー選手権)を席巻していたアウディ・クワトロを叩き潰すには、4WDが必須であると考えました。
こうした中、1983年のフランクフルト・モーターショーでプロトタイプの「グルッペB(グループBのドイツ語)」として発表され、翌1984年にはパリ〜ダカール・ラリーでこれをベースしたラリーレイド仕様車で総合優勝を飾る実績をあげています。その後、1986年にはポルシェ・959の名で参戦。その圧倒的な走行性能で総合優勝(1-2フィニッシュ)を決め、それを機に市販されることとなりました。
そしてその目玉になった4WDシステムはトランスミッションからPSK電子制御クラッチを介して前車軸までプロペラ・シャフトを通し、運転状況に応じて前後のトルク配分を40:60から20:80まで自動調整する可変トルクスプリット式フルタイム4WDシステム(「聞くだけで「凄っげ~っ!!」という名前、こういうのに魅かれる私です。)を開発しました。可変トルクスプリット式フルタイム4WDとは、ステアリングの舵角や車速、加速Gなどを電子制御で検知し、最適な前後トルク配分を行うもので、以降、各自動車メーカーのスポーツ4WD車製作のお手本になったといわれています。(その例が日産のスカイライン GT-R(3代目 R32型 1989年)で登場した「四輪駆動システム(ATTESA E-TS)」と「ツインターボ・エンジン(RB26DETT)」の制御は、959を手本にして開発されたものといわれています。)
エンジンは強制空冷の2800cc フラット6ですが、ヘッドは4バルブDOHC化されています。これはグループCカーの962と同じようなもので、レースなどでの連続高負荷運転に備え、左右の吸気カムシャフトで駆動するウォーターポンプでシリンダー・ヘッドのみを水冷する形になります。これに低速時はシングル、4600rpm以上でツインにシーケンシャル制御される2基のKKK製ターボチャージャーをドッキングして、450psの最高出力を叩き出しました。(この「シーケンシャル・ツインターボ」(2段ツインターボ)という方式は他のメーカーでも採用されています。代表例では、ミーシャの前の愛車「暴虐の怪物セダン」トヨタ・アリストの2JZ-GTE型、3000cc直6ツインターボなどがあります。)
さらにボディはアルミ合金を多用し、フロント部分はガラス繊維で強化したポリウレタンの一体成型。他のパネルにはケブラーやFRPを使うなど、徹底した軽量化が図られ、ベースとなった911と共用のボディパーツはほとんどありません。「連続する12か月間に200台の生産を必要とするグループBの公認を得ること。」ということでしたが、最終的には293台が製造されました。
ミニカーはサンクスの京商のもの(2005年)、そしてあれこれ探して出てきたものはこちら。
車名 959
デビュー 1986年
製造 1986~93年
全長 4260mm
全高 1280mm
全幅 1840mm
ホイール・ベース 2300mm
トレッド(前) 1504mm
(後) 1549mm
車重 1450kg
エンジン ポルシェ 959/50
形式 空冷レシプロ 水平対向6気筒 DOHC4バルブ + KKK製 ツイン・ターボ
総排気量 2850cc
ボア×ストローク Φ95×67.0(mm)
Vバンク角 180度
最大出力 450馬力/6,000rpm
最大トルク 51.0㎏-m/5,000rpm
圧縮比 8.3
ブースト圧 1.1~1.2バール
燃料噴射システム ボッシュ社製 電子制御(モトロニックMP1.2)
点火システム ボッシュ社製 電子制御
駆動方式 総輪駆動方式(フルタイム 4WD)
変速機 ポルシェ製 前進6速マニュアル(+後退1速)
差動システム リミテッド・スリップ・デファレンシャル
シャシー アルミニウム製モノコック(FRP、アルミ合金製ボディシェル)
サスペンション(前) 独立懸架 ダブル・ウィッシュボーン式
(後) 独立懸架 ダブル・ウィッシュボーン式
ブレーキ (前) ベンチレーテッド・ディスク(+ABS)
(後) ベンチレーテッド・ディスク(+ABS)
ステアリング ラック・アンド・ピニオン
タイヤ+ホイール(前) 235/45VR17
(後) 255/40VR17
燃料タンク容量 90リットル
ボディ・スタイル 2ドア・クーペ
乗車定員 2名
ということで今日のお話はここまで。それではこれから撮りだめていたものを見ておきましょ。
(ほれ、あんましダラダラせんようにね、ミーシャ。)
(これ、ま~たベッタなネタをやってんやないんよ、ミーシャ。)


今月はこちら。1980年代後半の「(第2次)スーパーカー・ブーム」というのがありましたが、その際に出てきたものはランボルギーニ・ディアブロ、ジャガー・XJ220、そして「走る不動産」フェラーリ・F40などがありまして、1970年代の(第1次)ブームが子供中心だったのに対し、バブル期のブームは商売目的の大人が中心となったものですが、ポルシェもそのブームの中で出してきました「959」(1987年)のお話です。
元々この企画がスタートしたのは1983年、その前の年にFIA(国際自動車連盟)は、それまでのグループ4/5に代わるグループB車両に、世界ラリー選手権=WRCのチャンピオンシップを与えることを決定。パワーは無制限、軽量素材の使用にも事実上何の制限もなし、ポルシェのエンジニアがこの新しいカテゴリーに興味を持たないわけはないわけですが、いかんせんベース車がリヤ・エンジンの「911」しかなかったため、前規定のグループ4で当時のWRC(世界ラリー選手権)を席巻していたアウディ・クワトロを叩き潰すには、4WDが必須であると考えました。
こうした中、1983年のフランクフルト・モーターショーでプロトタイプの「グルッペB(グループBのドイツ語)」として発表され、翌1984年にはパリ〜ダカール・ラリーでこれをベースしたラリーレイド仕様車で総合優勝を飾る実績をあげています。その後、1986年にはポルシェ・959の名で参戦。その圧倒的な走行性能で総合優勝(1-2フィニッシュ)を決め、それを機に市販されることとなりました。
そしてその目玉になった4WDシステムはトランスミッションからPSK電子制御クラッチを介して前車軸までプロペラ・シャフトを通し、運転状況に応じて前後のトルク配分を40:60から20:80まで自動調整する可変トルクスプリット式フルタイム4WDシステム(「聞くだけで「凄っげ~っ!!」という名前、こういうのに魅かれる私です。)を開発しました。可変トルクスプリット式フルタイム4WDとは、ステアリングの舵角や車速、加速Gなどを電子制御で検知し、最適な前後トルク配分を行うもので、以降、各自動車メーカーのスポーツ4WD車製作のお手本になったといわれています。(その例が日産のスカイライン GT-R(3代目 R32型 1989年)で登場した「四輪駆動システム(ATTESA E-TS)」と「ツインターボ・エンジン(RB26DETT)」の制御は、959を手本にして開発されたものといわれています。)
エンジンは強制空冷の2800cc フラット6ですが、ヘッドは4バルブDOHC化されています。これはグループCカーの962と同じようなもので、レースなどでの連続高負荷運転に備え、左右の吸気カムシャフトで駆動するウォーターポンプでシリンダー・ヘッドのみを水冷する形になります。これに低速時はシングル、4600rpm以上でツインにシーケンシャル制御される2基のKKK製ターボチャージャーをドッキングして、450psの最高出力を叩き出しました。(この「シーケンシャル・ツインターボ」(2段ツインターボ)という方式は他のメーカーでも採用されています。代表例では、ミーシャの前の愛車「暴虐の怪物セダン」トヨタ・アリストの2JZ-GTE型、3000cc直6ツインターボなどがあります。)
さらにボディはアルミ合金を多用し、フロント部分はガラス繊維で強化したポリウレタンの一体成型。他のパネルにはケブラーやFRPを使うなど、徹底した軽量化が図られ、ベースとなった911と共用のボディパーツはほとんどありません。「連続する12か月間に200台の生産を必要とするグループBの公認を得ること。」ということでしたが、最終的には293台が製造されました。
ミニカーはサンクスの京商のもの(2005年)、そしてあれこれ探して出てきたものはこちら。
車名 959
デビュー 1986年
製造 1986~93年
全長 4260mm
全高 1280mm
全幅 1840mm
ホイール・ベース 2300mm
トレッド(前) 1504mm
(後) 1549mm
車重 1450kg
エンジン ポルシェ 959/50
形式 空冷レシプロ 水平対向6気筒 DOHC4バルブ + KKK製 ツイン・ターボ
総排気量 2850cc
ボア×ストローク Φ95×67.0(mm)
Vバンク角 180度
最大出力 450馬力/6,000rpm
最大トルク 51.0㎏-m/5,000rpm
圧縮比 8.3
ブースト圧 1.1~1.2バール
燃料噴射システム ボッシュ社製 電子制御(モトロニックMP1.2)
点火システム ボッシュ社製 電子制御
駆動方式 総輪駆動方式(フルタイム 4WD)
変速機 ポルシェ製 前進6速マニュアル(+後退1速)
差動システム リミテッド・スリップ・デファレンシャル
シャシー アルミニウム製モノコック(FRP、アルミ合金製ボディシェル)
サスペンション(前) 独立懸架 ダブル・ウィッシュボーン式
(後) 独立懸架 ダブル・ウィッシュボーン式
ブレーキ (前) ベンチレーテッド・ディスク(+ABS)
(後) ベンチレーテッド・ディスク(+ABS)
ステアリング ラック・アンド・ピニオン
タイヤ+ホイール(前) 235/45VR17
(後) 255/40VR17
燃料タンク容量 90リットル
ボディ・スタイル 2ドア・クーペ
乗車定員 2名
ということで今日のお話はここまで。それではこれから撮りだめていたものを見ておきましょ。
(ほれ、あんましダラダラせんようにね、ミーシャ。)
石油立国
さて愛するタイガース、でも最近調子も落ちてるため、かなり不安なポストシーズンになりそうな気もする中、昨日はウツラウツラしていた私。今日は日曜日、映画のお話。1枠目の今週は「ボンド」、今日はこんなお話です。
(ほれ、今日は何かね、ミーシャ君?)
最近、話題になった(今もお悩みの)「ガソリン高」、今日はそこから中央アジアにある「アゼルバイジャン」という国があります。「第2のドバイ」とも言われる中央アジアにある旧ソ連から独立したカスピ海沿岸にある国です。欧米の直接投資と原油高に伴う多額の収入が国内の経済を急速な勢いで成長させている一方で、激しいインフレと失業率に悩まされています。また、環境汚染も深刻です。また最近ではこの経済成長の過程で「F1」の誘致を行い、2016年よりバクーの市街地コースがF1のアゼルバイジャンGPとして使われています。ただ、お隣のアルメニアとの間で「ナゴルノ・カラバフ紛争」という民族、領土問題を抱えています。(このため、各種スポーツの大会などではグループステージの抽選において、同国とアルメニアを同じ組に入れないという内規があります。)
ボンド作品としては、第19作「ワールド・イズ・ノット・イナフ」(1999年)でボンドガール、そして悪役のエレクトラ・キング(ソフィー・マルソー)が暗殺された父親の石油事業を引き継ぎ、そのパイプライン建設の場所がこの国だったというくだりで登場します。またその後、「お約束の」ナンパかましてスキーに行って(ここでもボンドのド定番「1度は雪山に行く」ネタは出てきているわけですな。)、危うく何者かに襲われる(決して、私のことではありません。)くだりがあります。
ということで今日のお話はここまで。今日と明日はお休み、でもお外は雨です。今日もちょっとあれこれとするわけですが、この雨はちょっと厄介です。
(ほれ、そない言わんと、朝は何食べんの、ミーシャ?)
(ほれ、今日は何かね、ミーシャ君?)
最近、話題になった(今もお悩みの)「ガソリン高」、今日はそこから中央アジアにある「アゼルバイジャン」という国があります。「第2のドバイ」とも言われる中央アジアにある旧ソ連から独立したカスピ海沿岸にある国です。欧米の直接投資と原油高に伴う多額の収入が国内の経済を急速な勢いで成長させている一方で、激しいインフレと失業率に悩まされています。また、環境汚染も深刻です。また最近ではこの経済成長の過程で「F1」の誘致を行い、2016年よりバクーの市街地コースがF1のアゼルバイジャンGPとして使われています。ただ、お隣のアルメニアとの間で「ナゴルノ・カラバフ紛争」という民族、領土問題を抱えています。(このため、各種スポーツの大会などではグループステージの抽選において、同国とアルメニアを同じ組に入れないという内規があります。)
ボンド作品としては、第19作「ワールド・イズ・ノット・イナフ」(1999年)でボンドガール、そして悪役のエレクトラ・キング(ソフィー・マルソー)が暗殺された父親の石油事業を引き継ぎ、そのパイプライン建設の場所がこの国だったというくだりで登場します。またその後、「お約束の」ナンパかましてスキーに行って(ここでもボンドのド定番「1度は雪山に行く」ネタは出てきているわけですな。)、危うく何者かに襲われる(決して、私のことではありません。)くだりがあります。
ということで今日のお話はここまで。今日と明日はお休み、でもお外は雨です。今日もちょっとあれこれとするわけですが、この雨はちょっと厄介です。
(ほれ、そない言わんと、朝は何食べんの、ミーシャ?)
蘭一赤星
さて愛するタイガース、このところ、ちょっと調子がガタ落ち、でもカモメのようになってなかったのはちと安心、でもこの後のポストシーズンを考えるとちょっと不安な中、雨降り手前で自転車通勤で帰ってきた「エ×ドレ×ドな」私。(間違ってもこんな感じでママチャリ乗ってコ×トコとかシ×レオに出没しているのではありません。)今日は木曜日、グルメのお話、4枠目の今週は最後に残った「ビール」、今日はこんなお話です。
(これ、アンタも不安な日々を過ごしてるいうのはようわかるけど、みんながおるよ、ミーシャ。)



先ごろやらかした愛するアヤックス(オランダ)、昨シーズンは国内リーグ4連覇を逃し、今年も低空飛行が続く中、宿敵かつ最大のライバル、フェイエノールトとの大一番、24日の「デ・クラシケル」、相手チームのホーム、デ・カイプに乗り込んだものの、ふがいない試合内容に怒り爆発、過激サポーター・グループがのっけから客席から花火や発煙筒をぶっ放すなどして試合を中断に追い込み、挙句の果てにスタジアムの正面玄関を破壊するという「どこかの国でもありましたな。」というお話で、名門に泥を塗った問題の試合ですが、今日はここからオランダが世界に誇る「ハイネケン」(Heineken)を語ってみましょ。
1863年にヘラルド・A・ハイネケンによって創立され、現在では世界170か国以上で販売、アンハイザー・ブッシュ・インベブに次ぐ世界第2位のシェアを占める世界的ビール会社です。オランダも含めて世界100か国に醸造工場を持ち、アフリカやアジアなどビール会社に技術指導を行っており、日本のビール会社にも多大な影響を与えています。(また、オランダ・アムステルダムにある創業当時の醸造所は現在「博物館」になっています。)
そんなハイネケンの代表的なものが、「ハイネケン・グリーンボトル」、1873年にオランダ・アムステルダムで誕生したもので、その秘密は19世紀に発見された、独自のハイネケンA酵母と呼ばれるハイネケン独自のビール酵母を使っているのも特徴の1つ。A酵母は現在もオランダのみで培養され、世界中のハイネケン醸造工場に送られています。フルーティーな香味、そして麦芽100%のコクと飲みやすさを合わせ持つバランスのとれた味で世界で愛飲されるインターナショナル・プレミアムビールです。クセも少なく、飲みやすいものです。ただ、飲みごたえが弱いためガツンとしたボディが好きな人には物足りなく感じそうな部分もあります。
また有名どころでは映画「007シリーズ」のスポンサーとして、劇中に結構な数のビールが登場します。(第20作「ダイ・アナザー・デイ」ではガラの悪い患者が病院に行く前に1本ひっかけているという「ムムムな」シーンも登場します。)またUEFA(ヨーロッパ・サッカー連合)のスポンサーとして、3大リーグ(チャンピオンズリーグ、ヨーロッパリーグ、カンファレンスリーグ)、さらにはF1の冠スポンサーとしても有名です。
ということで今日のお話はここまで。その問題の試合は現地時間の昨日の晩、無観客で残りをやりまして、アヤックスは恥の上塗り、監督解任騒ぎがエスカレートしています。そしてこのエ×様のママチャリ通勤はちゃんと理由がありまして、1つは駐車場のキャパ不足、「選手、関係者用の駐車場の容量が少ないため、選手、関係者はタクシーの相乗りで来てね♡」ということがあげられます。ちょっと変則な時間に起きてお仕事していたもので、お昼の後はゆっくり「お昼寝」してましょ。
(ほれ、あんまし無理せんようにね、ミーシャ。)
(これ、アンタも不安な日々を過ごしてるいうのはようわかるけど、みんながおるよ、ミーシャ。)



先ごろやらかした愛するアヤックス(オランダ)、昨シーズンは国内リーグ4連覇を逃し、今年も低空飛行が続く中、宿敵かつ最大のライバル、フェイエノールトとの大一番、24日の「デ・クラシケル」、相手チームのホーム、デ・カイプに乗り込んだものの、ふがいない試合内容に怒り爆発、過激サポーター・グループがのっけから客席から花火や発煙筒をぶっ放すなどして試合を中断に追い込み、挙句の果てにスタジアムの正面玄関を破壊するという「どこかの国でもありましたな。」というお話で、名門に泥を塗った問題の試合ですが、今日はここからオランダが世界に誇る「ハイネケン」(Heineken)を語ってみましょ。
1863年にヘラルド・A・ハイネケンによって創立され、現在では世界170か国以上で販売、アンハイザー・ブッシュ・インベブに次ぐ世界第2位のシェアを占める世界的ビール会社です。オランダも含めて世界100か国に醸造工場を持ち、アフリカやアジアなどビール会社に技術指導を行っており、日本のビール会社にも多大な影響を与えています。(また、オランダ・アムステルダムにある創業当時の醸造所は現在「博物館」になっています。)
そんなハイネケンの代表的なものが、「ハイネケン・グリーンボトル」、1873年にオランダ・アムステルダムで誕生したもので、その秘密は19世紀に発見された、独自のハイネケンA酵母と呼ばれるハイネケン独自のビール酵母を使っているのも特徴の1つ。A酵母は現在もオランダのみで培養され、世界中のハイネケン醸造工場に送られています。フルーティーな香味、そして麦芽100%のコクと飲みやすさを合わせ持つバランスのとれた味で世界で愛飲されるインターナショナル・プレミアムビールです。クセも少なく、飲みやすいものです。ただ、飲みごたえが弱いためガツンとしたボディが好きな人には物足りなく感じそうな部分もあります。
また有名どころでは映画「007シリーズ」のスポンサーとして、劇中に結構な数のビールが登場します。(第20作「ダイ・アナザー・デイ」ではガラの悪い患者が病院に行く前に1本ひっかけているという「ムムムな」シーンも登場します。)またUEFA(ヨーロッパ・サッカー連合)のスポンサーとして、3大リーグ(チャンピオンズリーグ、ヨーロッパリーグ、カンファレンスリーグ)、さらにはF1の冠スポンサーとしても有名です。
ということで今日のお話はここまで。その問題の試合は現地時間の昨日の晩、無観客で残りをやりまして、アヤックスは恥の上塗り、監督解任騒ぎがエスカレートしています。そしてこのエ×様のママチャリ通勤はちゃんと理由がありまして、1つは駐車場のキャパ不足、「選手、関係者用の駐車場の容量が少ないため、選手、関係者はタクシーの相乗りで来てね♡」ということがあげられます。ちょっと変則な時間に起きてお仕事していたもので、お昼の後はゆっくり「お昼寝」してましょ。
(ほれ、あんまし無理せんようにね、ミーシャ。)